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東京造形大学附属美術館(横山記念マンズー美術館)


 



天國と地獄。浅葉克己展

2021年9月6日(月)-10月5日(火)

開館時間:10:00-16:30(入館は16:00まで)
日曜・祝日休館 ※9月20日(祝・月)は開館
観覧料:無料 

本展は一般のお客様もご入館いただけます。
★大学入構の際は大学入口での検温をお願いいたします。
★受付にて「美術館」にいくことを守衛にお伝えください。

日本を代表するアートディレクター/グラフィックデザイナーである浅葉克己(1940- )先生の展覧会を開催します。

浅葉先生は桑沢デザイン研究所を卒業後、ライトパブリシティを経て、1975年に浅葉克己デザイン室を設立します。そこから、サントリー「夢街道」、西武百貨店「おいしい生活」、武田薬品「アリナミンA」、ミサワホーム「家ではスローにん」など、時代を代表する広告を世に送り出してきました。同時に、第一線で活躍するさまざまな分野のクリエイターたちとのネットワークを生かして、特定の領域に収まらない多彩な活動をつづけられています。

デザイナーとしての出発点にあるタイポグラフィ、デザイン思想の基盤となったバウハウス、秘境と呼ばれる場所までの世界各地を訪ねたロケ旅行、デザインの原点とみなすこともできるトンパ文字、日々重ねられることで膨大な量となった日記、クラブチーム「東京キングコング」を主宰し「六段」の段位をもつ卓球……浅葉先生の仕事にはさまざまな顔があります。今回の展覧会では、先生自身のセレクションにより、こうした仕事を可能なかぎり多く紹介します。

浅葉先生は2011年10月から2020年3月まで第10代桑沢デザイン研究所所長を務められ、同じ桑沢学園の東京造形大学では現在も客員教授をお願いしています。本展の開催により、長年にわたる浅葉先生と桑沢学園とのつながりについてもお伝えできればと思います。

東京造形大学附属美術館長
藤井 匡

 
 
 

