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ジャコモ・マンズー略年譜

ジャコモ・マンズーは,現代具象派を代表するイタリアの彫刻家です。鋳物の肌触りをそのまま生かした独特のスタイルは,1960年代から1980年代にかけて世界的な人気を博し,その後の日本の彫刻界にも多大な影響を及ぼしました。

1908 12月22日、靴職人の父アントニオの12番目の子として、イタリアのベルガモに生まれる。
1919 木彫職人の徒弟となる。次にメッキ職人、さらに石膏職人のところで働く。暇を見ては素描や絵を描き、また塑造を試みる。ベルガモのファントーニ学校の夜間の造形芸術課程に通う。
1931 「椅子に座る少女」の最初の素描。父死去する。
1932 ミラノ、ミリオーネ画廊のグループ展に参加する。
1933 ベルガモの近郊アルディアーニ家のサロンの装飾に専念する。「椅子に座る少女」の等身大第一作を浮彫によって作る。絵を多く描き、又宗教的主題による銅の打ち出し浮彫を数点制作する。
1938 第21回ヴェネチア・ヴィエンナーレ展で成功を収める。
1939 第二次世界大戦はじまる。ニューヨークとサンフランシスコのイタリア美術展に参加。第3回ローマ・クワドリエンナーレ展に出品する。
1940 ミラノのブレラ美術学校教授に任命されるが、同年トリノの美術学校に派遣されそこで教える。
1942 第4回ローマ・クワドリエンナーレ展で「フランチェスカのブロンズ座像」が大賞を受賞する。
1948 サン・ピエトロ寺院の扉の最初のひな型を制作。第24回ヴェネチア・ヴィエンナーレ展でイタリア彫刻賞を受賞する。
1954 オスカー・ココシュカが開いていたザルツブルクの国際夏期学校に招かれ、彫刻を教える。ここで、バレリーナのインゲ・シャーベル(後のマンズー夫人)と出会う。
1955 「椅子に座る少女」の最終作完成。ザルツブルク大聖堂の中央扉の制作を依頼される。第6回ローマ・クワドリエンナーレ展で一等賞を受賞する。
1961 1月、東京・高島屋で開かれたイタリア現代彫刻展に出品する。
1964 ローマのオペラ座で上演されたストラヴィンスキーの「オイディプス王」の舞台装置と衣裳を担当する。
1966 国際レーニン平和賞を授与される。東京のギャラリー・キューブでジャコモ・マンズー展が開かれる。
1968 ロッテルダムの聖ウラレンス教会の扉を完成する。
1971 ロンドンの王立美術学校から名誉博士号が贈られる。
1973 東京国立近代美術館でジャコモ・マンズー展が開かれる。
1974 箱根彫刻の森美術館に「死の扉」の習作など12点を展示したマンズールームが設けられる。
1985 東京ギャラリー・ユニバースで個展を開催。11年をかけた大理石彫刻「水の精」を出品する。
1989 ニューヨーク国連本部の前庭にブロンズ彫刻「生命の讃歌」を設置する。
1991 1月17日、アルデアの自宅で83歳の生涯を閉じる。