The Real Rio

衣 真一郎
絵画専攻領域 2013年度卒業
ギャラリーバルコでは、今年10月より月1回程度のペースで若手アーティストを中心とした企画を継続的に展開しています。第二回目となる11月は、アーティスト小川真生樹のキュレーションによるグループ展『The Real Rio』を開催 いたします。
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『The Real Rio』
大島佑樹 / 小川真生樹 / 神山貴彦 / 衣真一郎 / 宮内昴 / 村田啓 / 山形一生
2013年11月23 日(土)~12月1 日(日)[水曜休廊]
12:00~19:00
オープニング・レセプション: 11月23 日(土) 17:00~20:00
キュレーション: 小川真生樹
コーディネート: 新藤君平(ギャラリーバルコ/アソシエイト・ディレクター)
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詳細は以下の展覧会リリース[PDF]をご覧ください。
http://pesora.org/barco_release_1114.pdf
不条理な感覚
―― 風呂桶の中で釣りをしている狂人というよく知られた話がある。精神病の治療に独自の見解をもっている医者が「かかるかね」とたずねたとき、気違いのほうはきっぱりと答えた。「とんでもない、馬鹿な、これは風呂桶じゃないか。」と ――
これはアルベール・カミュの「フランツ・カフカの作品における希望と不条理」という文章の一節です。常識的な価値観を備えている人間なら、狂人とは浴槽であたかも何かが釣れるという幻想を抱いているが故に狂人なのだと連想するでしょう。しかし当の本人は、なにも釣れはしないことを知りながら風呂桶で釣りをしているのです。これはとてもナンセンスなことだと思います。しかしこれほどまでに不条理でありながら、狂人の意識が冴えている事も確かなのです。つまり、不条理と論理性とは過度なほどに結びついているものだということではないでしょうか。私が作品を作るとき、私はなにかを理解しようとか、なにかを結論へ導こうとするのではなく、逆に新しい疑問や、自分でさえもわからないようなことをしようと思っています。作品とはカフカのように不条理であるが故に論理的なものなのだと思います。それがどのような意味を成しているのかではなく、それがどのような不条理を成しているのか。私のしていることを私は理解している。しかし、私の理解していることがわからない。私の理解していることがわからないことを私は理解している... .私は何も釣れないと知っていながら釣りをしている狂人にどこか親近感を感じざるを得ないのです。
今回私が企画展に声をかけた6人の作品もどこかそのような不条理を抱えているように思います。彼らの作品は当然のことながら六人六色です。しかしどの作品もなにか一つの事実を強く言及する作品ではないように感じます。言い換えるならばある意味では言葉の少ない作品なのでしょう。強く言及しない作品は観る側に多くの余韻を感じさせるように思います。それは決して完成度が低い、なんの意思ももたないなどという話ではなく、多くの言葉を内在しそれを感覚という経験で表し鑑賞者に思考の起点を与えるような、思索の種を植え付けるような事象としての作品ということなのだと思うのです。
私を含め、この7人につよい縛りや共通項はありません。ただ、私が一人の作り手として、そして鑑賞者として彼らの作品に接した時、私がなんらかの感動と不条理性を感じ、このような機会を得たことは事実に他な
りません。
小川真生樹
近年、現代美術の潮流のひとつに、意識的に意味から距離を置くような表現が増えています。 それらはある意味では、モダンアートが背負わされてきた批判性や意味性からの逃避ともいえるものかもしれません。 しかしながら、明確な意味や意思から距離を取ることで、かえって物事の真理や深淵へと近づくこともあることを、それらの表現は示しているようにも思います。
小川真生樹が言及する「不条理」に対する自覚は、そこに含まれる矛盾(批判性から離れることもまた一つの批判性となりえること)さえも俯瞰的に取り込みながら、表現の新たな地平を探る試みといえるのかもしれません。1987年生まれの小川を含め、今回参加する作家はみな20代半ばの若手作家です。 特定のスタイルやメディアに囚われることなく、独自の美意識を追求する彼らの試みをぜひご高覧ください。
新藤君平/ギャラリーバルコ アソシエイト・ディレクター
開催期間
2013年11月23日~2013年12月1日
休館日
水曜休み
時間
12:00~19:00
入場料
無料
会場
Gallery Barco
会場住所
葛飾区亀有3丁目27-27 LA CAMERIA 1F