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教授
Professor
西洋建築史、特にイタリア近世が研究対象
History of European Architecture
東京生まれ
東京大学工学部建築学科卒
同工系大学院建築学専攻修了
1976-77 イタリア政府給費留学生
1978 東京造形大学非常勤講師
1979 東京造形大学専任講師就任
1993 教授昇任 現在に至る
「西洋建築史」I・II、「日本建築史」I・II、「近代建築史A」、「一般美術史(デザインと美術)」、「空間B」、「造形史」(大学院)などを担当。
本当は「西洋建築史」が専門なのですが、日本も近代も担当するうちに関心は「浅く広く」「古今東西」に広がりました。小さなアンテナがいっぱい立って何を見ても聞いても何かしら引っかかるものがあり、退屈することはありません。実は授業の役割の一つは「興味の種」を植え付けることではないかと思っています。専門的な知識の伝授以外に、さまざまな話題や創作のヒントなどが生の授業には散りばめられているはず。ただし、それをキャッチするには聴く側の感度もよくないとだめですね(話し手の能力も問われそうですが)。
ゼミは「イタリアの好きな人、集まれ」という形で開いているのですが、実際にはイタリア語を勉強してくる人は少なく、その年のメンバーによって内容は柔軟に変わります。2008年はイギリスからの短期交換留学生ルイーズが参加し、2009年はオランダからのグスターフが参加してくれたので、英語主体のゼミになりました(一生懸命聴くので、むしろお互いによく理解しあったようです)。2010年のゼミには留学生はいませんが、岡倉天心が1906年に英語で書いた『The Book of Tea(茶の本)』を和英対訳本で読んでいます。おもしろいですよ。
【画像1】2009年前期のゼミ最終日/集合写真
ロッテルダム・アカデミーからの交換留学生グスターフ(前列右から2人目)は、来日直前までレム・コールハースの事務所で建築設計に携わっており、コンセプトから出発してコンピューターで形態操作していくオランダ・デザインの今の主流を示してくれて、造形大生には強烈な刺激になりました。後列右から3番目のウィシットポンはタイ出身で3年次からの編入生です(この時は4年生)。
16世紀にヴェネツィアの周辺で活躍した建築家アンドレア・パラーディオを主な研究対象にしています。彼は作品と著作を通して後世に大きな影響を与えた人で、そのことを調べて『英国のパラーディアニズム』という題で修士論文を書いたのが、そもそもの始めでした(『造形学研究1』(1980)に同名論文掲載)。パラーディオ関連の本としては、『ルネッサンスの黄昏・パラーディオ紀行』(丸善、1988)【画像2】、翻訳書としてW・リプチンスキ著『完璧な家』(白水社、2005)【画像3】、そして2008年に提出した博士号請求論文を手直しして出版した『パラーディオの時代のヴェネツィア』(中央公論美術出版、2009)【画像4】などがあります。
『ルネッサンスの黄昏・パラーディオ紀行』(丸善、1988)【画像2】
W・リプチンスキ著『完璧な家』(白水社、2005)【画像3】
『パラーディオの時代のヴェネツィア』(中央公論美術出版、2009)【画像4】
表紙の写真は私が撮ったものですが、文字や縁取りなどのデザインは2010年グラフィック専攻卒業の秋葉里海さんが手がけてくれました。
西洋建築史全般に関する著作としては、『石は語る・建築は語る』(ほるぷ出版、1983)【画像5】と『図説・西洋建築史』(共著、彰国社、2005)【画像6】があります。
『石は語る・建築は語る』(ほるぷ出版、1983)【画像5】
『図説・西洋建築史』(共著、彰国社、2005)【画像6】
「磯崎新+篠山紀信建築行脚」シリーズは、若手研究者(その頃の)が論文篇を担当する形で、私も2巻目の『透明な秩序・アクロポリス』(六燿社、1984)【画像7】に「悠久のアクロポリス」を執筆させてもらいました。ギリシアが専門でもないのに引き受けたのは、西洋古典主義建築の源泉であるアクロポリスについて、その視点で書くようにという指示があったからです。この時に猛勉強したことは後々まで大変役に立ちました。
『透明な秩序・アクロポリス』(六燿社、1984)【画像7】
