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オンラインレポート

new DOCUMENTARY 狩野嵩大

ある日、群馬の実家からリンゴが届いた。

立派なリンゴが、それも大量にである。

何故、みかんでは無くリンゴなのか。まず私はリンゴとみかん、どちらが好きかと言えば、どちらも好きではない。嫌いというわけではないが、買ってまでは食べない。そもそも、果物というものをどういうタイミングで食べたらいいのか、一人暮らしの男子大学院生にとっては皆目見当がつかない。飯といえば、コンビニ弁当を一人もそもそと義務的に食べるばかりなのだ。

まずリンゴを食べるにあたって、剥く作業に取りかからねばなるまいと思い、久方ぶりに包丁を握った。

いわゆる剥いてある状態の三日月型のリンゴ片にするためには、まず皮を剥いてから半分に割るべきか、それとも皮を剥く前に三日月型の状態まで持って行くか、それがわからない。途中までは、まず皮を剥くという計画を持って、リンゴと向き合った。ただ、なかなかうまく剥く事ができない。そこで急遽、三分の一くらいまで剥いてしまったリンゴを割り、三日月状にしてから皮を剥き、芯を取るという計画に変更した。どうやら、それが正解だったらしくうまく剥けた。

切り分けたリンゴ片を皿に丸く並べ、いざ食べ始めた。これが非常にウマい。たっぷりと蜜をたたえたリンゴ片はジューシーであり、口の中に広がる酸味は私の中に溜まりに溜まった毒という毒を浄化するが如し勢いであった。

半分以上食べた。もうハッキリ言って食べたくない。思った以上に腹に溜まるのである。

タバコを一本吸う。ウマい。先ほど、リンゴの酸味によって浄化されたかに思われた毒がこれ程までにウマいとは。正直、リンゴよりウマい。

灰皿でタバコを揉み消す頃には、ちゃぶ台の上のリンゴ片は茶色く酸化し、一層食欲を減退させた。

そんな時、垂れ流されていたニュース番組から、リンゴから何ちゃらベクレルが検出されたどうこうというニュースが聞こえて来た。

もう一度、リンゴを見た。皿の上には茶色く酸化したリンゴ片が置かれ、台所に置かれたビニール袋の中には数十個のリンゴが放置されていた。

 

リンゴは冬にもかかわらず、みるみるうちに腐った。

腐ってしばらくして、芳醇な香りを漂わせるようになってからようやく燃えるゴミ袋に入れた。

 

さて、私がリンゴを食べきれなかったこと、ということについて考えねばなるまい。

さもなければ、この授業の課題の一つであるオンラインレポートに、つらつらと個人ブログに書いても誰も読まないであろう文章を書いた事によって、プロジェクト科目ニュードキュメンタリーって大丈夫か?というか、東京造形大学って大丈夫か?という由々しき事態を招くことになってしまう。

私が、この一年間、ニュードキュメンタリーという授業を通して考えることになったこと、それは「文脈を与える」という行為である。

都内を流れるドブ川、雨樋、雨、食べ物、花粉、そして福島、日本。ここには震災によって引き起こされた原発事故による「放射能」という文脈がある。

震災が起きる前に出版されたキノコの写真集とそれ以後のものとでは、明らかに撮影者の「文脈を与える」意図が違う。そしてこれは見るものにとって、その作った人の「意図」に関わらず無慈悲に見られてしまうということである。文脈を与えるという行為は、何も作った人だけの特権ではないからだ。これはドキュメンタリーもフィクションも映画も小説も随筆もイラストも彫刻も例外ではない。

あの壮絶な津波を経験された避難所で、ニュース番組に疲れているであろう子供達の為にスタジオジブリ作品のDVDを送るとしよう。さて、その中にある『崖の上のポニョ』のDVDを、果たして私はそのまま送ることができるだろうか。勿論、『崖の上のポニョ』という作品は今回の震災に何の関係も無い。ただ、私は送れない。何故なら、『崖の上のポニョ』に津波という文脈をすでに与えてしまったからである。

世の中で大きな出来事が起きると、多くの人がこうしたことと向き合うことになる。ただ、大きな出来事が起きたから、文脈を与えられるようになったわけでは決して無い。私たちはいつ何時、いかなる物にも文脈を与えることができる。

飛行機の中で見る『クリフハンガー』は映画館で見るよりも面白く、ワイズマンの『ボクシングジム』を観た後に聞くサンドバッグを叩く音は以前よりも大きいのではないだろうか。

