長谷川 章
ハセガワ アキラ / HASEGAWA Akira
職位:教授
担当専攻領域/科目群:室内建築専攻領域、大学院
- プロフィール
- 経歴詳細
- 教育活動
- 職務上の実績
- 研究活動
研究分野
建築設計、近代ドイツデザイン
Theory of modern german architecture
略歴
1954年東京生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。西ドイツ政府給費留学生としてアーヘン工科大学建築学科留学。「北ドイツ表現主義建築の研究」にて工学博士(早稲田大学)。1991年東京造形大学助教授。2001年東京造形大学教授。現在に至る。日本建築学会会員。「横浜人形の家」にて商環境デザイン賞大賞受賞(1987)。「東急百貨店東横店」照明計画にて北米照明学会特別表彰(1990)。主な著書に「ドイツ表現主義の建築」鹿島出版界 (1989)、「世紀末の都市と身体」ブリュッケ(2000)、「芸術と民族主義、ドイツ・モダニズムの源流」ブリュッケ(2008)。
学歴
1973年 4月 | 早稲田大学 理工学部 建築学科入学 |
1977年 3月 | 早稲田大学 理工学部 建築学科卒業 (工学士) |
1977年 4月 | 早稲田大学大学院 理工学研究科建築工学専攻 修士課程入学 |
1979年 3月 | 早稲田大学大学院 理工学研究科建築工学専攻 修士課程修了 (工学修士) |
1985年 10月 | 西ドイツ・アーヘン工科大学建築学科入学 |
1987年 9月 | 西ドイツ・アーヘン工科大学建築学科退学 |
1991年 3月 | 工学博士の学位取得(早稲田大学) (工学博士) |
職歴
1979年 4月 ~ 1991年 3月 | 株式会社 坂倉建築研究所入社 技師 |
1989年 4月 ~ 1991年 3月 | 東海大学非常勤講師 |
1991年 4月 ~ 2001年 3月 | 東京造形大学形学部デザイン学科助教授 |
1998年 4月 ~ 2000年 3月 | 早稲田大学教育学部非常勤講師 |
1998年 4月 ~ 2003年 3月 | 慶応義塾大学理工学部非常勤講師 |
2001年 4月 | 東京造形大学造形学部デザイン学科教授 (現在に至る) |
2002年 4月 | 早稲田大学オープン教育センター・テーマカレッジ非常勤講師 (現在に至る) |
2005年 4月 | 東京造形大学大学院造形研究科造形専攻(修士課程)デザイン研究領域担当 (現在に至る) |
学会及び社会における活動等
1976年 4月 | 社団法人日本建築学会 会員 (現在に至る) |
2000年 1月 | 社団法人日本建築学会 論文集査読委員 (現在に至る) |
賞罰
1977年 11月 | 日本建築学会主催設計競技全国審査 3等 |
1987年 12月 | 第31回神奈川県下建築コンクール最優秀賞(共同受賞) |
1987年 12月 | 商環境デザイン賞大賞(共同受賞) |
1988年 2月 | 横浜まちなみ景観賞(共同受賞) |
1990年 8月 | 北米照明学会特別表彰(共同受賞)Illuminating Engineering Society of North America,Paul Waterbury Outdoor Lighting Design Award Special Citation |
1993年 2月 | ヤクルト独身寮全国公開設計競技奨励賞 |
1993年 9月 | 狛江市狛江駅前北口交通広場アイデアコンクール 1席受賞 |
教育方法の実践例
河川からの都市景観の体験と親水空間の理解
/ 1994年
4月28日
物流の中心が道路に移る前は、川が物流の中心であった。江戸は運河の都市であり、東京の基本的な都市構造にはこうした江戸時代の都市構造が残存している。よって東京の都市景観を理解するために墨田川に着目し、船上から河川越しの都市景観を体験して現代の東京の都市景観の問題点を探るとともに、景観という観点から建築のデザインを提案させる。
動物園の獣舎の見学を通した舞台空間の理解
/ 1994年
6月15日
都市空間が自己のアイデンティティを確認するための重要な要素であるということを学ばせるために、アイデンティティを補足する背景としての建築物の事例を見学する。具体的に日本建築学会作品賞を受賞した昆虫館を含めた多摩動物園を見学する。動物園の獣舎は人間がその動物に最も相応しい背景として設計しており、その造形的意味を理解させる。そうした視点を獲得し、インテリアデザインとしての都市空間や建築空間を理解させる。
商店街の街作りを現地学習
/ 1995年
10月26日
街作りの学習に、資料によるレクチャーでその概要を把握した後、現地を訪れて学ぶ。具体的に30年を掛けて商店街を改修した横浜元町商店街を訪れ、現場でその実際を見聞する。また同時に横浜市都市計画局の担当者を招いて街作りの経緯を現場でレクチャーさせ問題点を解説してもらう。また最近の防犯カメラによる市民の監視の状況も学ぶ。
都市空間における新しい歩行者空間のネットワークを提案する実習
/ 1995年
9月
~
1995年
12月
単なる物流と化した道路並びに街区システムとしての都市を、人々の生活空間として奪還することをテーマとした建築設計の課題である。現状の都市の問題点を、実際に横浜関内地区の街区を事例に、現地で車中心の社会の問題点を抽出する。次にそれに対して既存の街区システムとは異なった体系として、新たな歩行者ネットワークを提案した横浜緑園都市における建築家山本理顕設計の駅周辺の再開発を見学し、その空間の魅力と問題点を現地で分析し、これらの事例を参考にして新たな都市の歩行者空間を提案させる。
街路空間における色彩計画についての学習
/ 1996年
10月24日
色彩は日差しの角度や強さばかりでなく具体的な素材により異なってみえる。よって教室内での学習では無意味である。そうしたことを理解するために横浜の伊勢崎町モールと馬車道を見学し、人間の視覚が把握する明度や彩度や色相について、具体的な道路面や建築物、看板やストリートファーニチャーを取り上げながら、横浜市都市計画局都市デザイン室の担当者の説明を現場で受けながら、個々の問題と街路景観全体の問題を論じる。
海外研修による国際的視野の獲得
/ 1997年
~
2004年
授業で取り上げた海外の都市や建築を実際に訪れる機会を与える。自由参加であるが、安全と衛生に十分気を付けて、学生を引率して都市空間や建築そして伝統文化の体験をする。
(1)第1回は15名の学生が参加しインドを訪れヒンズー寺院やイスラム建築を中心に、デリー、ジャイプール、アグラを訪れ、ベナレスではガンジス河からガートの沐浴風景を見学した。
平成9年3月20日~27日
(2)第2回の研修旅行では14名の学生が参加して、インドのデリーを経由してネパールの都市と建築を見学した。首都カトマンズの王宮を始めとしてバクタプール、パタン、パシュパティナート、ティミ、ボーダナート、キルティプールの諸都市を訪れてネワール族の文化に立体的に接した。またナガルコットのラマ教の村を訪れスケッチをしながら見学した。
平成10年3月22日~28日
(3)第3回の研修旅行では18名の学生が参加して、再度インドを訪れた。デリー、ジャイプール、アグラ、カルカッタといった大都市ばかりでなく、プリンダーバンやマトゥラといった観光化されていない小さな村も訪れた。またサンガネールの村では染織の職人の工房を訪れたり、ディガンバラ寺院の礼拝に参加するなど、現地の生活を体験した。
平成11年3月21日~28日
(4)第4回の研修旅行は37名の学生が参加し、中国江南地方の蘇州を訪れ、水郷地帯の独特の都市と庭園と建築文化を体験した。拙政園や留園をはじめ主要な世界遺産の庭園を全て訪れ、その視覚空間について学んだ。更に杭州、無錫の都市ばかりでなく水郷村である南尋などを訪れ親水空間を体感した。また御窯村を訪れ、煉瓦や磚の製造現場を見学した。
平成12年2月14日~20日
(5)第5回の研修旅行では41名の学生が参加して、アフリカのモロッコを訪れた。カサブランカ、ラバト、フェズ、エルフード、ティリネール、ワルザザード、マラケシュを訪れ、中世のまま残るメディナやカスバなど、ベルベル人の造った都市文化やイスラム建築について学んだ。また砂漠地帯のオアシスを訪れ、カナートなど自然環境と建築の関係についても学習した。
平成13年3月1日~19日
(6)第6回の研修旅行では20名の学生が参加しメキシコを訪れた。ユカタン半島のマヤ遺跡を訪ね、チチェンイツァ、ウシュマル、カバー等で古代マヤの都市と建築を見学。その他にモンテアルバンやテオティワカンの都市を訪れた。一方オアハカでは土着の文化と融合したバロックの教会を数多く訪れた。またメキシコシティーではシケイロスなどの近代壁画運動を見学した。
平成14年3月6日~20日
(7)第7回の研修旅行では23名の学生が参加して、ベトナムを訪れた。首都ホーチミンやカントーではメコンデルタの生活文化を中心に見学し水上マーケットを訪れた。また中部ベトナムの古都フエでは歴代の皇帝の霊廟を訪れ、またダナンやミーソンではチャンパ王国の遺跡や彫刻を見学した。また古い街並みの残る日本人街であったホイアンを訪れた。
平成15年2月11日~18日
(8)第8回の研修旅行では17名の学生が参加してネパールを訪れた。首都カトマンズを拠点としてバドガオン、パタンといった旧王都を始め、パシュパティナートやダチンカリといったヒンズーの宗教色の強い寺院、ボダナートやスワヤンブナートといったラマ教の寺院、ブンガマティやキルティプールといった小さな村を訪れ、ネワール人の生活と建築と都市空間を体験した。
平成16年2月26日~3月10日
(9)第9回の研修旅行では23名の学生が参加して中国を訪れた。前半は西安を中心として秦始皇帝にまつわる遺跡のほかに地中に穴を掘って暮らすヤオトンと呼ばれる地中住居を見学し、洛陽では龍門の石窟を訪れた。後半では北京を拠点として万里の長城の他に円明園や頤和園などの庭園を見学した。小正月に期間を設定したため中国の春節の風俗も体験できた。
平成17年2月13日~2月20日
(10)第10回の研修旅行では38名の学生が参加してトルコを訪れた。アジア大陸側では案からを中心としてカッパドキアを訪れ、その後北上して伝統的な木造住宅があるサフランボルに滞在した。後半はヨーロッパ大陸側のイスタンブールの市内を中心にモスクや宮殿をを見学した。またセマー旋舞やベリーダンスなども観賞しトルコの蒸気風呂も体験した。
