TOKYO ZOKEI UNIVERSITYだれかで終わるな。

東京造形大学教授 池上 英洋 Hidehiro Ikegami

東京造形大学教授

池上 英洋

Hidehiro Ikegami

INTERVIEW

PROFILE

専門はイタリアを中心とした西洋美術史・文化史。著書に『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて(筑摩書房)』など。展覧会監修に「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像(東京国立博物館、2007年)」など。

だれかで終わるな。
どんな感想を抱きましたか?

私は日頃から、学生には「だれかのコピー」だけの存在になってほしくはないと考えていました。ですから、このタグラインには強く共感を覚えています。

私には美術史を通して学生に伝えたいことがあります。それは「はじめから天才だった人間なんていない」ということ。美術史では、偉大な芸術家の生涯を知るだけでなく、後世に残るような素晴らしい作品が生まれるまでのプロセスを学んでいきます。その学びのなかで、どんな作家も「ゼロから芸術を生み出していたわけではない」ということがわかってきます。たとえば、ルネサンス期の偉大な画家にボッティチェリがいますが、彼の最初の作品は、師匠であるフィリッポ・リッピとそっくりなんです。当初は彼もコピーだけの作家だったわけですが、師匠の作品の模倣を繰り返すうちに、彼自身の独自性を生み出していったのです。

独自性はどうすれば
身につく?

芸術を志す者であれば、だれにも真似できない作品を生み出したいと考えるものです。しかし、真の独自性とはすぐに身につくものではないと私は考えています。先ほど申し上げたボッティチェリにしてもそうですが、偉大な芸術家はみな、まるで修行のような作業を繰り返し、先人たちから学ぼうとする強い意志を感じます。蓄積された知恵を身につけることで創造力を成長させていったのですつまり、真の独自性を得るためには「一度コピーをする」ということが必要なのではないでしょうか。逆説的ではありますが、「だれでもない自分」になるためには、「だれかになってみる」ことが大切なのです。

芸術家にかぎらず、近年のクリエーターを見ていると、だれもが簡単に独自性を手に入れようとしすぎていると感じています。このようなクリエーターは1、2年は活躍できても、10年、20年と続かなくなってしまう。これは独自性を身につけることだけが目的となってしまい、その世界や業界に蓄積された知恵を軽んじた結果、作品の深みや味わいが不足してしまうからではないでしょうか。

具体的にはどのような
アクションを起こせばいい?

本学ではレオナルド・ダ・ヴィンチの没後500年を記念して「Zokei Da Vinci Project」を実施しています。これは、2019年度の授業のなかでレオナルドの芸術について学びながら、未完成作品や欠損した作品の復元、構想段階で終わった作品のヴァーチャル再現などを学生たちにチャレンジしてもらうという画期的なプロジェクトで、世界初の試みです。

これはまさにレオナルドの作品をなぞらいながら、その技法などを学ぶ修行のようなもの。知の巨人とうたわれたレオナルドの作品ですから、模倣するだけでも相当な努力が必要になります。作品づくりの段階で、脱落してしまう学生が出るほど厳しいものでした。しかし、こうした先人の知恵や技法を模倣し、修練する作業は、独自性を身につけるために必ず役立つはずです。地道で泥臭い作業ばかりですが、そのなかで自然に蓄積される先人の知恵を自らの血肉に変えることが、新たな作品を生む創造力になると信じています。

偉大な先人のようになるため、
どんな学生になってほしいですか?

美大生は、一般大学の学生よりもやりたいことが明確で、将来なりたい自分が定まっているという意味では幸せだと思います。また、本学の学生は、とても勉強熱心で真面目です。本学は規模がそれほど大きくはないので、そうした学生に向けた教員のケアもかなり細かく行き届いてると思います。教員同士のコミュニケーションも密に行われていますから、学生たちが貪欲になればなるほど、さまざまな分野を学ぶこともできるのです。

そのような環境を最大限に活かすためにも、学生たちには、より強い好奇心をもってほしいと考えています。芸術に真面目に取り組むのはいいことですが、見聞や知識を広げるためにはもっと遊んでもいいと思います。不真面目になれというのではなく、いろいろなことに興味や関心を抱ける人間になってもらいたい。そうした好奇心こそが、知恵や技術を深める最大の原動力になるからです。好奇心は、いわば「だれかで終わらない」ためのエンジンなのです。

だれかで終わるな。