私がリンゴを腐らせてしまったことどんな文脈があるだろうか。そこには多様な文脈がある。

そして、ここにリンゴのくだりを書き記すことによって増える文脈もあるだろう。私という人を直接知っている人と知らない人とで、また違う文脈があるだろう。

私の住むアパートに入ったヒビ割れはいつからあったものなのか。大学の窓の無い部屋で感じる圧迫感はいつから感じるようになったんだろう。

車に残っているガソリンの量を意識する。携帯の充電はあとどれくらい残っているだろう。

ゴミ袋の中で腐っているリンゴからする腐臭は、こんなにも臭かっただろうか。

 

実家からまた何か届いた。下仁田ネギである。

まだ泥がついたままの新鮮なものだ。

ニュードキュメンタリーという授業を通じて

美術研究領域 彫刻専攻 竹内陵太朗


遅くなりました。すみません。


この授業は、いろいろ考えさせられました。考えても、答えなんか出ないというモヤモヤ感に苛まれて

授業から足が遠のくほどでした。

いろいろ示唆に富む内容がありましたが、特に考えさせられたのはドキュメントとは、

どこまで人の意図が介在しても良いのか。といったテーマのときでした。

たとえば同じ被写体を写した写真でもキャプションが違っていれば、受け取り方がまったく逆になって

しまうというような。カメラを構えるということは、フレームによってトリミングしているわけだから

作者によって切り取られた世界で現実とは異なる。言われるとなるほど、と納得してしまいましたが、

ではどうすれば現場の生というのを伝えられるのだろうと、やはりモヤモヤと考えてしまいました。


こういった表現いかにあるべきといったことに、おそらく容易な答はないのでしょうが、

震災がテーマだったこの時、極論として現場に赴くのが1番だろうとガラにもなく行動的になって

現地に行ってボランティア活動してきたのですが、別にそういうことではないというのはうすうす

わかってはいました。ただ、自分の国で今おこっていることを授業で取り扱って、議論しているのに

現場を知らないで発言している自分がイヤだったんです。

結局何が正しいのか、なにが善意なのかいまだに結論はでていませんが、体感して考えるというのが

今の自分のスタンスかもしれません。

1年間ありがとうございました。

わたしのニュードキュメンタリー。 内山 歩

私にとってのニュードキュメンタリー。

 

ニュードキュメンタリーってなんでしょう。

 

震災前と後では、随分変わった。でも、正直全然変わっていない部分もある。

ナン・ゴールディンが定義した「拡大家族(Extended Family)」というモノがある。ここでの「拡大家族」とは、自分が選びとった家族。何らかの感情的な絆や共有するもの(記憶・経験など)で結びつけられ、お互いの一部を共有している者たちのことである。

 

震災後に出た雑誌『広告』にでてきた「シェア」という言葉。100%でなくても、30%でも80%でも「家族」といえるのではないかといった話や、「あの時」、「あの場所」にどこにいた?と聞けば、多くの人が震災のことを思い浮かべることになるというような話が載っていた。

 

「拡大家族」と「シェア」(共有)。強引かもしれないが、私は近いと思った。

 

東日本大震災時のメディア(テレビ・ラジオ・twitterなどからの写真、映像など)から、情報を、または「悲しい」「怖い」・・・様々な感情を、そして議論や批判も、みんなでシェアした。意識的にシェアしたがったり、無意識的にシェアしてしまったりで、兎に角情報と名のつくものは非常に溢れていたように思う。そこには、正しい情報も間違った情報もあって、色々なレベルで(高いとか低いとかではなく。)、全方向で「拡大家族」化されたように思う。

 

日本をひとつに!などというキレイな感じではなくて(批判ではないが)、ネット上のコミュニティ(つながり)や現実のつながりが日本全体でまじりあっていたように思う。

 

阪神淡路大震災の時を思い出してみる。私は6歳で現在よりインターネットは発展していなくて、私に入ってくる情報はテレビだけだった。(私の個人的記憶では。)私は阪神淡路大震災後、確かに何度も震災の様々な映像や写真などを連日見ていたはずなのに、代表的な場面、場面しか思い出せない。単に情報量が少なかっただけなのだろうか、いやいやそんなことはないと思う。では、はたまた忘れているのか。どちらにせよ日々の生活の記憶の中に埋もれてしまっていたように思う。毎年、1月に流される映像などで記憶に刷り込んで、記憶を補っていただけで本質的な意味での記憶はなくなっていた。

 