平成18年2月10日~2月17日
空間把握の実習
/ 1998年
5月14日
身体から空間を把握するために<包まれた空間>という課題を与えた。外観で対象物を把握するのではなく内的空間を理解するため学内にそうした空間を見いだし、学生全員で学内を移動しながら全員で体験して、そこを選択した学生の意見を聞きながら、<包まれている>とはどのような空間概念であるかを空間のプロポーションや素材や光や目の位置などから解釈し実際に建築物として設計提案させる。
空間のリサイクルの概念の把握
/ 1999年
4月
~
1999年
7月
建物の機能のリサイクルではなく、意味を喪失した空間を都市の中に見い出し、新たな意味を付加させて、魅力的な都市空間を提案させる。学生に廃棄された都市空間を撮影させ、一つ一つの事例について都市空間の意味について議論を重ね、その本質的意味を理解する。把握の過程で横浜市都市計画局の協力のもとに鶴見のゴミ焼却場を見学し、物質の廃棄から始めて、抽象的な意味の廃棄へと展開させた。そして、廃棄された都市空間を再生させる提案を行なわせた。
空間のリサイクルの概念の把握
/ 2001年
4月
~
2001年
7月
建物の機能のリサイクルではなく、意味を喪失した空間を都市の中に見い出し、新たな意味を付加させて、魅力的な都市空間を提案させる。学生に廃棄された都市空間を撮影させ、一つ一つの事例について都市空間の意味について議論を重ね、その本質的意味を理解する。把握の過程で横浜市都市計画局の協力のもとに鶴見のゴミ焼却場を見学し、物質の廃棄から始めて、抽象的な意味の廃棄へと展開させた。そして、廃棄された都市空間を再生させる提案を行なわせた。
都市景観の線形変化に関する実習
/ 1999年
4月
~
1999年
7月
都市景観を身体の運動を基にして捉え直す。即ち都市生活者が移動を常にしていることを踏まえ、線形移動しながら認識している空間を分析して、その景観の変化を断面のプロポーションとして抽象化しモデル化する。対象とする空間はキャンパスや通学路や商店街などの日常的な生活空間であり、それを再認識させるとともに、身体と空間の関係を学習する。
江戸時代の富士塚による原風景の把握
/ 1999年
7月1日
本来の自然地形が見えない東京は、以外と起伏が豊かであるが、そうした江戸時代にまで景観を構成していた地形の一つとして当時の江戸文化と密接な関係にあった富士塚を訪れる。具体的に板橋区の富士神社を対象とし、山開きの7月1日に地元の方々の話を伺い山に登ってみる。そしてその歴史や地域社会での現在の位置付けなどを学び、江戸時代の文化を現代都市の中で再評価を試みる。
都市景観の記号分析に関する実習
/ 1999年
9月
~
1999年
12月
一見秩序が無いように見える都市景観を分析するにあたって、その意味を形態から分析する。即ち混沌とした風景をとある視点から分類する。その分類する視点は都市が都市として自らを特徴付ける指標に基づく。それぞれの指標に対応する形態要素を整理し、都市景観を幾つかのレイヤーが重層した結果として把握しなおし、それをモデル化し、建築として提案する。
伝統的町並みの保存と修景
/ 1999年
10月23日
歴史を現代にどう生かすかという問題を町並みから試みる。小江戸の一つ川越の蔵造りの町並みをとりあげ、現代の都市生活と伝統がどのように共存しているかを理解する。直接住民から保存改修の話を聞いたり、川越市教育委員会の担当者からレクチャーを受けならが、具体的な問題点を見聞する。同時にこの町の空間構造や蔵造りの民家の内部空間についても、実際に体験し伝統的な日本の空間の理解を深める。
身尺度による身体と空間の把握
/ 2000年
4月20日
メジャーで空間寸法を把握するのではなく、身体を物差しにして空間を把握する訓練を行い、天井の高さから広場の大きさまでメジャーなしで計測できるように訓練する。抽象的な寸法ではなく、身体を基準とした空間設計へと導く。こうすることによって普段の生活の中の興味深い空間を、数字として記録することが素手で行え、設計に反映できるようにする。
江戸の風景と東京の風景の比較から都市景観について学ぶ
/ 2000年
6月6日
江戸時代の名所といわれた場所の要因を分析して、現代と都市景観をいかに改善できるかを理解する。そのために広重の名所江戸百景を題材にして学生に現在の東京で同じ場所から写真をとらせ、その変化の要因を分析させる。それによって修景の手法について議論させ、提案させる。机上の議論を避け具体的な都市の中で考える訓練を行い、また江戸東京博物館の学芸員の方をゲストにして江戸名所図会に描かれた江戸の姿をレクチャーしてもらう。同時に浮世絵の遠近法を学ぶ。
都市の見学の成果としての写真展
/ 2002年
~
2004年
研修旅行の成果として自由参加により学内のラウンジを借りて写真展を開催した。研修旅行をやりっぱなしとせず、各自が自由に感じたものを写真という媒体を通して発表させたものである。
(1)第1回は、第6回研修旅行のメキシコでの都市の風景や建築など各自が印象にのこった風景を中心に行った。
平成14年5月13日~18日
(2)第2回は、第7回研修旅行のベトナムでの都市の風景や建築など各自が印象にのこった風景を中心に行った。
平成15年5月12日~19日
(3)第3回は、第8回研修旅行のネパールで体験した建築や人々の生活など、各自が印象にのこった風景を中心に行った。まず日野のネパールレストラン「サンガム」で開催し、次に大学で開催した。
平成16年5月2日~9日、平成16年5月17日~22日
課題の成果を集成して画廊で社会に発表する
/ 2001年
~
2006年
学部2年生の空間基礎造形課題の成果を、学内に終結させずに青山の画廊を借りて展覧会を行わせた。大学からの補助金もあるが各自も負担し、まず画廊探しから始め、展示の企画や設営、接客などのプロセスの実務をはじめ、ポスターやダイレクトメール用の葉書のデザインを分担して行い総合学習としての効果を狙った。
(1)第1回は「シークエンス」と題して都市の連続して体験する風景をテーマとして、東京外苑前の画廊で平成13年5月9日~13日に開催した。(平成13年5月9日~13日)
(2)第2回は「クワドラト」と題して、正方形や直方体をテーマとした空間デザインの成果を集大成して、銀座の画廊で平成15年5月12日~19日に開催した。(平成15年5月12日~19日)
(3)第3回は「テトリス」と題して、正方形や直方体の複合体をテーマとした空間デザインの成果を集大成し、青山の画廊で開催した。
平成16年6月3日~8日
(4)第4回は「deco+boco」展と題して、立体造形による家具や空間のインスタレーションの展示を代官山の画廊で開催した。
平成18年1月25日~30日
(5)第5回は「光のクワドラト」展と題して、正方形をテーマに光の演出やインスタレーションの展示を代官山の画廊で開催した。
平成18年9月6日~11日
昭和記念公園での草月会との合同インスタレーション
/ 2001年
7月
~
2001年
11月
学部2年生を中心に、昭和記念公園と生け花の草月会との合同で公園の伐採された樹木の枝によるインスタレーションを行った。これはその場所の素材でそこに相応しい造形を行い、展示後は素材が土に帰るという循環型社会のプロセスをインスタレーションを通してその理念を学ぶものである。夏休みを通して模型製作、現地枝の収集、制作、解体の実践を学ぶと同時に、教室内では指導できないランドスケープを実践的に学ぶ。
昭和記念公園での草月会との合同インスタレーション
/ 2002年
7月
~
2002年
11月
学部2年生を中心に、昭和記念公園と生け花の草月会との合同で公園の伐採された樹木の枝によるインスタレーションを行った。これはその場所の素材でそこに相応しい造形を行い、展示後は素材が土に帰るという循環型社会のプロセスをインスタレーションを通してその理念を学ぶものである。夏休みを通して模型製作、現地枝の収集、制作、解体の実践を学ぶと同時に、教室内では指導できないランドスケープを実践的に学ぶ。
昭和記念公園での草月会との合同インスタレーション
/ 2003年
7月
~
2003年
11月
学部2年生を中心に、昭和記念公園と生け花の草月会との合同で公園の伐採された樹木の枝によるインスタレーションを行った。これはその場所の素材でそこに相応しい造形を行い、展示後は素材が土に帰るという循環型社会のプロセスをインスタレーションを通してその理念を学ぶものである。夏休みを通して模型製作、現地枝の収集、制作、解体の実践を学ぶと同時に、教室内では指導できないランドスケープを実践的に学ぶ。
昭和記念公園での草月会との合同インスタレーション
/ 2004年
7月
~
2004年
11月
学部2年生を中心に、昭和記念公園と生け花の草月会との合同で公園の伐採された樹木の枝によるインスタレーションを行った。これはその場所の素材でそこに相応しい造形を行い、展示後は素材が土に帰るという循環型社会のプロセスをインスタレーションを通してその理念を学ぶものである。夏休みを通して模型製作、現地枝の収集、制作、解体の実践を学ぶと同時に、教室内では指導できないランドスケープを実践的に学ぶ。
昭和記念公園での草月会との合同インスタレーション
/ 2005年
7月
~
2005年
11月
学部2年生を中心に、昭和記念公園と生け花の草月会との合同で公園の伐採された樹木の枝によるインスタレーションを行った。これはその場所の素材でそこに相応しい造形を行い、展示後は素材が土に帰るという循環型社会のプロセスをインスタレーションを通してその理念を学ぶものである。夏休みを通して模型製作、現地枝の収集、制作、解体の実践を学ぶと同時に、教室内では指導できないランドスケープを実践的に学ぶ。
昭和記念公園での草月会との合同インスタレーション
/ 2006年
7月
~
2006年
11月
学部2年生を中心に、昭和記念公園と生け花の草月会との合同で公園の伐採された樹木の枝によるインスタレーションを行った。これはその場所の素材でそこに相応しい造形を行い、展示後は素材が土に帰るという循環型社会のプロセスをインスタレーションを通してその理念を学ぶものである。夏休みを通して模型製作、現地枝の収集、制作、解体の実践を学ぶと同時に、教室内では指導できないランドスケープを実践的に学ぶ。
絵画から空間造形を提案させる実習
/ 2001年
4月
~
2001年
7月
