TOKYO ZOKEI UNIVERSITYだれかで終わるな。

東京造形大学工房運営課 風間 純一郎 Junichiro Kazama

東京造形大学企画・広報課

松下 綾子

Ayako Matsushita

INTERVIEW

PROFILE

桜美林大学卒業後、米ヴァージニア州Hollins University大学院にて修士号取得(Creative Writing)。2013年から東京造形大学職員。戦前・戦後の日米の歴史をテーマに執筆を続ける。

広報担当者として学生と関わるなかで、
東京造形大学の学生はどんな学生だと感じますか?

美大には縁がなかったので、当初は完全に異世界に来たと思っていましたが、意外と自分の学生時代と似た雰囲気があります。今、「ZINE」が流行っていますが、実は私も学生時代に詩と写真をまとめたZINEを作っていたんです。先日も学内で大規模なZINE展があったのですが、懐かしい気分になりました。好きなことを追求する「熱」は、学生ならではですね。

キャンパスでは、学科・専攻ごとに、さまざまな課題に向き合う学生の姿をよく見かけます。工房やアトリエなどでは黙々と学生たちが作品づくりに精を出していて、学内のあちこちで学生の作品に出会うことができます。学生が隣り合って、ひとつの工房やアトリエで黙々と制作作業を行い、思い思いに作品を形にしていく過程は、相互に素晴らしい影響を与えているのではないかと思います。

本学に来て衝撃を受けたことはありますか?

高校生に学内を案内した際に、1年生のドローイングの授業を参観する機会がありました。モチーフやモデルを円形に囲んで、多くの学生がキャンバスに向かっていたのですが、誰ひとりとして同じ線を描いていなかったんです。ある学生は敷物の柄を熱心に描いていたり、モデルを重点的に描いていたり、なかには空間全体を描いている人もいたり。

そのときに強く感じたのは、ひとつの問いに対する答えは決してひとつではないということです。同じように見える光景でも、人によって見えている世界はさまざまで、その表現方法は千差万別です。

また、学内ではさまざまな展覧会が行われていて、これが面白い。そのひとつひとつに、ついつい見入ってしまいます。学生たちの創作活動や作品に対する想いはいつになっても惹きつけられます。

「誰かで終わるな。」という
タグラインの率直な印象は?

プライドというか、内なる感覚を刺激される言葉ですね。 個人的には、東京造形大学を卒業したあとに思い出してほしい言葉です。10年20年経って、何かを成し遂げたとき、この言葉を思い出して「誰かで終わらなかったぞ」と実感する瞬間が、ひとりでも多くの人に訪れてほしいと思っています。

社会のなかで「誰か」ではない「自分」を見つけるためには、必ず他者からの評価を受けなければなりません。大学では、様々なスキルを身に付けられますが、それらを活用して生きていく場所は、自分自身で切り拓いていく必要があります。社会に出て生き抜いていくためにも、自分が持ったスキルを発揮できる場所を見つけてほしい。「誰か」ではなく「自分」を確立できる場所を、もがきながらでも探して欲しいです。

学生に対するメッセージをお願いします。

さまざまな学生や、作品に触れるなかで感じるのは「自分の言葉」を持ってほしい、ということです。デザインでも美術でも、自分がなぜその作品を作ったのか、なぜその製品やサービスを考案し、提案するのか、また、そこにはどんな苦労や工夫があったのかを、自分の言葉で発信する力を持ってほしい。私自身、アメリカへ留学して文芸創作を学びましたが、作品を書くことよりも大変だったのは、読み手や教員のコメントに対し、自分の考えや想いを伝えることでした。作品には、歴史的背景や文化的な意識の差異があります。これらを伝える「自分の言葉」を持つことができれば、色んな場面で活躍できると思います。

たとえ拙くても「自分の言葉」で、想いを宿した作品を、他者に分かりやすく言語化できるようになれば、もっと世界は広がる。自分が納得するだけでは終わらない、他者への関わりを通した豊かな創作活動になると思います。きっとそれが、「誰か」でない「自分」を探すためのヒントになるはずです。

だれかで終わるな。