私がもし震災にあったとするならば(こういう例えの「もし」はいやだけど。)、わたしは写真を、アルバムを探すだろう。

誰か大切な人が亡くなった時、その人のことをずっとずっと覚えていたいけれど、だんだん思い出す時間が長くなって、どんどん記憶も曖昧になってくる。(村上春樹の「ノルウェイの森」の冒頭にそのようなこと出てくるのだが。わたしはハルキストではないのだけれど。)記憶の曖昧な部分を思い出したり、誰かに話したりする時に無意識的に補正したりして、しっかりとしたモノにしようとする。事実とは、遠くなってしまったとしても、強化しようとする。

でも、アルバムにおいての写真は違う。(・・・気がする。私には。)見る側の気持ちひとつで、その写真は意味を違うものとするときもあるけれど、間違いなくカタチはその人である。思い出せないほくろの位置も、親しい人にしか見せない笑い方や微妙に照れている様子、ただの輪郭でしかないのかもしれないけれど、それでも記憶はカタチにも手を出して嘘をつく時があるから、正しいカタチを覚えていたくてアルバムを探すのだと思う。

アルバムを見返すことは、実際は少ないかもしれない。

私の所有欲(でいいのかな。)が強いだけか、今この瞬間そういう人のことを考えて感情的になってしまっているだけか、それともその両方か、どちらでもないのかわからないが、「過去」と「現在」を私的な意味でつなぐアルバムは、やはり多くの人の目に触れることはないけれども、公共的な写真とは違って、いつでも私を写真の中のその時に簡単に戻してしまう。

日本人は嫌なことは忘れてしまいたいと思いがちだという話が授業内にもでたが、それとは逆方向のキモチと記憶と思考回路。

私の感覚が多くの人と共通しているのかわからないが。

「過去」を「いまここ」にグイッと時に暴力的に引きずり出してくるモノがアルバムなのかなと思う。

 

現代には、いまここ(リアルタイム)で人とつながることのできるツールが増えている。

寺山修司が街中でやった市街劇のように、リアルタイムで様々な最新機器などの媒体を通して同時多発的につながっている。それが、いま現在のニュードキュメンタリーではないかとわたしは思う。ただ、それを「いま」だけの一瞬のつながり、「いま」だけの一瞬のニュードキュメンタリーだけにしてはいけないと思う。

23歳の私に東日本大震災は刻まれるが、幼いこどもたちはどうだろう。昔のわたしのようになってしまわないだろうか。

一瞬の力は時に力強くあるけれども、「過去」と「現在」を(私的にだが)つなぐアルバムのように、「現在」と「未来」をつなげることのできるニュードキュメンタリーを探さなければならないと思う。

その作業も、ニュードキュメンタリーの役割ではないだろうか。

 

まとまりのない私的な文になってしまいました。

1年間、ありがとうございました。

 

しかも、日付変わってしまいました。すいません。

 

151004 内山 歩

ニュードキュメンタリーとは 絵画 生井沙織

虚構が事実を浸食しその姿こそが現実となり、もはや虚構ではなくなる。そしてそれは繰り返される。
私はそのようなことに強く惹かれるし、それがニュードキュメンタリーの姿…なのかなと考えています。

授業で観たソフィ・カロの「ダブルブラインド」は特にそれを強く感じて、わかりやすかったドキュメンタリー映画です。
作者本人が出演し、男(昔のカレ)にアメリカ横断旅行ロードムービーを撮ろうと持ちかけて車を転がして、互いを撮り合いながらその映像のバックに心に浮かぶ彼らの本音が流れ交錯するものですが、なにより面白いのは作者と男が本当に結婚すること。
きっとソフィは本当に男と結婚したくて始めたのだろうけど、中盤までは二人とも科白を読んで演じているようで、この映画のことを念頭に置いているように感じられた。(もちろん台本などない)
しかし時間を追うごとに彼らの本音が滲み出て溢れてくる。男は「彼女は本当に結婚する気なのか」と心の中で口にするし、彼女は「彼は結婚のことを口にしないようにしている」と心の中で口にする。
そしてベガスに着いた時ソフィからの問いに男が一度ノーを出す。そして改めて結婚することにする。この時の男の煮え切らない顔といったらない。
はじめは虚構であるかのようなものが事実を浸食していく、まさにそれを観た気がしました。いや、むしろ現実が元々無いのか、、とも考えた映画です。