平面と立体の関係、近代美術史の知識、色彩の構成を同時に学習することを目的とする。具体的にオランダの近代構成主義のモンドリアンの絵画を取り上げ、その歴史的背景を学び、その作品群の中から一枚を抽出し、それを立体的な色彩空間として再構成し、建築として提案する。絵画を立面図や平面図に見立てて各自に奥行きを創造させ、色彩の三次元空間を提案させる。
都市の中の<駅>を提案させる実習
/ 2001年
9月
~
2001年
12月
都市は常に運動を内在させていることに着目する。こうした運動や移動は一時停止して方向を変えるが、その場として<駅>を位置付ける。更にこうした停滞の場で文化が生まれることを指摘し、都市空間に文化と交流を生み出す装置としての<駅>を提案させ、その意味を模索する。事例として欧米の生活空間としてのターミナルを紹介し<駅>について考察する。
風景を空間に取り込む装置としての住宅設計の実習
/ 2001年
9月
~
2001年
12月
現代社会は、メディアにおいても映像が主体となった視覚文化の時代といえる。そこで全ての住宅の機能を<見ること>に着目して住宅を提案させた。まず身体の視覚空間であるアイソビスタの概念を理解させた。一方で風景を認識することが見る側の人間の意識に依存していることを理解させ、風景を選択させた。そして風景と視覚空間を関係付けて住宅を提案させた。
聴覚と視覚の融合による空間デザインの訓練
/ 2002年
1月24日
連続した空間のデザインを訓練するために、時間軸に沿って線形変化する空間芸術としての音楽を取り上げる。メロディの変化を絵画として表現する能力を開発するとともに、その流れるようなイメージを更に空間として表現するように導く。視覚芸術に終始してしまう授業のやり方を改め、聴覚による能力を開発し、サウンドスケープの概念を理解してもらう。
風景から都市計画を提案させる実習
/ 2002年
4月
~
2002年
7月
都市計画は地図の色塗りとして平面図を用いて行われることが多いが、実際に人が受ける都市の印象は絵葉書のような風景であり、それを背景に写真を撮るなどして人々の心象風景として都市の全体像が人々の記憶に組み込まれる。こうした記憶としての風景を都市に提案させ、それをもとにして平面図を描くようなプロセスを実習で行わせ、都市を提案させた。
都市に新たな空間体系を組み込む実習
/ 2002年
4月
~
2002年
7月
都市は行政が管理するシステムとしての街路や街区や住居表示がある。あるいは交通体系としての鉄道や道路やバス路線がある。こうした管理されたシステムとは組しない別の体系としての<芸術としての空間体系>を都市の中に重層させる。具体的に、メタモルフォーゼさせた形態の配列の相互関係を空間の体系として捉え、それを重合させて都市の中に組み込んだ。
建築化された緑地を提案させる実習
/ 2002年
4月
~
2002年
7月
空間を決定付けるのは建築だけでなく樹木や河や池も重要な要素である。そうした全ての要素で空間構成を行わせることを目的として、あるいは建築を空間構成の単なる一要素として捉え直す事を目的としている。具体的に勾配のついた細長い敷地を与え、そこを縦断するような移動経路を設定させ、樹木や水や建築により全体の空間構成を提案させた。
新都市の建設の現地学習
/ 2002年
5月7日
再開発により全く新たに都市が建設された事例として横浜みなとみらい21や汐留の再開発地区を訪れ、その空間構造について現地で学ぶ。既存の都市との関係や、都市景観の形成といった視点から、個々の建築物やインフラのデザインについて学ぶ。具体的に断続的に変化する都市景観を体感しながら、設計者の意図を理解してもらう。
毎日の新聞の記事からデザインについての考え方を学ぶ
/ 2002年
5月14日
~
2002年
5月20日
新聞を読み、毎日記事を一つ選択させる。その記事本来の意味を問うのではなく、その記事をデザイン思想の解釈する手段として読みこなし、レポートを作成させる。毎週一人7枚を提出させ、1週間後の授業で添削された全員のレポートに解説を加え、参考レポートを配布して説明する。日常的に新聞をデザインとして読む能力を習得させ、購読の習慣を付けさす。
劇場空間としての都市の広場を提案させる実習
/ 2002年
9月
~
2002年
12月
都市生活者は多様なアイデンティティを内在させて使い分けているのではないかという仮説に基づき、その多様な自分を演じる舞台として、都市の中の広場を提案させた。取り囲む建築のファサードは舞台の書き割りや背景であり、広場はまさに舞台である。学生各自が設定した具体的な都市生活者に相応しい小道具や大道具をストリートファーニチャーに変えて舞台としての広場を提案させる。
純粋な空間モデルから建築を提案させる実習
/ 2002年
9月
~
2002年
12月
指向性がなく純粋な形態である正方形に着目し、その平面を立体化させた立方体に構成要素を限定して空間設計を行った。まず平面的な正方形の構成図を立体化する訓練から始まる。これは上下左右が無い空間モデルであるが、次の段階では建築として空間の上下関係を意味付ける。最後に学生が造った成果を積み上げることによって、そこに集合住宅を出現させた。
英語による空間の言語表現から建築空間を理解する演習
/ 2002年
9月
~
2002年
12月
英語で記述された空間の構成原理の原書を講読し、その英語の語源から空間の本質を理解し、建築を解釈することを目的として構成された演習授業。前置詞や副詞や動詞の語源を調べ、その本質の意味を一つずつ規定し、文章の意味を探る。同時に反対語や類似語も調べ空間の解釈の必要十分条件から解釈する。解読する対象の建築空間はメキシコのテオティワカン、エジプトのルクソール神殿等である。写真や図版や関係資料を合わせて講読し、最終的に模型を作成して理解を深める。
伝統と地域に根差したデザインの学習
/ 2002年
9月3日
~
2002年
9月6日
授業で沖縄を取り上げ、伝統文化を発見した岡本太郎の写真や風水による城と墓のデザインや、伝統的な織物などについて学び、実際に夏期休暇を利用して沖縄を訪れた。現地で庭園や建築や墓の見学、そしてミンサー織り紅型染め、琉球ガラスなどの工芸体験、市場や民族舞踊を見学させた。授業で膨らんだ興味を、現地で補填して創造の契機を与える。
建築写真の模写を通した空間把握の実習
/ 2002年
10月1日
~
2002年
10月29日
建築の設計をするため必要な空間の魅力の理解のため、建築専門の写真家が撮影した建築写真を模写させる。白黒写真を鉛筆でほぼ原寸に模写する作業を通して素材感や光や影と空間の関係をじっくり学ぶ。作業の半ばで建築写真を専門とする写真家に実践的なレクチャーをしてもらい、レンズや絞りや構図、説明写真と芸術写真の差について学ぶ。完成後はその建築を訪れて実際の空間を体験する。
建築の建具工場の見学
/ 2002年
10月11日
住宅の設計を行う過程で、実感のない机上論を回避するために住宅の重要な要素である建具に着目して、その素材や構造や組立や塗装の工程を見学し、原寸の実物の制作現場を体験する。耐久試験や梱包運搬など、社会との係わりも理解させることにより、教室での縮尺モデルに終始した発想から脱皮させることも目論み、広く建築の業界の理解を進める。
宗教的空間の構成に関する把握
/ 2003年
5月8日
山岳密教に属する宗教建築の空間は複雑で三次元的な動線の経過に伴う景観のダイナミックな変化については教室内では理解できない。そこで日光東照宮の参道から唐門までの空間を取り上げレクチャーし、その後実際にそこに訪れ、現地で視線の変化や、参道を構成している景観の構造や、建築を焦点とした空間導入の工夫などを理解してもらい、日本の伝統的空間の構造を体験的に理解してもらう。
図面と空間把握のための民家園の見学
/ 2003年
5月27日
製図の授業はトレースではなく、立体空間の平面表現であることを学ばせるために、まず日本の伝統的図面である茶室の「起こし絵」を素材に実際に組立てさせる。その日本の伝統的空間を実際に理解するために民家園を訪れ、茶室ばかりでなく農家などを空間体験しスケッチをさせる。日本の室内空間が座った人の目の位置で、欧米が立った人の目の位置で決定されていることも理解する。
ヒルサイドテラスにおける都市空間と建築
/ 2003年
5月29日
個人の建築家が数十年を経て造り上げた都市空間の事例として槇文彦氏設計の代官山ヒルサイドテラスを素材に、都市における建築のデザインの考え方を総合的に理解する。事前に計画内容についてはレクチャーした後、現場を訪れて空間の連続性や視線の処理、中庭のプロポーションや仕上げの素材、窓のデザインなど逐一ディテールから都市全体までを学ぶ。
ライトの自由学園の空間把握
/ 2003年
6月24日
アメリカと日本でしか作品を残さなかった近代建築家ライトを素材として建築からインテリアや家具までのデザイン、および日本の帝国ホテルの設計者として日本近代建築の歴史や欧米との歴史的関連を学び、実際に彼の作品である自由学園の図面をトレースした後に現地を訪れ、そのスケール感や空間構成や家具、ステンドグラス、インテリアを見学する。そして実際にそれを各自学生に模型として製作させ、レポートを提出させる。
文化の新たな出会いを生み出す<橋>の 提案を通した都市計画の実習
/ 2003年
9月
~
2003年
12月
山崎正和の『社交する人間』を参考資料として学生に読ませ、そこに記されている管理体系によらない人間関係を現代都市に生み出すための空間装置を提案させる。そのモチーフとして<橋>に託された文化の意味を考えさせる。即ちこれまで一見カオスに見える都市の中から2つの要素を選びだし、文化として結び付ける<橋>としての建築空間を提案さる。
新たな住環境の可能性を模索する住宅設計課題の実習
/ 2003年
9月
~
2003年
12月
学生一人一人に立方体の住宅を設計させる。次に自分で設計したポジの住空間に対してネガの住空間としてのテラスを付加させる。次にそれを2組連結させ4つの立方体の住宅を設計させる。最後に各自自由に組み立てた住宅モデルを積木のように積み上げることで、立体的な3次元テトリスの高層住宅モデルやコートハウスモデル等が無限に生み出され、総合した時の住空間の可能性を学ぶ。
多様な造形要素を複合した建築の立体把握のための実習
/ 2003年
11月18日
~
2003年
12月16日