翻訳でも鍛えられます。大册のスピロ・コストフ著『建築全史』(鈴木博之監訳、住まいの図書館出版局、1990)の中では、16世紀を扱った章を翻訳しただけですが、よい勉強になりました。クリストファー・ヒッバート著『歴史の都の物語』上下(原書房、1992)【画像8】は、建築家の故・芦原義信氏の夫人で造形大の教授だった英語の芦原初子先生との共訳書です。時代ごとに1つの都市を選んで綴った21章からなる世界史という体裁のこの本からは都市文化史という視点を学びました。
クリストファー・ヒッバート著『歴史の都の物語』上下(原書房、1992)【画像8】
この他に『インテリア大事典』(彰国社、1988)の第1章「西洋のインテリア」を執筆し、『ブリタニカ国際大百科事典』日本語版(1995)に「家具の歴史/西洋」および「室内装飾の歴史」を抄訳+大幅加筆する仕事をし、『家具道具室内史』学会の同名の会誌創刊号(2009)に「西洋のインテリアと家具に関する読書案内」を書くということなどが間をおいてあったので、この分野も自分の守備範囲に数えるようになりました。
西洋建築史研究とは古い時代を扱う上に本や史料がたよりの地味な専門分野ですが、現物を見るために旅行もするのでうらやましがられることもあります。実際には建築史家として書くものには一言一句、責任をもつ必要があり、材料を調達し裏を取るための下調べは大変で、量産はできず、大学の休みの期間は貴重な仕事のための時間になります。
大学では研究者としての姿はあまり表に出しません。2007年と2008年の『東京造形大学[研究報]』に続けて論文を掲載しましたが、そのことに触れてくれた学生は一人もいませんでした(笑)。授業でもパラーディオについての話はミケランジェロより少ないくらいです。出し惜しみしているわけではないけれど、興味のない相手に押し売りはしたくないのです。私が伝えたいことは「勉強は楽しいよ」ということだけ。研究者にとっての楽しさとは水面下の苦労も含めてのものですが、研究者になる必要のない学生さんたちには純粋に楽しく勉強してほしいと思っています。
文化審議会文化財分科会の下部機関である建造物委員会の専門委員をしています。文化庁の調査官が作成した文化財建造物の指定および登録候補の案を検討する委員会で、出席するたびに収穫があります。特に興味深いのは1996年から始まった「登録有形文化財」という制度で、築50年を超えた建造物で保存する価値のありそうなものはとりあえず「登録」して、「壊しては建て」を繰り返してきた日本の悪しき慣習に歯止めをかけ、落ち着いた景観を少しでも保持していこうという趣旨のものです。公共建築、民家、商家、酒蔵、橋、ダム、鉄道施設などあらゆる物件が対象ですが、地方の素封家などの屋敷の場合、母屋、離れ、蔵、納屋、門、塀といったものもそれぞれ1件として数えられます。毎回150〜200件が候補にあがり、14年間の累計は8千件を超しました。日本にもまだこんなによいものが残っていると知ることは嬉しく、また最近は古く趣きのある建物の保存活用を促す動きが活発になってきているという事実にも励まされます。
「登録」の条件は緩やかですが、「重要文化財」に指定されるのは選りすぐりの名品に限られます。戦後の建築としては初めて、丹下健三の「広島平和記念資料館」(1955)【画像9】と村野藤吾の「世界平和記念聖堂」(広島、1954)【画像10 & 11】の2つが同時に2006年4月に重文指定されました。
先月、広島に行く用事があり、この2つを見てきました。原爆ドームを軸線にとりこんだ丹下健三の平和記念公園計画全体の素晴らしさはいうまでもありませんが、村野藤吾設計の「世界平和記念聖堂」にも深く感動しました。発注にあたったラサール神父から出された「和の要素を取入れること」という条件を西洋の教会堂の伝統と見事に擦り合わせ、戦後すぐの物質的制約の多い中で工夫を凝らして簡素で美しい祈りの場を実現させ、それが人々に今もとても愛されているということがよくわかったからです。
広島は海に近く、山も見え、幾筋もの川が流れ、住みやすそうな適正規模で高層建築も邪魔になるほど多くなく、きれいな町だと思いました。こうした景観を守りたいと人々が強く思えば、それは実現します。
東京はちょっと手遅れの感もありますが、まだ救えそうなところもあります。経済優先、効率優先の価値観から脱して人間的な環境を取り戻すことが21世紀の大きな課題ですが、デザインを通して環境改善に貢献することは可能です。楽しく学びながらぜひそのような力を養っていってほしいと思います。
【画像9】広島平和記念公園と原爆ドーム
【画像10】世界平和記念聖堂
【画像11】同内部