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ニュードキュメンタリーとは何か‥‥

デザイン専攻151023山田真弓
映画の事はわからないので最近見たドキュメンタリーから探ってみようと思う。

「チェルノブイリハート」2003 監督マリアン・デレオ

「臨床」1989「視覚障害」1986 監督フレデリック・ワイズマン

「監督失格」2011 監督 平野勝之



「チェルノブイリハート」について3.11以後日本で再上映された作品。3.11がなかったら見る事はなかったかもしれない。見たとしてもこんなに身近に怖いと思う事はなかったと思う。チェルノブイリ原子力発電所事故(1986)以降ウクライナ、ベラルーシなどの放射能汚染地区では障害児の生まれる確率、心臓疾患を抱えて生まれる子供の確率は圧倒的に増え、甲状腺に癌の見つかる若者も同じように増えている。政府はその因果関係を認めていない。同じレベルの事故が起こった、15年後の現状を日本人は想像しているだろうか?(ベラルールでは新生児の85%がなんらかの障害を持って生まれてくる。)
障害児は捨てられ、孤児院ではぞんざいな扱いを受けていた。そのスタッフは「だってちっとも良くならないじゃない。」と吐き捨てた。そんな中涙を流す孤児院のスタッフもいた。自分にもこどもがいるから、と言った、壊死しそうなこどもの手足に薬を塗った。滲みるようでこどもは苦しそうに泣いた。良くなる見込みなどどこにもないのは誰の眼にも明らかだ。ある青年は事故後初めて自分の家に帰った。廃墟と化した団地から原発を眺めた。母親に行ってはいけないと言われていたにもかかわらず燃える原発を友達ととても近くまで見に行った。この映画の公開間もなく青年は亡くなった。
なんて言っていいのかわからない痛々しい気持ちになった。
フレデリック・ワイズマンについて私の見た「臨床」と「視覚障害」においてその病院と学校はすごく丁寧な対応をする施設であるということがわかった。それ以上でも以下でもない。「臨床」は6時間のなかで同じ説明を幾度となく繰り返した。延命措置をするのか、しないのか、それは「生きている」と言えるのか。医師達は話し合いその説明を何度も患者、家族に話し、納得いく最後を選ばせる。その丁寧な説明と経緯を淡々とカメラに押さえているワイズマンの姿は感じさせず、とても誠実なドキュメンタリー、と言うか私の知っている思想に偏りがあったりそのようにしむけるドキュメンタリーや個人に焦点を当てたドキュメンタリーとは違った。それは感情移入をさせないのだ。施設全体なのだ。そういう意味でそれ以上でも以下でもない、とてもフラットな映画だった。
「監督失格」個人の思い入れの激しい極めて私的なドキュメンタリーである。上記とは真逆の感情だけで出来ているような映画である。衝撃的でありながらやはり全体は暖かい、包み隠さない正直なドキュメンタリーであった。

 

ニュードキュメンタリーがなんたるか、少しでもわかろうとしたら全体がわからなくなるような掴めないもだった。ワイズマンのように全体を見る事は実はとても困難だ。映画専攻でない私にとってはニューもオールドも同じように思う。

震災において誠実になる事はなにをすることなのか、逃げたりはたまた盗んだり、全ては正しいようで間違っているようでとても考えさせられる授業でした。

山田真弓

RCサクセション / サマータイム・ブルース

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