建築の設計の一つとして、全体が多様な造形要素の集合体とし、象徴的形態を持たせない手法がある。それは多様な価値観が並列する近代社会の反映であるという社会概念を学ぶと同時に、その実例を具体的に学ぶ。素材は青山のスパイラルを取り上げ、まず教室で図面による説明の後、現地を訪れ、その空間とデザインを現場でレクチャーする。その後に図面から立体図を起こす製図実習を行い、さらにそれを模型として作成し、総合的に建築デザインを学ぶ。
都市に潜在する線形空間に着目した道空間の設計課題
/ 2004年
4月
~
2004年
6月
都市をデザインするにあたり、まず東京という都市空間を理解することから始める。そこで江戸時代の都市空間を特徴付けた巡礼の空間に着目する。江戸中期に弘法大師が始めた寺社の巡礼では、四国八十八ケ所が有名である。しかしこの巡礼空間を見立てて江戸御府内にも造られた。それを現在の東京で検証し、歴史的背景を調査し、現代都市をより魅力的にするために歴史的巡礼空間を現在社会に再生してデザインする。
ネパールレストランの設計課題
/ 2004年
4月
~
2004年
6月
現存するネパールレストランの問題点を分析して、改装の提案を行い、店主の了解が得て夏季休暇に実際に学生の手で改装を行う。この実習では、まずレストランという建築タイプに関する基礎学習、ネパールという民族デザインの収集と分析の学習、改装のための現地実測とヒアリングによる具体的問題点の学習が同時並行に行われる。そうした学習を総合させデザインに結び付け、さらに具体化させる。これは教室内の机上論ではなく、現実に商業的に成り立つ提案を行わねばならない実習となっている。
社会に潜在する<コロニアリズム>から現代都市を再認識する
/ 2004年
4月
~
2004年
6月
現代社会を理解するうえで<コロニアリズム>という概念を提示する。即ち19世紀から20世紀における植民地主義や帝国主義のもとで形成された近代国家は現代社会の骨格を形成した。こうした現代会では、都市・建築・芸術・身体といった事象が「西洋を表象する文明」と「オリエントを表象する野蛮」の座標軸のなかに位置付けることが可能なのである。現代社会に潜在するこうした<コロニアリズム>を近代芸術、都市、戦争、社会衛生、体操、映像、旅行、万国博覧会、博物館、動物園といったキーワードで日常生活の関連の中に捉え直し、現代社会の再認識、再解釈を試みる。
都市の公共空間としての広場を舞台装置として解釈する設計課題
/ 2004年
9月
~
2004年
12月
まず都市化した社会が劇場社会であるという仮説から課題が設定される。人々は社会の多様な役割を幾つも演じている俳優として解釈され、その俳優が必要とする舞台空間および舞台背景としての広場の設計が求められた。ここでは俳優たる都市で生活する人間を見る観客としての大衆の視線を設定し、どこからどのように見られる広場であるかが常に問われる。視覚文化を広場の設計を通して学びならが、自分の都市での振舞も検証する。
身体のランドスケープとメディアリテラシー
/ 2004年
9月
~
2004年
12月
情報をいかに解釈して一つの知的なインテリジェンスを獲得するか、その対象として都市と身体を並列させて同じテーマで読み取ることを目的としている。そのテーマとして記号、捏造、写真、生産、ナショナリズム、時間、奥行、見立、地図、視覚といったものを設定した。日常的に新聞やTVや都市空間で獲得するような情報を読み取る訓練を行い、そこから何を取捨選択すべきか判断する能力を養う。
中庭を持つ分散型の都市型住居の設計
/ 2004年
11月10日
~
2004年
11月19日
中庭の課題のテーマは二つある。一つは敷地に住宅を建てた残りが庭ではなく、庭自体を一つの屋根のない住空間として位置付け、建築内部の空間も外部の空間も図と地の関係に成らず、全てが図となるような空間を設計することである。もう一つは家族がばらばらに社会で活躍する現代社会を背景に、中庭囲んで分散した諸室から成る住宅を提案することにより、新しいライフスタイルを提案することである。
中庭を持つ分散型の都市型住居の設計
/ 2005年
11月2日
~
2005年
11月16日
中庭の課題のテーマは二つある。一つは敷地に住宅を建てた残りが庭ではなく、庭自体を一つの屋根のない住空間として位置付け、建築内部の空間も外部の空間も図と地の関係に成らず、全てが図となるような空間を設計することである。もう一つは家族がばらばらに社会で活躍する現代社会を背景に、中庭囲んで分散した諸室から成る住宅を提案することにより、新しいライフスタイルを提案することである。
F.L.ライトの設計した建築を通した建築製図の実習
/ 2005年
4月
~
2005年
7月
近代建築家の一人として位置付けられたフランク・ロイド・ライトはアメリカと日本にだけ作品を残している。この貴重な建築作品が近年修復され見学が可能となったことを受けてプログラムされた。実物のライトの作品を見学し、そのスケール感覚ばかりでなく家具や照明に及ぶ総合デザインを学び、建築を志す学生のモチベーションを高めさせる。そしてその図面をトレースすることにより、単なる教室内での授業から脱却を計る。
快適なトイレと風呂の設計課題
/ 2005年
4月
~
2005年
7月
建売住宅のパンフレットに掲載された住宅のトイレと風呂の問題点を学生に分析させ、敷地や資金や法的な制約をなくした設定で、理想的な設計提案をさせた。学生には自宅の水回りを調査させるととともに、関係企業のショウルームを見学し、多様化する既製のトイレや風呂の商品を実際に体験させた。既製概念をできるだけ取り払わせながら、空間としての魅力を学生自身の口から語らせるような設計指導を心がけた。
重層化した記号の集積として都市空間も意味を読み取る課題
/ 2004年
4月
~
2004年
7月
都市に潜んでいる様々な物語を読み取りながら、それが記号として都市に顕在化していることを学ぶ。その対象として現在すんでいる東京を取り上げ、分析を通して現代社会を解釈することを目的としている。その視点は3つ設定されている。一つは江戸時代の都市と比較しながら、その齟齬を確認していく。また都市を「中心と周縁」から空間分析していく。さらに「均質空間」という仮定から分析して都市の解釈を試みる。
課題の成果を集成して大学内で発表する
/ 2005年
5月16日
~
2005年
5月21日
(1)第1回は第9回海外研修ツアーで中国に行った学生が中心となって中国の地下住居であ る「ヤオトン」の模型と説明パネルを作成し、学内のラウンジで展示した。
課題の成果を集成して大学内で発表する
/ 2005年
7月15日
~
2005年
7月16日
(2)第2回は大学のオープンキャンパスで布を使ったインスタレーションをしました。200mの布が中庭と3回屋上とに掛け合わされて美しいランドスケープが生み出された。
課題の成果を集成して大学内で発表する
/ 2006年
7月11日
~
2006年
7月15日
(3)第3回は第10回海外研修ツアーでトルコに行った学生が中心となってトルコの伝統的木造住宅の模型と説明パネルを作成し、学内のラウンジで展示した。
平成18年7月11日~15日
課題の成果を集成して大学内で発表する
/ 2006年
7月21日
~
2006年
7月22日
(4)第4回は第10回海外研修ツアーでトルコに行った学生が中心となってトルコのモスクの建築模型と説明パネルを作成し、学内のラウンジで展示した。
色彩と空間の抽象化と融合
/ 2005年
6月
~
2005年
7月
二つの異なった造形指標である色彩と空間を、それぞれ抽象化することにより融合させ、色彩と空間が相互の特徴をさらに増大させることを目的としている。色彩は画家の絵や風景写真など全体性を持つ具象的色彩世界を色彩分析する。一方空間は都市の街路空間を時間の変化で線上にデフォルメさせ抽象化させて街並みを再構成させる。両者を抽象化する手法を習得しながら、最後の融合の過程では学生の独創が発揮できるように工夫されている。
文学に描かれた都市や社会を読み取る
/ 2005年
9月
~
2005年
12月
文学の表現には、その背景に都市や社会が必ずといっていいほど描かれている。それは人物の心理描写や人間関係を暗示させるという意味で、文学に都市が表象されていると考えられる。こうした視点から記述された都市の姿を読み取り、それが文学の中でどのような意味を持っていたかを分析する。その結果を時代背景や作家自身の作品歴などから位置付け、都市というものを改めて記述された世界に考察した。
スキンウォールとしての商業建築のファサードの設計課題
/ 2005年
9月
~
2005年
12月
都市に建つ建築が街並みの形成にどのように寄与できるかを、光のデザインから取り組む設計課題。特に商業建築は内部の店舗のイメージをファサードに表現する必要性があり、それが薄い壁(スキンウォール)に託されている。本課題では光の透過する様々な表現を追求して微妙な表現を模型を持ちいて検証を重ね設計する。その目的は光のデザインと照明器具のデザインが異なることを自覚させ、太陽光の扱いまで含めて建築の表現の可能性を探ることにある。
大地と融合した建築空間の提案
/ 2006年
4月
~
2006年
7月
一般的な設計課題は平坦な敷地を前提として行われており、大地の地勢がもつ魅力が十分発揮されていない。そこで近年開発が充足したスペースフレームを用いることにより、大規模な空間を無柱で造り出すことが可能となったこと背景にして、間仕切壁ではなく大地の豊かな起伏のもつ魅力により空間の形成を求めた。空間の広がりを垂直の関係の中に捉えるという視点に立ち、大地とスペースフレームによる空間の創造を行う。
島と帝国
/ 2006年
4月
~
2006年
7月
大陸に生まれた帝国とは近代の国家のありかたの一つである。それを対照する概念ではない島から見直すことで新たな近代の社会の構図を探っていく。例えば具体的にバリ島を取り上げて、近代ツーリズモの発生やオリエンタリズムを解釈する。あるいはタヒチを取り上げてゴーギャンから近代絵画を考察しプリミディヴィズムを解釈する。こうして島から生まれた思想が大陸の文化に大きく影響を与え、近代と言う時代を準備して帝国へと吸収されていく過程を学ぶ。
作成した教科書、教材
景観誘導を人間の視覚構造から再解釈して理解する教材:『視覚構造と都市景観』
/ 2004年
12月28日