私自身そういったことに興味を持って制作しているので、ニュードキュメンタリーという視点をこの授業で考えることができてとても勉強になりました。
一年間ありがとうございました。
投稿中に12時を過ぎてしまい、先生方申し訳ないです。


絵画 生井沙織

私のニュードキュメンタリー

美術研究領域 152001 青木亜由美


写真の表現ひとつでも、人によって受け取り方も、感じ方も全然違うことを痛いほど痛感した授業でした。
普段つっこみずらいところをつっこむのがこの授業では当たり前だったので、すっかりそれに慣れてしまい、刺激をたくさんうけました。
3.11の問題では、どれだけ、ちゃんと真実を伝えているのか、この授業で得た知識や度胸で、私はアルバイトの接客業を通じて、新聞業者の人にお話しを聞いてきました。
やはり、隠していることはとてもたくさんあって、
放射能汚染の影響は現地の子ども達にすでにどんどん出てるそうです。
鼻血が止まらないなど。
そういう子たちの五年後の発癌率は跳ねがあるそうです。
自体は刻一刻悪化しているのです。
そういった事実をなぜちゃんと報道できないのか。
その方はそれ以来その事に悩み、原子力発電が50個以上あるこの日本が変わらないかぎり、また大地震はほぼくるので、このようなことはいくらでも起きてしまう。そう思いい、原子力に頼らずとも発電できる、技術力を調べその可能性のある会社に転職したところでした。
ちゃんと報道できれば、関係者以外でもこういう風に行動できる人は増えるのではないのでしょうか。

授業の話しに戻りますが、今は一つにまとまろうとしていても、日本人は辛いことを時間がたつと、忘れてしまう。忘れようとしてしまう。そういったくせがあるとありました。
それを維持できるようか術は?
この授業で、かなり印象に残ったのは、道ばたでやっていた、デモというのがあり、
パワーを感じました。
初めて受けた気持ちでした。なんだかわからんが、デモはパワーをもつんだなと思いました。
良いんだか悪いのだかはさておき、そういったパワーを出してもいい場所は外国に比べ日本にはものすごく少ないのです。
いわゆるパブリックスペースですね。
私はその後パブリックスペースについての講演会に行き、現状をしり、またまだ少ないですが、そのことで動き出している学生や、また大人の方々が以外といることを知りました。
今日、私も個人的に関わっていけたらと思っているところです。
それは、3.11だけではなく、アートをやってく上でも、パブリックスペースを、これから変えていけたらと、ひそかに思っています。
なんだかまとまりがなくなってしまいましたが、以上で
今の私≒私のニュードキュメンタリー
とさせて頂きます。
この授業で、最後の方は参加人数少なくなったり、自分もでられなかったりで誠に申し訳なかったですが、諏訪先生、ホンマ先生、柳本先生、生徒の皆と腹を割って関われたことはこれから生かしていけると確信しています。
大変感謝しております。
皆さん本当にどうもありがとうございました。

ニュードキュメンタリーとは

デザイン専攻領域 151002 石井佑典



私はデザイン科で学んでいるので、映像作品や写真などを見ると何かしらの意味を求めてしまう。

例えば最近 au のロゴマークが変わったのを見ると、何故ロゴマークを変えたのか?何故このデザインになったのか?と考えてしまう。有名なデザインであれば検索すると大体意味が出てくるので、自分の考えと制作者の考えを照らし合わせる事が出来てスッキリすることができる。

しかし、授業でドキュメンタリー映像作品を見たとき、全く意味が分からなくて理解に苦しんだ。

そこで何となく思ったのが、映像作品の一コマ一コマには直接的な意味はなく、一コマ一コマが繋がっていき1つの意味のある映像作品なる。その映像を見て思う疑問や、作品に対する論究がある種のニュードキュメンタリー、作品を見る側のニュードキュメンタリーなのではないかと考えた。

また、作品を生み出す側から考えたニュードキュメンタリーとは、自分自身が起こしてきた行動、日々の生活の中で考えてきた事、生きてきた過程を何かしらの形でとどめる事だと思う。

毎日撮りためた写真であったり、文字のスクラップだったり何でもいいと思う。続けるという事で生まれる日々の記憶や記録を第三者に投げかける、そして第三者がそれを見て、考える事がニュードキュメンタリーだと思う。

絵画 清原亮

私は写真や日記などで記録をとっていたことがほとんどありません。ブログも書かないし、ツイッターも見るだけです。だから私にとっての「ニュードキュメンタリー」といわれて「これ」といえる具体的な何かが思い浮かびません。しかし、私の周りには私の過ごしてきた時間と共にあふれた物がたくさんあり、それをニュードキュメンタリー的な視点でみると面白くもあります。