制作を続けた人生を見つめると、天国と地獄のようでもあった。
室賀清徳さんがアイデアにまとめてくれた長文を読んでみるとそのことがよく理解できる。
浅葉克己
 
 
広告がデザインの代表的な領域とする認識はいまだ根深いが、かならずしも当初からそうだったわけではない。
 50年代、60年代のデザイナーたちがデザインの理念やイデオロギーの問題に悩みながら、デザインの社会的確立に腐心していたとするならば、つづく世代は旧日宣美的エートスの残滓にふれつつも、巨大化するマスマーケットや多様化するサブカルチャーを主戦場としていった。そこでデザインの中心領域となったのが、多様化する大衆の欲望をうけとめるソフトな装置としての「広告」だったのだ。
 浅葉克己は70年代から80年代にかけて広告をメインフィールドとして活動し、その中心的存在となったアートディレクターである。1964年にライトパブリシテイに入社した浅葉は東レ、キユーピーマヨネーズなどの広告で若手アートディレクターとして注目を集めると、80年代にはもはや伝説的となった「不思議、大好き。」をはじめとする西武百貨店の一連のキャンペーン広告を手がけ、その実力と名声を不動のものとする。
 70年代から80年代は広告の非広告化が過剰に進行した時期といえるだろう。もはや広告とはいえないことで広告として機能するイメージによって表層を埋め尽くされた都市空間が、記号的消費と差異化による価値生産が繰り返される場を生み出す。浅葉はコピーライターやフォトグラファーとの協働のもとに、このような空間の促進媒介として機能する斬新なイメージを生み出していった。
 また、ジャンルの枠を越えたクリエイターの作品発表スペースとして1976年に始まった「東京デザイナーズ・スペース」や、浅葉らも参加したグループ「サイレンサー」のようにそれまでの情報伝達技術者としてのデザイナーの認識が「表現者」や「クリエイター」という方向に一気に拡張されたのもこの時代であった。
 社会的な注目を集めたこのような動向はデザインの言説を広告中心主義、作家中心主義にシフトさせ、いまなお強い影響力を発揮している。しかし、あれから四半世紀がたち広告の在り方は、グローバル資本主義化やインターネット、モバイル情報通信機器の普及のなかで、大きく変化してきた。広告はいまやイメージ生産術の問題ではなく、コミュニケーションの設計やデータ分析の問題なのだ。
 大きな時代の移り変わりのなかで、浅葉克己はひとり飄然と自身の道を歩き続けている。卓球、アジア文字への関心、書道への入門と実践、団体の運営や教育活動で日々を忙しく過ごす一方で、近年の独自の筆触による文字や編集的な構成によるグラフィックワークは重ねた歳月に反比例するかのような若々しい境地を見せる。
 浅葉の仕事や多種多彩な活動や関心は、浅葉克己という山脈を形成してきた地層のどこかにつらなり、また見えないところで繫がりあっている。アートディレクションは浅葉克己というデザイナーの一部であって、その上位概念ではない。本特集では、80年代以降メディアによって温存されてきたアートディレクター/クリエイター神話や広告業界的言説から離れ、浅葉克己がデザイナーとしてどのような思想を持ち、どのような規律訓練(ディシプリン)に準拠し、何を目指しているのかを、時間と仕事の断層から読み解こうというものである。
 例えば若き日の浅葉がデザイナーとしての修練をスタートしたのは日本語活字の研究者である佐藤敬之輔率いる佐藤タイポグラフィ研究所であった。そこで積んだレタリングの基礎や、活字の知識によって、文字組をグレーのブロックとしかみなさない凡庸なデザイナーと違う視線を浅葉は獲得していた。
 あるいはバウハウスをテーマにしたポスターは、浅葉の身体的、パフォーマンス的行動とグラフィックデザインの実践がまったく関係ないようにみえて、バウハウスの起源のひとつにあった新教育運動、ミューズ運動の思想において繫がっているのかもしれないことを思わせる。そこに浅葉の人格形成に大きな影響があったというボーイスカウトも、ドイツのワンダーフォーゲル運動を経由してつながってくる。ついでにいえば、卓球がスポーツとして近代化されたのも1920年代のことである。
 つまり、これらはいずれも20世紀という新しい時代の青年たちのプログラムだったわけだ。そうだとすれば、浅葉のパフォーマンスや卓球、書をはじめとする身体性への傾倒は、けっしてデザインに対する余技とは言えないだろう。
 浅葉克己に刻まれた、あるいは浅葉克己が跡づけた〈しるし〉をいまどう読むか。本特集はそのためのヴィジュアル・チャートあるいはビルドゥングス・ロマンである。
(文・室賀清徳)出典:「特集:浅葉克己の記。」『アイデア』355号、誠文堂新光社、2012年、p. 004


《国際具体詩展》 日本宣伝美術協会 1965年


《不思議、大好き。》西武百貨店 1981年


《おいしい生活。》西武百貨店 1982年


《ほしいものがほしいわ。》西武百貨店 1988年


《Typography in Asia》 Cooper Union 1990年


《写楽》松竹富士 1994年


《薔薇刑》株式会社YMP 2015年


《MISAWA BOUHAUS》ミサワホーム株式会社 2020年

浅葉克己

1940年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所、佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所、ライトパブリシティを経て、1975年浅葉克己デザイン室を設立。以後アートディレクターとして、日本の広告デザインの歴史に残る数多くの作品を制作。代表的な仕事に、民主党ロゴマーク、西武百貨店「おいしい生活」、サントリー「夢街道」、武田薬品「肉体疲労にAじゃないか」、ミサワホーム「ミサワ デザイン バウハウス」など。中国に伝わる生きている象形文字「トンパ文字」に造詣が深い。東京TDC賞、毎日デザイン賞、日本アカデミー賞最優秀美術賞、東京ADC賞グランプリ、亀倉雄策賞、紫綬褒章など受賞歴多数。
AGI会員、東京TDC理事長、JAGDA理事、東京ADC委員、桑沢デザイン研究所10代目所長、東京造形大学・青森大学客員教授、エンジン01文化戦略会議幹事などを務める。卓球と書道は趣味の域を超える。卓球は六段の腕前。

主催:東京造形大学附属美術館
協力:浅葉克己デザイン室

美術館公式SNS
Instagram: tzuartmuseum
Twitter: @tzuartmuseum
Facebook:@TokyoZokeiUniversityArtMuseum

入館の際は検温を行い発熱がないことを確認し、マスクをご着用ください。
体調がすぐれない場合の入館はご遠慮ください。
発熱が確認された場合は入館をお断りすることがございます。