人間の視覚は仰角20度、俯角10度程度であり、この範囲を越えると認識が劣る。この視覚構造から聖ピエトロ寺院の景観を説明し、また函館山からの夜景の意味を理解する。また人間の視覚範囲をビューコーンとして円錐状の空間に設定し、そこから都市景観を保全するための景観誘導を行っているバンクーバーの事例を引き合いに出して、人間の視覚と景観の関係を論じた。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
寺山修司の演劇における身体性を説明した教材:『等身大の宇宙』
/ 1993年
6月2日
寺山の『一寸法師の宇宙』を題材に、標準化された近代の身体から逸脱した身体像を説明する。そして標準と逸脱を日常と非日常の関係として社会を捉え、奇形が日常から排除されている事実を確認する。そしてこうした社会における演劇性を日常と非日常の境界線上にとらえた寺山の世界を説明する。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
中世都市を題材に身体と都市の関係を説明した教材:『身体都市』
/ 1993年
6月23日
中世都市の規模が教会の鐘の音が聞こえる範囲であり、歩いて1時間程度の直径であることを指摘し、身体で把握できる適正規模として造られたことを指摘した。同様に江戸の都市の規模を説明した。こうした視点から郷土愛に根差した街造りの可能性を論じるとともに、近代都市の問題点を指摘した。(スライド80枚による講義用教材)
移動する人間から見た都市景観と空間の記述に関する教材:『シークエンス』
/ 1995年
6月1日
移動の経路に従って描かれた地図を事例にして、実際の風景が移動する人間に沿って継続的に線形変化することを説明した。その事例を中世イタリアの山岳都市で示し、時間との関係を語る。即ち線形空間での変化は時間の変化に変換できることから、風景とアニメーションとの関係を論じて、建築の可能性を述べた。(スライド80枚による講義用教材)
バロック時代の広場の空間原理を説明した教材:『デュカーレ広場と空間』
/ 1995年
6月22日
バロック時代の広場の中でも、ビジェバーノにあるデュカーレ広場を取り上げ、どのように都市と一体化して広場という空間が造られたか、そしてそこに隠された視線やプロポーションについて説明する。そして都市の広場の原理を説明したカミロ・ジッテの理論から、西欧の都市の広場の魅力を説明する。(スライド30枚による講義用教材)
秩序と無秩序の境界域における演劇性を説明した教材:『中心と周縁』
/ 1995年
10月5日
社会をその文化の共通する価値を有する中心と、それに対峙する周縁のダイナミックな関係性で捉えた山口昌男の理論を説明する。この社会の概念から都市構造を解析して、現在の東京や神戸などの解析を行う。さらにそれをテーマとしたアニメーション『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』を説明する。(資料20枚による講義用教材)
桂離宮を発見したB.タウトの建築観に関する教材:『桂離宮とブルーノ・タウト』
/ 1997年
5月6日
日本に来たタウトが最初に訪れた桂離宮の空間構造について記した『画帖桂離宮』を基にして、日本の回遊式庭園の魅力について詳述した。そして彼が主張する建築理念と庭園空間との関連を指摘して、建築の可能性について論じた。その過程で表現主義建築家と呼ばれたタウトのドイツでの作品も紹介した。(スライド160枚による講義用教材)
ナチスにおける都市と身体の演劇性を説明した教材:『装飾化された身体』
/ 1997年
6月26日
ナチスにおいては国民を統率する手段として演劇的な手法を用いたことを詳述する。即ち党大会やオリンピックにおいて光や映像や音楽や建築という都市の舞台セットを総合的に用いて人々を陶酔させた手法を、クラカウアーの『大衆の装飾』の概念を援用してファシズムの美学として説明したもの。(スライド35枚と資料20枚による講義用教材)
現代社会における建築を造る意味を問う教材:『場と空間の復権』
/ 1997年
12月2日
建築というものが権力や経済を象徴するものとして建設された近代に至る歴史を説明し、全てが進歩的な理念に従属した概念で正当化されたことを指摘する。しかし現代社会ではその前提となる都市や社会が大きく変容し、建築の意味が変化してきたことを述べ、建築の現代における可能性を身体や大地に求め、事例をあげて説明した。(スライド80枚による講義用教材)
東アジアを中心する親水空間の都市を説明する教材:『親水都市』
/ 1998年
4月28日
西欧のオランダやベニスのように自然と対峙して海から国土を保全している西欧文化に対して、東アジアの水と共存する生活文化を詳述する。その世界観や宇宙観をモデル化した建築としてアンコールワットを説明し、江戸の水運による都市構造を解釈する。最後に大地を前提としない都市の思想について説明する。(スライド80枚による講義用教材)
見立ての視点から江戸の都市や風景を説明した教材:『見立ての風景』
/ 1998年
6月2日
京都を見立てて造られた江戸という都市の事例により、見立ての概念を説明する。そして都市や建築が記号の集積であることを説明し、その視点から風景について解析する。即ち絵葉書を事例に、それらしく見える風景が日常的に捏造されてた虚構に過ぎない事実を確認する。(スライド80枚による講義用教材)
音楽表現と空間表現の関係を説明した教材:『音楽の風景』
/ 1998年
6月23日
音楽というものが身体の発声する声を原点としていることを説き、身体としての音を記述する楽譜と記号としての楽譜の差異について述べる。そして音楽が身体音の表現に延長線上に風景を描き出す事例を説明し、更にバウハウスにおける音楽の空間芸術表現の事例を取り上げ、空間と音楽の関係を説明する。(スライド35枚とCD8枚による講義用教材)
儒教における空間原理と建築の関係を説明した教材:『儒教と家族制度』
/ 1998年
6月24日
明治天皇と皇后の御真影における象徴性から、明治政府における儒教的階位を説明し、その階位に則るかたちで都市が形成された事例を示す。それが中国を中心として東アジアや日本に広まり、日本の伝統的住宅空間と儒教的な家父制との関係を指摘する。そして近代家族の視点から現代住宅を分析する。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
三次元の空間の移動を建築化した事例の教材:『ドレスデンのUFAシネコン』
/ 1998年
9月24日
ドイツのドレスデンに建築家コオオプ・ヒンメルブラウが設計した複合型映画館の建築を事例にとりあげ、そのエントランスホールに着目し、交錯した動線と視線について説明する。またその外観において堅い表情と柔らかい表情の逆説的な形態デザインの手法を説明する。(スライド35枚と資料3枚による講義用教材)
総合空間と単位空間の視点から建築を説明した教材:『分節と統合』
/ 1998年
10月6日
まず歴史的な時間や空間の度量衡を説明してそれに伴う時間や空間の概念の歴史的変化を指摘した。次にフランスの啓蒙主義の時代背景を説明し、分類された要素と総体の関係を理解する。その概念を建築に援用し、総体が崩壊した現代建築の状況を詳述し、都市や建築の空間の本質について述べた。(スライド80枚による講義用教材)
日常生活における劇場性を説明した教材:『祝祭都市』
/ 1998年
10月13日
ドイツのレーゲンスブルクで行われる市民劇を取り上げ、日常の都市生活者や街の空間が、全て非日常化してしまう事実を説明し、演劇という文化活動が都市において重要なものであり、現在の一連の社会演劇活動の実態について説明する。そして演劇に都市社会の本質を求めた。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
人間の視覚空間と建築や風景の関係を説明した教材:『眼差しと風景』
/ 1998年
11月20日
西欧のルネンサンスに生まれたパースペクティヴという空間把握の概念と建築や都市の関係を詳述し、それと人間の眼球の構造との関係を説明する。その一方で日本の伝統的な遠近法を説明し、それにより歌舞伎舞台や数寄屋建築の空間構造を説明する。そして両者の異なった空間概念を比較検証して空間の奥行き表現について説明する。(スライド80枚による講義用教材)
ルネサンスの都市と身体の関係を説明した教材:『ルネサンスの身体』
/ 1999年
4月28日
西欧のルネンサンスという時代精神を説明し、その中でも神の似姿として人間の身体を理想的に描いたものと、理想の空間として描かれた都市像が共に同じ世界観をもつことを説明し、都市が身体に表象されていることを指摘した。その世界観が幾何学によって描かれた事例を説明した。(プリント30枚による講義用教材)
身体からとらえた世界観としての地図を解析した教材:『身体地図』
/ 1999年
4月28日
子供が描く都市と中世の時代の世界地図が同じ世界観を持つことを示し、アジアやアフリカの主観的な世界観を表現した地図の事例で更に説明する。一方それとは全く違った管理を目的とした植民地都市の事例をあげて、記号としての地図と現実の管理のための都市の相関から、地図に表象された世界を詳述する。(スライド80枚による講義用教材)
欧米と日本のプライバシーの概念についての教材:『閾論』
/ 1999年
9月29日
アメリカで、犯罪多発のため撤去された団地を事例に、プライバシーの極度な追求を反映した住宅建築の非社会性を指摘し、社会における相互監視の重要性を述べた。そして社会と住居の接点をアフリカやインドの未開部落の伝統的住居に求め、日本の伝統的住宅のプライバシーの概念について論じた。(スライド80枚による講義用教材)
中国の江南地方の庭園の空間説明資料:『中国庭園』
/ 2000年
1月12日
中国江南地方の水郷地帯に特徴的な庭園について、日本での学会論文や関係書籍ばかりでなく、直接中国から資料を取り寄せて、庭園毎に再編集した。各シートには庭園の図面や断面の関係、そしてその空間の特徴についての細かな研究成果を分かりやすくまとめ直し、授業での資料として活用した。(A3シート150枚による講義用教材)
人々の生活の営みの証として風景を説明した教材:『主観的景観論』
/ 2000年
4月26日
18世紀に自然が美の対象となり、自然風景画や自然風景式庭園が生まれた歴史を説明した。しかし自然と人間の営みが対峙した西欧の考え方とは異なったものとして柳田国男の風景論を事例に、我々の生活の営みそのものが風景を形成していることを説明した。その概念の延長線上に都市景観を位置付け都市景観の問題点を説明した。(スライド80枚と資料10枚による講義用教材)