写真はいま自分が住んでいる部屋の写真です。今撮りました。学部からすごしてきてそろそろ5年になります。私は整理が苦手なので物にあふれてかなり汚いですが過ごしてきた5年分を感じます。私にとってのニュードキュメンタリーは何か具体的にはっきりした物がまだないため、すべての物をニュードキュメンタリー的解釈でみることといったほうがしっくりきます。

私は絵画科で絵画作品を制作していますが、後にニュードキュメンタリー的解釈をされることを想定して作品制作をすると少し作品がかわるかもしれないとも思いました。



ホンマ先生、諏訪先生、柳本先生、一年間ありがとうございました。授業ではあまり発言出来なかったのですがとても興味深い授業でした。

絵画 清水信幸







これらの写真は、絵を描く前にモチーフをセットし、記録と資料のため撮ったものです。

幼い頃から僕は、目の前にある物を並べたり、積み上げたりして、出来たものを眺めていました。

多摩川に行けば石を積み上げ、大きな石と小さな石を順番に積み上げてみたり、大きな石から積み上げだんだん小さくなるように積み上げたりしました。積み上げることに飽きれば、平な石を探して水切りをして遊びます。

日が暮れれば、家に帰り、積み木や家にあるあらゆる物を自分の部屋に持ち込み、町をイメージして物を並べました。

何を伝えようとしていたのか、自分のことなのにわかりません。ただ、積み上げたり並べる行為が『何か』という抽象的な、言葉だけでは説明できないものを探していたように思います。

僕にとってのニュードキュメンタリーは、どこに向かっているかも、どこが終わりなのかもわからないけど、自分にとっての『何か』を探し続けることだと思います。

152013 清水信幸

ニュードキュメンタリーとは何か‥‥

デザイン専攻151023山田真弓
映画の事はわからないので最近見たドキュメンタリーから探ってみようと思う。

「チェルノブイリハート」2003 監督マリアン・デレオ

「臨床」1989「視覚障害」1986 監督フレデリック・ワイズマン

「監督失格」2011 監督 平野勝之



「チェルノブイリハート」について3.11以後日本で再上映された作品。3.11がなかったら見る事はなかったかもしれない。見たとしてもこんなに身近に怖いと思う事はなかったと思う。チェルノブイリ原子力発電所事故(1986)以降ウクライナ、ベラルーシなどの放射能汚染地区では障害児の生まれる確率、心臓疾患を抱えて生まれる子供の確率は圧倒的に増え、甲状腺に癌の見つかる若者も同じように増えている。政府はその因果関係を認めていない。同じレベルの事故が起こった、15年後の現状を日本人は想像しているだろうか?(ベラルールでは新生児の85%がなんらかの障害を持って生まれてくる。)
障害児は捨てられ、孤児院ではぞんざいな扱いを受けていた。そのスタッフは「だってちっとも良くならないじゃない。」と吐き捨てた。そんな中涙を流す孤児院のスタッフもいた。自分にもこどもがいるから、と言った、壊死しそうなこどもの手足に薬を塗った。滲みるようでこどもは苦しそうに泣いた。良くなる見込みなどどこにもないのは誰の眼にも明らかだ。ある青年は事故後初めて自分の家に帰った。廃墟と化した団地から原発を眺めた。母親に行ってはいけないと言われていたにもかかわらず燃える原発を友達ととても近くまで見に行った。この映画の公開間もなく青年は亡くなった。
なんて言っていいのかわからない痛々しい気持ちになった。
フレデリック・ワイズマンについて私の見た「臨床」と「視覚障害」においてその病院と学校はすごく丁寧な対応をする施設であるということがわかった。それ以上でも以下でもない。「臨床」は6時間のなかで同じ説明を幾度となく繰り返した。延命措置をするのか、しないのか、それは「生きている」と言えるのか。医師達は話し合いその説明を何度も患者、家族に話し、納得いく最後を選ばせる。その丁寧な説明と経緯を淡々とカメラに押さえているワイズマンの姿は感じさせず、とても誠実なドキュメンタリー、と言うか私の知っている思想に偏りがあったりそのようにしむけるドキュメンタリーや個人に焦点を当てたドキュメンタリーとは違った。それは感情移入をさせないのだ。施設全体なのだ。そういう意味でそれ以上でも以下でもない、とてもフラットな映画だった。
「監督失格」個人の思い入れの激しい極めて私的なドキュメンタリーである。上記とは真逆の感情だけで出来ているような映画である。衝撃的でありながらやはり全体は暖かい、包み隠さない正直なドキュメンタリーであった。

