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留学生レポート(大庭三奈)

大庭三奈

領 域 : 絵画
留学先 : オーストリア ウィーン芸術アカデミー
期 間 : 2010年2月23日~7月13日
担当教授 : Judith Huemer
研究テーマ(タイトル) : 生死を見つめる


研究概要

市内の墓地や教会に通いながら、ウィーンにおいての死にまつわる文化をリサーチし、そこから制作する。
St.Marx墓地にてヴィデオ作品を制作。


研究成果

oba01私は日本の寺の娘として育ち、葬儀屋でアルバイトをしながら日々感じている生死に対する疑問をテーマに制作しているので、ウィーンにおいての死に対する人々の考え方や扱い方をリサーチしたいと思い留学を希望しました。
ウィーンには人口400万を想定されて建設された広大な中央墓地や、2000体の遺骨が保存されている教会の地下納骨堂、葬儀博物館など 死にまつわる場所が多く存在し、どれも東京ではなかなかみられないものばかりでした。
地下納骨堂では2000体の古い遺骨がむきだしで積まれており、一回5ユーロほどの観光ツアーで中を見学しに行くことができます。 又、代々の皇族の棺などが保存されている場所などもあり、そこも又数ユーロ支払って中に入れる観光スポットとして存在します。墓地もガイドブックにのっており、人気の観光スポットのひとつです。
現地の人は墓地のことを「Beautiful」と形容し、晴れた日にはご老人やカップルなどがお参りではなくただ散歩するためだけに訪れてのんびり過していました。
そういった死をイメージさせられる場所に対するおおらかな態度は、東京にはないものです。
墓地における埋葬の仕方についても違いが見て取れます。ヨーロッパは土葬としてそのまま土に埋めてしまうので、日本よりも死者の存在感があるように感じました。日本では遺体は火葬してちいさな壺に入れ埋葬し、動物の死体はできるかぎり速やかに片付けられ、特に東京においての死はできるだけ隠蔽すべきものとして扱われています。その反応は少し潔癖ではないかと思いました。
棺に入れられてそのまま土葬されている墓地という状態が私には新鮮で興味深かったので、St・Marx墓地に通い、墓のまわりの柵をベッド(2段ベッドやベビーベッド)に見立てたパフォーマンスビデオを撮影しました。 出てくるイメージを形にしながら、最終的には三種類の映像が出来上がりました。


留学先指導教員による指導内容

oba02しっかりしたカリキュラムに沿って行われる東京造形大学と違い、アカデミーはとても自由で、私のメインのクラスは二週間に一度のミーティングのみ、講評も期限もありませんでした。
ミーティングでは毎日2人づつ自分の制作について発表し、それについて話し合いが行われました。教授も1クラスメイトも1アーティストとして同じ立場で発言しあっていました。
話し合いの場所も発表する生徒が決める事ができ、公園で行ったり、キャンピングカーの中で行われたりしました。
「クラスの雰囲気がとても自由で、教授と生徒の立場が対等な気がする」という話をデンマーク出身のクラスメイトにした所、「誰も何も言わないから、全部自分でやっていかなきゃいけないの。私のいたデンマークは、もっともっと会社や学校においてヒエラルキーがなくって、みんな対等に接するのが、今おしゃれな社会のあり方とされていて、自分の可能性や行動力を伸ばすのにはそれがいいっていうのが、ヨーロッパの考え方なんだよ」と教えてくれました。
私の発表に対して、クラスメイトも教授も面白がってくれたように思いますが、私の英語力では言いたい事をスムーズに伝えることは難しく、特にディスカッションについていって発言する事はまだまだで、悔しい思いをしました。

教授に何か強い指導をされた記憶はありませんが、こういった大学の全体的な雰囲気から、とにかく自分で決めて自分でどんどんやっていかなければならないという事を意識させられました。誰も何も言ってくれないので、自発的に自分の行動に責任を持ちながら動いていかなければ何も得られないからです。


留学中に、特に印象に残った点および反省点

授業が始まって一番に思ったことが、周りの学生の作品が、日本のクラスメイト達の作品の雰囲気と少し違うな、という事です。私のいたArt in Practiceというクラスは、造形大学の広域と同じく、技術や手法が自由という趣旨の現代アートのクラスでしたが、コンセプチュアルで見た目にはあまりこだわらず、外に出て(社会において)発言をする、なにかアクションを起こすといったタイプの30歳手前の学生ばかりで、日本よりアーティストを目指している人が多いようでした。一方何か物を作ったり、アトリエに篭って作業を重ねたりといった仕事は、日本の学生の方が得意な気がしました。
生活において印象に残ったことは、どこへいってもマイノリティーで在ると言う事です。まず日本人として見られ、「あなたは?」という質問よりも「日本人は?日本では?」という質問や発言が多く、やはり私は外国人だと言う事を常に思い知らされました。はじめはさびしくも感じましたが、日本人以外になれない自分に気づいてひらきなおってからは、その差を面白く感じることができ、日本人であることを大事なアイデンティティの一つであると思えるようになりました。
又、造形大学からの留学生は私1人だった為と ドイツ語が理解できない為、一人で自分に向き合う時間が多くありました。日本ではあまり一人の時間を確保できない私にとってそれは新鮮で、今までじっくり向き合えなかったことを見つめなおす贅沢な時間になりました。
この半期の留学期間は、出発前に私が想像していたよりもずっと刺激的で、得られるものが多くあり、これからの自分に繋がるものでした。素晴しい機会を与えてくださった造形大学と両親に感謝しています。