視覚空間として庭園の中に建築を位置付けた教材:『中国庭園』
/ 2000年
5月11日
視覚のダイナミックな変化として中国の庭園空間を説明し、建築の新たな解釈を提示した。中国蘇州の留園と拙政園を題材にアプローチから回遊式の庭園の空間と視覚変化について説明し建築が庭園を見る視覚装置として位置付けられていることを示し庭し従属した建築という解釈を提示した。(スライド80枚による講義用教材)
テーマパーク化した現代社会の都市と建築の関係を説明した教材:『演技される社会』
/ 2000年
9月19日
都市の公共空間が商業空間によって置き換えられ、消費者という名の市民の快楽が追求された都市空間へと変貌している状況を説明し、レストランや動物園や百貨店の建築の事例をあげた。苦痛を回避する社会が進展している状況を説明し、現代社会を批判した教材。(スライド30枚と資料20枚の教材)
都市の本質を移動として説明した教材:『物流都市』
/ 2000年
10月3日
都市の歴史的な物流空間として河川、道路、鉄道を説明し、都市の本質が停滞するものを排除していくことを指摘した。こうした背景の中で停滞を意味する不動産としての建築の都市の中での意味を問い正した。そして建築をこの物流の制御装置として位置付けて現代都市を説明した。(スライド80枚による講義用教材)
劇場という空間を客席と舞台の関係から説明した教材:『劇場建築の空間』
/ 2000年
10月10日
劇場建築の原形をギリシャの円形劇場に求め、近代バウハウスの実験劇場の空間を説明する。結果としてそれは舞台と客席の分離と融合に関する歴史であり、完全に分離したバロック時代の劇場をサーカス小屋の空間と対比させ説明。そして日本の能舞台や歌舞伎の舞台の空間の独自性について論じた。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
都市空間における演劇性に関する教材:『劇場都市』
/ 2001年
4月24日
近代に造られた標準という概念を理解し、それに適合しない物や人が日常世界と接触することによって生まれる演劇性について都市空間を説明した。事例としてヨーロッパの中世都市で演じられた街中劇を取り上げ、日常とは何かを問いかけた。そして非日常が日常と一体化しつつある現代社会を論じた。(スライド80枚による講義用教材)
仮想現実と現実の風景を身体感覚から説明した教材:『ヴァーチャル都市の風景』
/ 2001年
5月23日
映像メディアとしての風景は日常生活の中で、実際の現実の風景と融合し始めている。その状況の中で枠取りされトリミングされた風景とモニターに写し出された風景の境界域の事例を取り上げ、身体にとっての現実性とは何かを問い正す。風景のリアリティを説明する。(スライド80枚による講義用教材)
人間の視覚空間と結び付いた建築の実例をまとめた教材:『ホモ・ヴィーデンス』
/ 2001年
9月28日
見る<ヴィーデンス>人間<ホモ>のための設計教材である。外部の景観を見るための装置として捉えて設計された建築の資料。画家が風景を切り取る装置として提案した物見台や眺望をテーマに設計された住宅のような、内部から外部への視線や、逆に外部の視線が建築を貫通するような事例などを収集し、設計の指導と空間の解釈に役立てるために編集したもの。(資料30枚による指導用教材)
ネパールの都市における公共空間を説明した教材:『ダルマシャーラ』
/ 2001年
10月30日
ネパールの都市カトマンズやバクタプールにある公共の休憩場であるダルマシャーラを取り上げ、都市生活と家庭生活の接点とした結合領域であることを示した。またそれが造られた都市空間の中での位置を、道路や広場の視覚空間から説明し、人々から見られるための舞台としての建築であることを示し、現代都市の公共空間のデザインの可能性へと結びつけた。(スライド80枚による講義用教材)
啓蒙主義の時代の知識と空間管理の関係を説明した教材:『パノプティコン』
/ 2002年
4月26日
法学者ジェレミー・ベンサムを取り上げ、彼の考案した刑務所建築の空間原理と啓蒙主義時代の知識の配列の概念の相関を指摘し、視覚による管理の空間について説明する。それが当時の物理科学における度量衡の計測機の発達に並行した現象であることを指摘し、現代社会との関連についても言及する。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
写真文化と肖像画の関係から、身体における理想像について説明した教材:『観相学と身体』
/ 2002年
5月17日
肖像画と写真の歴史について触れ、身体が描かれることの意味を説明し、それが中世の観相学の歴史を継承していることを示す。そして近代の写真技術の発達と統計学を援用して平均的身体像が生み出され、標準と逸脱という世界観が都市空間と対応して標準という概念が生まれたことを示した。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
排除の理論による理想都市の建設を説明した教材:『社会衛生と都市開発』
/ 2002年
5月24日
中世都市から近代都市への移行の時代の都市計画を説明し、それが浮浪者や他民族の排除を目的として行われた事実を指摘し社会衛生学と都市開発の関係を説明した。そしてその開発の背景としてコレラ等伝染病が契機となったことを指摘し、その伝染病と貧民を関連させた差別社会について言及した。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
ニュータウンにおける住民と空間との相関を説明した教材:『都市の空間社会学』
/ 2002年
5月24日
都市における集合住宅の種類に応じて、そこに入居する住民の社会階層が細かく峻別されている事実から、空間と社会階層の相関を論じたもの。都市は均質ではなく、いろいろな場所に空間的歪みがあり、特定の指標の元で同類の人々が集積している現象を指摘し、空間と社会の関係を説明したもの。(資料20枚による講義用教材)
フランスの都市公園の空間原理を説明した教材:『フランスの庭園空間』
/ 2002年
5月30日
フランスを題材としてバロック時代に造られたベルサイユ宮殿の庭園を始め、19世紀に造られたモンソー公園、さらに20世紀に設計されたヴァンセンヌの森、アンドレ・シトロエン公園やラ・ヴィレット公園の事例をあげ、そこに表現された空間原理や時代背景を歴史的に説明した。(スライド35枚による講義用教材)
ナチスドイツにおける芸術と身体の関係について説明した教材:『退廃芸術と身体』
/ 2002年
6月7日
ナチスが前衛芸術を否定するために開催した<退廃芸術展>を素材にして、その展覧会のパンフレットに着目し、前衛芸術が精神病患者の絵画や彫刻と比較されている事実を指摘した。即ち比較素材に身体を取り上げ、その類似性から芸術を否定するというナチスの手法がユダヤ人差別に直結することを述べた。(資料30枚による講義用教材)
帝国主義の西欧文化中心主義を説明した教材:『パリ植民地博覧会』
/ 2002年
7月5日
西欧キリスト教文化が非西欧文化を蔑視して、そこに文化と野蛮という二項対立の世界観を設定して、非文明国を啓蒙するという大義名分のもとで植民地政策をとった実態を説明する。その思想が1931年にパリで開催された万国植民地博覧会の敷地の計画や建築のデザインに反映されていることを説明した。(スライド70枚と資料10枚による講義用教材)
古今東西の正方形や立方体をテーマとした建築資料の教材:『クワドラト』
/ 2002年
9月<br />2002年
9月
建築設計の手法としてマニエリズムを教えるための教材。特に建築家磯崎新氏の群馬県立近代美術館に着目してその理念を説明し、ライトを始めとする近代建築家や現代建築家の多くの作品を収集した。更にインドやエジプト等の古代建築での事例も含めて、正方形のデザインを体系付けた資料。(資料80枚による実習用教材)
沖縄の建築や城、墓、風水、工芸、生活文化等を説明した教材
/ 2002年
9月4日
岡本太郎の写真をテーマにして、日本の原点としての沖縄の文化に関する資料。主に首里城に関する城の資料のほか、伝統的な墓などから、東アジアに広まる風水思想を中心にまとめた。さらに生活文化としての踊りや食物、陶芸や硝子工芸や織物などの領域を総合して立体的に沖縄が理解できるようにした。(A4資料100枚による講義用教材)
都市生活者の多様なアイデンティティを説明した教材:『ここはどこ、私は誰』
/ 2002年
9月28日
ファッションがアイデンティティを確立するうえで重要な役割を果たしているが、その時さらに重要な要素として背景としての都市や建築の存在を指摘した。そして現代の都市生活者が幾つもの多様な社会的役割を演じている生活スタイルを行っている視点から、都市とアイデンティティの関係について論じた。(スライド80枚による講義用教材)
視線が空間と密接な関係があることを説明した教材:『近代の眼差しと都市空間』
/ 2002年
10月11日
視線はプライバシーの問題と表裏をなして都市空間と密接な関係にある。そもそもパースペクティヴのような遠近法の空間には一つ視点しか存在しないのに対して、近代社会には無数の視線に溢れており、特異な時代を迎えている。こうした観点から都市空間と近代芸術における視線の意味をついて論じた。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
近代芸術の源泉として地中海の歴史を説明した教材:『地中海と近代芸術』
/ 2002年
10月22日
17世紀から18世紀におけるイギリスに着目し、貴族の子供が教養のためにおこなったグランド・ツアーについて説明した。それがヴィクトリア朝とエドワード朝に近代の芸術を醸造する契機となり、20世紀においても地中海を中心にアフリカと密接な関係の中で近代芸術が生み出された経緯を説明した。(スライド80枚による講義用教材)
地域演劇という視点からまちづくりを説明した教材:『地域に生きる演劇』
/ 2002年
10月25日
市民が生活の一部として地元の歴史や社会問題をテーマとして行う演劇の概念をスウーエデンの事例で説明する。さらに人形劇や民族舞踏や民謡が世紀末の東欧や北欧において強くナショナリズムと結び付いた歴史的事象との関係から、商業化した演劇を批判し、地域演劇によるまちづくりの可能性を論じた。(スライド60枚と資料20枚による講義用教材)