 

ニュードキュメンタリーがなんたるか、少しでもわかろうとしたら全体がわからなくなるような掴めないもだった。ワイズマンのように全体を見る事は実はとても困難だ。映画専攻でない私にとってはニューもオールドも同じように思う。

震災において誠実になる事はなにをすることなのか、逃げたりはたまた盗んだり、全ては正しいようで間違っているようでとても考えさせられる授業でした。

山田真弓

RCサクセション / サマータイム・ブルース

モラルと芸術性 日橋 慶充

デザイン研究領域1年 151019 日橋  慶充

私が授業内でニュードキュメンタリーを強く意識したのは、スーザン・ソンタグの「他者の苦痛へのまなざし」について議論した時であった。震災後の様々な影響から逃げていた現実と、それでも制作を続ければならない状況について深く向き合うきっかけにもなった。オレは関係ないからなにも言わないし、言えない!みたいな考えが、いかに俗悪な結論であるかも知れた。しかしだかといって原発デモをするのも何か違う。ではいったいどうすればいいのか。ニュードキュメンタリーの授業はその避けれない問題を扱う授業であったと思う。そこで、深く印象に残った授業を自分なりにまとめていた回があるので、紹介したい。

モラルと芸術性

被災地を撮影する際に、被災者を被写体にするのはモラルに欠けた行動なのか。或は撮影者が被災していたら、撮影してもモラルに欠けてない行動なのか。この議題ではジャーナリズムの功罪/葛藤について議論を展開させた。

被災地に我れ先と一番乗りで現地入りした、写真家らはハンターである。ハンターであるが故の苦悩もあると思うが、海外から来たカメラマンは正真正銘のハンターだ。

海外から来たカメラマンらは遺体をばんばん撮り、美しい恣意性のある写真を撮って帰国する。一方で日本人カメラマンは遺体を撮ろうとしない。カメラマンとはいえ、自国の被災者に対する罪悪感が顕著に出ている。9.11の時にアメリカ人のカメラマンが、自国の遺体を撮影しなかったのと同じ心情なのか。この一連の流れで、日本のカメラマンが遺体を撮りずらく思ったり、被災地を堂々と上手く撮影できない理由はどこにあるのか。一つ議論中に興味深い話があった。それは上手い写真が叩かれ、下手な写真が叩かれないのはどういうことなのかという事だ。それは日本という村のコミュニティー感覚が見えない圧力をかけているに違いないという結論に至ったが、この感覚は撮影のモラル以外にも共通するものがあると思う。次に諏訪先生の報道ジャーナリストの議論に移る。報道ジャーナリストの仕事は、事件のより深部に入り込み撮影することだ。という内容だが、そのジャーナリストの撮影時の精神状態は、”一旦人間停止”しているらしく、仕事後の飲み屋で人間を徐々に取り戻していくという事らしい。そうでもしなければモラルの圧力は乗り越えられないものか。そしてこの議題の最後の議論は、チンポムが被災地で行った「気合い100連発」というパフォーマンスについてだ。この企画はチンポムメンバーと被災者が円陣を組み一言発言し、みんなで気合いを入れていく趣旨だが、最後の百回に近づくにつれてやけに人間の深部が見えてくる(悲しさを超え、トランス状態になり人間の一番リアルな部分が現れる)。今回の多様な震災関連の写真や映像の中でも群を抜いたドキュメンタリーだとホンマ先生は語っていた。

これは表現の一部分の議論だが、様々な制作活動に通底している議題だとも思う。

最後に今月の15日にニュースになった記事を紹介して終わらせたい。

福島県二本松市は15日、昨年7月に完成した同市内のマンション1階の室内で、毎時0・9~1・24マイクロシーベルトと屋外より高い放射線量が検出されたと発表した。市や国などは、コンクリートの基礎部分に、原発事故で計画的避難区域となった同県浪江町の採石場の石が使われたのが原因とみて調べている。



 



上記の画像は、一見普通の新築マンションだが放射能汚染されている。先日、ホンマ先生の個展「その森の子供」を観たあとなので、不可視の恐ろしさをより感じた。

諏訪先生、ホンマ先生、柳本先生、一年間大変お世話になりました。多様な視点が増えたことに感謝致します。今後とも御指導宜しくお願いします。

日橋 慶充

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