TOKYO ZOKEI UNIVERSITYだれかで終わるな。

東京造形大学工房運営課 風間 純一郎 Junichiro Kazama

テキスタイルデザイナー

吉本 悠美

Yumi Yoshimoto

PROFILE

学士課程 デザイン学科 テキスタイルデザイン専攻領域 2013年卒業・修士課程 デザイン研究領域2015年修了。テキスタイルデザイナーとして、自身のブランドと企業の商品開発を両立。造形大の講師も務めている。

学びのスイッチが入ったきっかけは?

テキスタイルデザインを本気で学び始めたのは大学院からなんです。恥ずかしながら、学部生時代はデザインというより、ただ自分本位な表現をしていただけで遊び優先で。目が覚めたのは、就活のつもりでインターンに参加した時です。他の子たちが優秀で、私だけ何も知らないという疎外感を感じて愕然としました。4年生になっても何も得ていない、足跡一つさえつけていない、できないことだらけだと猛省して、院に進むことにしたんです。教授には「大学院は遊ぶところじゃないぞ」と苦笑いされましたが。

大学院で本腰を入れ始めてからは、テキスタイルの先生方からも影響を受けましたし、デザインというフィルターを通して、世の中の様々な物を見る視点が養われました。ファッションに興味があったので、服作りに携わる前提で1から布を学ぼうと思ったのですが、学部3年生で教わったはずのプリントの基礎から学び直したので、古今東西の様々な布地に触れながら、あっという間に2年間が終わってしまって。結局、在学中に服は一着も作れず(笑)。プリントの沼は思っていたよりも深く、今も探索中です。

何を目指していますか?

何を目指すか?ということより、求められることに心が動いていきます。体力も気力もあり余るほどあって、エネルギーを使い切らないと落ち着かない。いつも、何かに向かっていたい気持ちでいっぱいなんです。

今は自分のブランドを立ち上げて、テキスタイルメーカーのデザインを複数手掛け、教職にも就いている。どれも好きでやっていることで、すべてに全力投球です。その一方で、刺激を追い求めるまま、少し広げきった感もあって。スタートが作家ではなく、企業のデザイナーだったので、案件ごとに作品が異なり、作風と言えるようなものがありません。もしかすると、対象に合わせて色を変えられることが私の個性ともいえるのかもしれませんが、来る玉をひたすら返し続けている状況なので、何か一つに集約したい気持ちもあります。アイデンティティのようなものが欲しいのかも。求められなくても自らの内から発信できるようなクリエーションが理想ですね。

表現者としてのマイルールは?

興味を持ったものは全部手に入れます。たとえば、韓流アイドル。BTSはなぜ流行っているのかな?と思って調べ始めたら、好きになってしまって。写真集やファンボックス、出演している映像はコンテンツ作品はもちろん、SNSからYouTubeまで片っ端からチェックして。お金がなくても買ってしまいますし、とことん調べあげてコンプリートします。何でも突き詰めて体験的に納得しないと気がすまないんですよ。

たとえば、黒や白の服は絶対着ないというマイルールがあったのですが、最近はモノトーンのシンプルなセーターも着るようになりました。ファッションは自己表現そのもので、黒白はどんなスタイルでも無難にきまるから自分の好みや個性が反映されない、意志を感じられない色だと思って避けていたんです。ところがコロナ禍になってみて、黒い色を選ぶ気分もあるんだなと、理解できるようになって。景気が悪くなると、天然繊維の長く使える服の売り上げが伸びるんです。化学繊維の色柄ものなど、遊び心があるものが売れなくなる。景気や流行は関係なく、スティーブ・ジョブズのように黒のシャツしか着ない人もいますしね。 そういう自分にはない個性にも触れて、共感してみることも大事ですね。

「だれかで終わるな。」というメッセージの意味は?

大学のキャッチコピーにしては正直、手厳しいなぁと思います。オンリーワンになれという意味なら、体現できているのか、自分の中にも不安があるから、ドキッとしますね。

自分の足で立ちたいという思いは、物心ついた頃からありました。両親が公務員で、堅実な生き方を見て育った反動なのかもしれませんが、自分はもっと自由に生きたいと思っていました。メーカーに入らなかったのも、学部3年生の時に個人事務所のインターンを経験して、規模は小さくても、好きなことや個性を活かせる仕事の楽しさを実感したからです。実際に社会に出て、能力を発揮する自信があったわけではありませんが、学んだことを自分なりに昇華して、世の中のためになりたいという気持ちが強かったんです。そういう意味でも、造形大の教職は理想としていた生き方にフィットしています。染めや織りの授業を通して、自己表現の世界が鮮やかになったように、学生たちの未来もカラフルになったらうれしい。彼らの意見に耳を傾けたり、一緒に考えることも刺激になりますし。請われてするアドバイスは案外、自分への戒めやメッセージだったりするんですよね……。

「だれかで終わるな」ということは、社会を意識すること。だれかと向き合うこと。自分と異なる様々な考えや感性を受け入れて、素養を蓄える時期も必要です。周りにいる人がいてこその、「だれかで終わるな」なのだと思います。

だれかで終わるな。