オリエンタリズムと近代芸術の関連を説明した教材:『オリエンタリズムとアヴァンギャルド』
/ 2002年
10月29日
タヒチへ向かったゴーギャンを始め、ピカソやマチス等近代芸術を切り開いたヨーロッパの芸術家たちの作品とアフリカやオセアニア芸術との関係を指摘して、前衛という概念とオリエンタリズムの関係を論じた。そしてヨーロッパ近代文明がが野蛮といわれる文化と表裏の関係にあることを指摘し、近代という概念の再構築の必然性を問い正した。(スライド80枚による講義用教材)
都市社会の犯罪における演劇性を説明した教材:『社会犯罪とパレーシアステート』
/ 2002年
11月15日
グリコ森永事件を題材にして、都市犯罪の劇場性や演劇性について概説する。しかしその本質として怪人二十面相の脅迫文に認められる社会批判の姿勢を指摘し、M.フーコーのパレーシアステース(真実を語る者)の概念を援用して、社会犯罪のもう一つの側面について言及する。(資料20枚による講義用教材)
大衆民主々義の時代における政治における演劇性を説明した教材:『劇場国家』
/ 2002年
12月6日
政治がその本質として<マツリゴト>を現在も内在させていることを、政治家のスピーチやジェスチャーにおける演劇性から説明する。例えばアメリカの大統領には映画俳優出身者がいるように、政治家にとって演技する技術とは必然であり、会議場を舞台とした現代政治の演劇性についてバリ島における劇場国家の概念を援用して説明した教材。(資料20枚による講義用教材)
消費社会とアイデンティティを説明した教材:『ファッションと身体』
/ 2002年
12月20日
現代社会では消費はそれ自体が目的化していることを指摘し、消費によって精神的充足とアイデンティティを獲得する時代であることを説明する。そしてブランド服や有名人と同じ服装を購入することにより同一化への欲望を満たし、自我同一を疑似体験するシュミラークル現象として位置付けた。(資料30枚による講義用教材)
人間のアイデンティティの要素としての思い出と都市との関係を説明した教材:『記憶の都市』
/ 2003年
1月17日
人々の生活は記憶を背景とした都市空間の舞台で繰り広げられており、記憶は都市空間や建築に依存している。よって単に機能的空間があっても個人の記憶の物語と断絶した空間は人間のアイデンティティを阻害する可能性がある。記憶は空間と身体を結び付け、その中で人々は生の営みを重ねている。(資料30枚による講義用教材)
身体に表象されたインドの都市空間を説明した教材:『インド建築の都市と身体』
/ 2003年
5月9日
インドにおけるマナサラという都市建築設計手法を取り上げ、身体と都市と宇宙が一つの概念で結び付けられるており、それが曼陀羅の世界観を形成していることを説明している。具体的にインドの都市ジャイプールの事例を取り上げ、その構造と理念を説明したもの。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
世紀末ドイツの絵画と身体の関係を説明した教材:『ユーゲントシュティルと身体』
/ 2003年
5月30日
ロマン主義世界を継承したドイツのユーゲントシュティルのグラフィックでは、自然と融合して身体が描かれていることを指摘する。こうした背景からドイツの前衛芸術が身体にこだわっていることを説明し、当時建設された理想都市である田園都市においても身体に理想的な姿が求められた事実を指摘し、身体と都市の関連性を説明した。(スライド35枚と資料30枚による講義用教材)
イスラム教の伝播と建築の特性を説明した教材:『イスラム建築』
/ 2003年
7月10日
メッカに展開したイスラム教の伝播として、イスラム世界の歴史的展開を地図で示しながら、各国に広がったイスラム建築の事例をエジプト、モロッコ、トルコ、インドに求めて具体的にスライドで説明した。さらにオリエンタリズムとして西欧の近代建築に及ぼした影響について言及した。(スライド80枚による講義用教材)
隔離された新型都市と社会について説明した教材:『ニューアーバニズム』
/ 2003年
7月11日
アメリカで顕著なゲートのついた高級住宅地区の事例を取り上げて、貧者を排除した理想都市の現状をビデオで説明する。そして、その嚆矢としてディズニーが再開発した都市を上げ、ディズニーランドの延長線上に現代都市の本質を説明した。それがアメリカの新都市の主流となっている現状を指摘した。(ヴィデオ50分と資料30枚による講義用教材)
社会制度と建築、社会制度と制服の関係を説明した教材:『制服と社会制度』
/ 2003年
11月21日
英語の「インスティテューション」という言葉には制度と公共建築という2つの意味があることを指摘し、制度と建築物の社会的関係を述べる。それと相似した関係として制服の社会的な意味を概説して、制服により生み出される社会的なアイデンティティの視点から身体表象について論じている。(資料20枚による講義用教材)
メディアにおける表象された身体について説明した教材:『映像の中の身体』
/ 2003年
11月28日
映像における身体は全てステレオタイプ化されており、記号化されていることを多くの事例を上げる。そしてアメリカ映画での世界観や、欧米映画での日本人のイメージから、映像というメディアにおける人種のステレオタイプ、コロニアリズその視点から説明し、メディア・リテラシーの概念にていて言及したもの。(スライド10枚と資料20枚による講義用教材)
京都の都市、建築、庭園における視覚空間を説明した教材:『伝統の中のモダニズム空間』
/ 2003年
12月5日
伝統的な寺社仏閣とされる京都の銀閣寺や松尾神社や大仙院等や、また石塀小路などの路地空間の魅力を、空間の連続性と分節の視点から解析し、現代都市空間や建築設計への応用の可能性を説明したもの。(スライド80枚による講義用資料)
視覚文化からみた都市と建築と庭園の関係を説明した教材:『支配する視線』
/ 2003年
12月17日
視線の意味を、中心から放射するもの、2つの対象を結び付けるもの、錯乱した多様な視線に分類して、視線と社会的な意味を空間と関連付けながら、それが生まれた歴史的文化的背景を論じたもの。そうした視線が内在したものとして地図や絵画や建築の本質を説明した。(スライド80枚による講義用の教材)
異性服装倒錯からファッションのジェンダーとアイデンティティを説明した教材:『トランスヴェステシズム』
/ 2004年
1月16日
現代社会における男女の境界域の曖昧さを、ファッションの領域から問うための教材。宝塚やユニセックスファッションを始め、伝統的なお祭りにおける男性の女装の事例などを上げて、社会のジェンダーと身体表象との関係を論じた教材(資料20枚による講義用教材)
西欧の人から見た日本文化の事例を建築に着目して説明した教材『私は日本文化を愛する』
/ 2004年
2月
ドイツから日本へ来た建築家ブルーノ・タウトに着目し、彼が批評した桂離宮や伊勢神宮や日光東照宮について論じて、日本人の目から見た日本文化と外国人からみた日本文化の齟齬を確認しながら、日本的な概念がこうした外国人の眼差しから構築された事実を歴史的に説明したもの。
(テキスト並びにビデオ)
近代を決定つける優生思想について学ぶ教材:『サイードの「オリエンタリズム」』
/ 2004年
4月23日
現代社会が客観的で中性的で科学的な説明で理解され得ない事例として、オリエンタリズムとコロニアリズムと帝国主義の歴史的時代とその概念を学び、現代都市の問題を考える起点とする。こうした概念が中心と周縁の構造を持つことを、日本におけるオリエンタリズムの矛盾した概念から説明する。さらにクレオールといった概念を学んで、現代の旧植民地における多様な文化の様態を理解し、振り返って日本や欧米の現代社会の問題を再認識する。(資料20枚による講義用教材)
支配する装置としての都市空間の原理について学ぶ教材:『植民地都市』
/ 2004年
4月30日
旧植民地における都市構造をコロニアルスタイルとして説明する。そうした都市に特徴的な格子構造がニューヨークやマニラやラングーンに確認できることを指摘し、基本的に都市というものが管理のための空間構造であるという本質を理解してもらう。それと対照的な都市として中世のヨーロッパ都市やスラムと比較しながら、こうした空間構造が戸籍や納税システムとして非空間化している現代都市の管理の状況を説明した。(スライド30枚と資料10枚による講義用教材)
社会衛生の視点から身体と都市を理解する教材:『社会衛生からみた都市と身体』
/ 2004年
5月14日
近代日本において広まった徴兵制にともなう国民の健康管理という視点から、近代における身体の理想像と社会との関係について学ぶ。事例としてナチスの優生政策をあげ、その一方で開催された衛生博覧会という啓蒙的催事を説明し、現代社会で当然視されている健康診断やラジオ体操、運動会といった国民の身体管理について再認識を促す。またそれが都市空間においては国立公園や上下水道の整備と表裏の関係にあったことを指摘する。
(スライド30枚と資料15枚に教材資料)
資本主義や植民地主義から解釈した近代スポーツを理解する教材:『体操とスポーツ』
/ 2004年
5月21日
オランダやドイツを中心に始まった競争をしない体操や、器具を用いたギムナスティックと、時間や量を争うスポーツを比較検討し、近代社会における体操とスポーツの意味を考察する。体操が社会主義的な調和原理を表象しているのに対して、スポーツは植民地の管理に援用されるなどダーウィニズムを反映させている。こうした歴史的背景の中で、日本の日常の中のラジオ体操やオリンピックなどを考察し、現代社会について理解を深める。(資料15枚による教材資料)
映画やTV画像の中でステレオタイプ化されたアジア人の身体を理解する教材:『映像の中の身体』
/ 2004年
5月28日
アメリカ映画を代表にして、そこに登場してくる日本人像にはコロニアリズムが反映されていることを認識する。こうした視線や解釈がアメリカにおける西部劇のインディアン像にも共通するものとして解釈を深める。さらにハリウッド映画などの映像の中でステレオタイプ化された民族像が国際社会において生み出した先入観から、例えばイスラム系のテロリズムへの批判を再解釈するなど、現代社会との関係を考察する。
(スライド35枚と資料15枚による教材資料)
日本の日常生活の中に潜在しているコロニアリズムを検証する教材:『日常の中のコロニアリズム』
