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留学生レポート(畠中景子)

畠中景子

領 域 : 彫刻
留学先 : オランダ ハーグ王立芸術アカデミー
期 間 : 2009年3月1日~3月16日
研究テーマ(タイトル) : 日本と欧州での現代アートにおけるアイデアやコンセプト、表現の相違点の研究


研究成果

「FootPrint/Food」

3Dクラスは「FootPrint/Food」(このFoodは単純に食べ物の意)というプロジェクトテーマに取り組んでいた。
私は主に大量生産大量消費社会における“食”をテーマに写真作品を作っていたので、ディスカッションの際に自身の作品のプレゼンテーションを行わせてもらった。
その際のクラスメイトから受けた様々な意見は非常に興味深かった。
バイオテクノロジーによって、無用に進化され、多様化され、それが当たり前のようにスーパーに並ぶ野菜について疑問をもち制作した、野菜のポートレイト作品に対し、オランダには日本と違い、そんなに野菜に種類がない、だから共感できない。または、日本の特異な文化に対し興味を持ってくれる学生も居た。まず消費大国日本の現状を説明するのが大変だった。日本には異常なまでにものがあふれ、それが世界の中ではとても異質なことであることをいまさら思い知り、作品のメッセージが民族による価値観の違い、文化の違いによって、普遍的でない場合が当たり前にあるという単純な事、そして、それらの価値観の不一致により生じる違和感、それが日本人の私のルーツであると気付かされた。
また、若い裸の女性が食用豚の頭部を持って微笑むというポートレイト作品に対しては、担当教員2人の評価が分かれ、一方からは好意的な意見をもらえたが、一人の先生からは「説教くさくで押し付けがましい作品。Poetryが無い。」と言われ、私は技術やキャッチーで表面的なメッセージ性やコンセプトだけに固執し、何か大切なことを掛け違え、作品にとって重要なものを無視していた事に気付かされた。Poetryとは何か?それは一見簡単な答えがありそうで、とても難しい。
また、「食」という一見普遍的なテーマは、民族・文化の相違によってまったく違う顔を持つ。オランダのような様々な人種が集まる国では、このような挑発的な作品は、慎重にならなければいけない、宗教的な問題も派生してくることもしっかり考えておかなければいけなかった。そのような反応は予定していたが、やはりクラスメイトからは宗教的な視点から意見された。
 学校外でAmstelveeにある違うアカデミーでFoodとArtについての講義があると聞き、聴講に行ったりするなど、できる限り、自分が元々興味を持って取り組んでいた「Food」というテーマを日本にいたときとは違う目線で学ぼうとした。
オランダで作品を残すことが出来なかったことは非常に残念で心残りである。しかし、今も私はしつこく「食」や「食べ物」をテーマに異国オランダで学んだことを生かしながら、日本で作品を作っている


留学先指導教員による指導内容

3Dクラス(週二回)。
授業内容は主にプロジェクトのディスカッションが主だった。 その後担当教員と制作の進行状況などの個人的な面談を行う。

ArtHistory(週一回)
ArtHistoryでは教室での座学に加え、美術舘に行き、展示についてディスカッションする。
私の行った時期はビデオアートについての講義が行われており、一週目の授業中はBill・Violaやナムジュンパイクの映像を鑑賞し、二週目はRotteldamのボイスマン美術舘で行われていたピピロッティ・リストの展示を見に行った。


留学中に、特に印象に残った点および反省点

 他大の大学院の入試、卒業制作展、五美術大展、ゼミでの展示が2月に立て続けにあり、すべてが終わった3月の頭にようやくオランダへ飛び立つことができたが、土壇場で余りにバタバタしていた私を旅立ちの日、見送ってくれた友人は私より不安そうな面持ちだった。4月から大学院への進学が決まっていたのでたった1ヶ月の短い期間での留学となった。
短い期間、学校が無い日はなるべく美術舘やギャラリーに足を運んだ。ハーグ王立アカデミーからはマウリッツハイツ美術舘がとても近く、授業が終わった後は美術舘に休憩に行くことができた。
オランダではとにかくMuseumというのは人々にとって身近な場所で、現代アートの美術舘で自由に作品についておばさんが持論を語っていたり、会社帰りのおっさんがマウリッツハイツ美術舘で生き抜きしていたり、サッカーの試合を応援にきた大量のいかついスコットランドサポーターが、オランダ戦の前日まで夜のアムスで、ドンちゃん騒ぎをしてたかと思うと、オランダに負けた次の日は、Tシャツ一枚にタータンチェックのスカート姿の男たちがスタジアムではなく、ゴッホミュージアムにいたりする。
そんな、なんだかハッピーな様子を見ているだけでアートっていいな。と初心に立ち返ることが出来た。
沢山楽しい出来事があった。アムステルダムの公園を散歩していると、偶然、造形性に出会ったりした。環境になかなか馴染めずに、自分の事をマヨネーズにたらされた一滴の醤油のようだと、自意識過剰に孤独を感じていた私にとって、オランダでの日本人との出会いはことさら助けられた。そして、慣れない生活で、私を支えてくれたオランダの友人たち。担当の2人の先生は厳しいことも言ってくれたが、いつもとても優しかったし、丁寧に言葉を伝えようとしてくれ、私の言葉を理解してくれようとした。オランダでの生活は完全に言語が抜け落ちた1ヶ月だった、相手に感情を伝えることがコミュニケーションの第一歩だった。楽しいときはやたら楽しそうに、嬉しいときは嬉しそうに、その逆も然り。まるで赤ちゃんみたいだが、最初はそれさえ難しかった。それでも私を見守ってくれたクラスメイトや先生、日本人の友人たちに感謝の気持ちで一杯だ。
美術館での人々の楽しそうな表情、自分の意思を自由に言葉で伝えることが出来ないもどかしさ、オランダ人の自由な表現、自分の作品への葛藤、たった1ヵ月で、毎日のように私の心に触れてくるような出来事や発見が沢山ある。そんな中で、ようやくPoetryとは正直な感情や感動を表現することであり、それを伝えようとする努力を怠っていた自分に気がついた。そんな根本的で大切なことを、課題制作へのプレッシャーの中で作ることが楽しくなくなり、表面的な技術でごまかそうとして私はおざなりにしていた。色々な人に出会い、感化され、視点を変えて、やっと見えてくるものがあった。なりよりアートとはハッピーなものなのだと確信を持てた。私はオランダで学んだことを忘れず制作して行きたい。とても大切なことを学んだと思う。たった1ヶ月だったけども非常に充実した1ヶ月だった。いつかまたオランダに行きたい。会いたい友人がいるし、今の作品を見てもらいたいと思う。
このような機会を与えてくれた大学に感謝すると同時に、出発まで日本で私を支えてくれた両親、友人や先生方、職員の方々に心から感謝しています。ありがとうございました。