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課題2-2

「我々は3.11以降なにを修復し、なにを残すのか。」

今回の課題で私は、阪神大震災を選びました。選んだ理由は二つで、”元通りに戻った復興計画”と”生々しく残した真実”についての考察のためです。昨今、様々な面で早急の復興が求められていますが、日本の行政はなにかまた捏造した世界を構築しようとしてる気がします。首相は避難区域などに住んでいる住民の移住先について、「中心部はドイツの田園都市などをモデルにしながら再建を考えていかなければならない。」と発言しています。その様な事態が現実に起きない様に、阪神大震災で”生々しく残した真実”について考察しました。(日橋)


阪神淡路大震災の被害写真(高速道路)


阪神淡路大震災の被害写真(住宅街)


※全壊判定を受けた住宅

【全壊】
住家が滅失したもので、具体的には住家の損壊、焼失若しくは、流失した部分の床面積がその住家の延床面積の70%以上に達した程度のもの、または住家の主要構造部の被害額がその住家の時価の50%以上に達した程度のものとする。

最右:ゼンカイハウス(所在地:兵庫県宝塚市 設計:宮本佳明/宮本佳明建築設計事務所 竣工 1997年)
今回、私が選んだ”生々しく残した真実”。名称はゼンカイハウスで、阪神大震災で倒壊した築100年以上の長屋をリノベーションし、現在も人が住んでいる現役の住宅です。


全景写真

スケルトンを表した建築模型
薄茶色の柱は既存の木構造体で、白い部分は全壊後付け足した構造材(鉄骨)。

現在は既存の木構造が機能を終え、完全な意匠(恣意性のない記憶)としてだけ残っている。


室内1

室内2

室内3

室内4

室内5




記憶と場の関係

阪神淡路大震災 地震のあとの火事でなにもかも焼けてしまった。






東日本大震災 地震のあとの津波でなにもかも流された。

しかし、ものは流されたが、家族写真が残った。

写真が今までの生活と現在をつなぐものとして、

写真を集めたり、それを届けるボランティア団体も生まれた。

場がなくなっても写真というものを通して、

記憶と記憶をつなげることができるのではないかと感じた。






「傍らに有り続けるという事」

今回僕が取り上げたギリヤーク尼崎さんのように一生をかけて災害や事故等と共にパフォ−マンス、作品を通して傍らに有り続けようとする方達がいます。彼等の真意は僕には分かりませんが傍らにいつ続けるという行為には意味が有ると思います。

能には夢幻能という形式の上演形態が有ります。ここでは詳しくは説明しませんが大雑把に言うと死者であるシテという役とワキという生きている人間役の人物が夢幻能には登場します。ワキはシテの話す過去の話を聞き最後にはシテはワキの夢の中で昇天します。ワキはシテにの無念を聞きその無念を晴ら「祓ら」そうとするのです。ワキはほとんどの場合旅人で彼等は旅をする事によってその無念を伝えワキからシテへと変化して行きます(ここは僕の推測です)。この行為によって無念が他者へと広がって薄まりシテを昇天へと導きます。僕にはギリヤーク尼崎さんのような方達がそのワキの役割を担っている用に感じられ同時にその行為が記憶を結びつけるという意味でも無念を祓らすという意味でも大変重要な事だと感じます。

参考

松岡正剛「千夜千冊」より

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1176.html









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