/ 2004年
6月4日
最初にウエッジ・ウッドが造った黒人奴隷のメダルに関する資料(英文)を読み、18世紀における反奴隷貿易運動について学ぶ。こうした黒人をモチーフにした商票が日本に多く用いられて生きた事実を一つ一つ検証していく。たとえばダッコちゃんやカルピスなどが上げられる。さらにちびくろサンボの絵本を取り上げて、それが差別絵本として社会問題となった背景を検証して、現代芸術におけるコロニアリズムを説明する。
(資料25枚による教材資料)
19世紀の旅行大衆化時代がもたらした近代社会を理解する教材:『旅の系譜:トーマス・クック』
/ 2004年
6月11日
最初の18世紀に貴族の師弟が教養を高めるために行っていたグランド・ツアーを学ぶ。そうした海外旅行がイギリスで大衆化したが、その中心的人物であるトーマス・クックを通してヨーロッパ近代の社会を考察する。たとえばグリニッジが世界の標準時となった経緯や、イギリスの植民地政策との関連、あるいは当時の旅行・探検文学との相関など、立体的にその関係を解明していく。
(スライド70枚と資料10枚による教材資料)
西欧の人々の中に捏造された楽園のイメージとしてのバリ島を理解する教材:『造られた楽園、バリ』
/ 2004年
6月18日
現在バリ島の文化の好例とされるケチャのダンスや細密画がドイツ人により近代において造られたことを指摘して、西欧人が自分たちのイメージで捏造した典型的な観光地としてバリ島を分析する。その背景として西欧がアジアを野蛮として位置付けたコロニアリズムを解釈した上で、当時の西洋人の持つ未開や文明のイメージを検証していいく。そして現在のリゾート地である多くの南洋の島々が植民地であったことを説明する。(スライド35枚と資料15枚による教材資料)
西欧の人々の中に捏造された楽園のイメージとしてのバリ島を理解する教材:『造られた楽園、バリ』
/ 2006年
4月21日
現在バリ島の文化の好例とされるケチャのダンスや細密画がドイツ人により近代において造られたことを指摘して、西欧人が自分たちのイメージで捏造した典型的な観光地としてバリ島を分析する。その背景として西欧がアジアを野蛮として位置付けたコロニアリズムを解釈した上で、当時の西洋人の持つ未開や文明のイメージを検証していいく。そして現在のリゾート地である多くの南洋の島々が植民地であったことを説明する。
(スライド35枚と資料15枚による教材資料)
国家のナショナリズムを確認する装置としての博物館を理解する教材:『博物館とナショナリズム』
/ 2004年
7月2日
19世紀末にヨーロッパでは国家独立運動が盛んとなったときに、国家あるいは民族のアイデンティティを自覚するうえで、独自の伝統文化として言語、民謡、衣装、民家、民話、風景が重要な役割を果たした。こうしたものを収集し整理するための文化的社会的装置が博物館や美術館や資料館であった。その文脈の中で国立公園やグリム童話や博覧会を再度解釈して、東欧にナショナルミュージアムの実像を紹介する。
(スライド20枚と資料10枚による教材資料)
進化論が人間と動物の境界を消失させた近代社会を理解する教材:『動物と人間の境界』
/ 2004年
7月9日
人を罵倒するときに動物や昆虫に例えることがある。それは社会が動物や昆虫を劣等とみなし忌み嫌うからである。近代のダーウィンによる進化論は動物と人間を連続的にとらえる視点を生み出し、キリスト教的な分断された世界は消失した。そして生まれた動物愛護運動や動物を主人公としたアニメーションが帝国主義の中で特異な意味を持ち、社会を啓蒙する手段として用いられた。
(資料15枚による教材資料)
天皇を巡る解釈のなかに象徴された日本人像をを理解する教材:『天皇の二重性』
/ 2004年
7月16日
平成16年7月16日、平成18年6月23日日露戦争により西欧列強の一員として認められた日本は、日本人白人説が生まれるほどの衝撃を与えた。西欧にとってはオリエントの周縁国であるが、日本においてはアジアの中心地であり、アジアに植民地を拡大する帝国であった。こうした構図の中で日本はアジアに対して西欧を演じ、ヨーロッパに対してはアジアにアイデンティティを見いだした。こうした社会を象徴するものとして天皇を説明した。
(スライド35枚と資料15枚による教材資料)
天皇を巡る解釈のなかに象徴された日本人像をを理解する教材:『天皇の二重性』
/ 2006年
6月23日
平成16年7月16日、平成18年6月23日
日露戦争により西欧列強の一員として認められた日本は、日本人白人説が生まれるほどの衝撃を与えた。西欧にとってはオリエントの周縁国であるが、日本においてはアジアの中心地であり、アジアに植民地を拡大する帝国であった。こうした構図の中で日本はアジアに対して西欧を演じ、ヨーロッパに対してはアジアにアイデンティティを見いだした。こうした社会を象徴するものとして天皇を説明した。
(スライド35枚と資料15枚による教材資料)
日本が世界でどのように位置付けられていたか万博から理解する教材:『万博日本館とオリエンタリズム』
/ 2004年
7月23日
日本建築の近代を理解する上で最も興味深い存在として世界万国博覧会の日本パヴィリオンを取り上げる。歴史的に1937年のパリ万国博覧会以外では日本政府パヴィリオンは全て伝統的日本建築をモチーフにしており、西欧型近代建築により建設されたことはなかったその一方で日本国内で開催された勧業博覧会では西欧風のパヴィリオンが建設された。その史実を取り上げて、日本のオリエンタリズムについて詳述した。
(スライド20枚と資料10枚による教材資料)
絵はがきの都市景観に託された都市の記号的解釈を理解する教材:『記号として都市』
/ 2004年
7月23日
風景写真や都市景観写真では様々な解釈が成り立つ。それぞれの要素が一つずつ意味を担い、風景全体の中で構成されている。そうした風景写真における風景を日常の世界に捜しても見あたらない。なぜならば特殊な状況下での風景だからだ。その典型として絵はがきの風景を分析する。絵はがきの風景は全て記号の集積として解釈できる。そこに託された社会的意味を検証する。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
肖像画や肖像写真に託された身体の記号的解釈を理解する教材:『記号として身体』
/ 2004年
7月23日
モナリザの肖像画を取り上げて、その眼差しや背景や姿勢や男性性について解析しながら肖像画に託された記号を読み解く。また横浜写真といわれる外国人を対象とした絵はがきでは日本人の姿に様々な解釈が加えられた事例として取り上げて、身体の記号的解釈を試みる。こうして外国の文化を背景とした日本への眼差し、あるいはその逆の眼差しを説明し、身体像から記号的解釈を学ぶ。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
メディアに用いられる報道写真の虚実を理解する教材:『捏造される報道写真』
/ 2004年
9月28日
最初に広重の東海道53次を取り上げて、実際に広重が箱根以西は行ってないことを明らかにして、全てが捏造された風景であることを説明する。こうした造られた映像は報道写真には数多く認められている。しかし重要なことは捏造された写真の方が状況をよく表しており、人々に受け入れられやすいことである。デジタル化の時代では全ての報道写真は捏造されたものであり、その解釈について学ぶ。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
社会制度から造られた都市のイメージを理解する教材:『虚構としての都市』
/ 2004年
10月5日
北海道でも札幌が雪が少ないことで知られているが、しかし雪祭りが都市のイメージを決定している。雪は自衛隊が集めてくる。このように東京やパリやアメリカの都市などには先入観としての都市のイメージが形成されており、都市はそのイメージに沿って再構築されていく。そうした虚構化する都市の典型としてディズニーランドを指摘し、その延長の上に建売住宅やテレビの住宅関連番組を説明する。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
絵画の写実的表現と写真の絵画的表現の差異を理解する教材:『写真と絵画の境界』
/ 2004年
11月12日
現代において、精緻な写実画を描く画家を取り上げ、その画家が自分の作品を写真に撮り、それをもとにして精緻な絵画を描いている行為を取り上げて、写真と絵画の意味を議論する。写真らしさをできるでけ排除する写真を目指す作家といった事例を列挙しながら、写実性について検証する。また18世紀の写実画から、そこに描かれた虚構性を指摘して、写実性と真実についても検証する。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
肖像に着目した場合の写真と絵画の表現の差異を理解する教材:『肖像写真と衝動画』
/ 2004年
11月12日
最初に写真が発明されたときに肖像画の代用として肖像写真が生まれた歴史的経緯から写真と絵画の関係について論じる。また多くの画家が肖像画を描くときに写真を利用している事実を指摘して、その写真とそれを基にして描いた肖像画を比較し検証する。その上で写真家の牛腸茂雄の作品を取り上げて、そこに移された肖像の解釈を試みる。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
都市の構築がナシナリズムを反映していることを理解する教材:『ナショナリズムとしての都市』
/ 2004年
12月3日
例えばドレスデンや最近ではボスニアの都市が戦争で崩壊したときに、昔と全く同じように再建したように、都市はナショナリズムを反映しうる。スイスが独立したときにアルプスの絵画が描かれたように、大地や伝統的都市景観がナショナリズムと連動して歴史的に浮上する。そうした史実を踏まえて、現代社会における竹島における韓国の切手の発行の意図や、あるいは日本海の名称の問題などについて論じる。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
日本人の身体と西洋の身体の表現の差異を理解する教材:『ナショナリズムとしての身体』
/ 2004年
12月3日
天皇の肖像画を対象として、そこから日本人の身体について考察する。有名なキヨッソーネが描いた明治天皇の肖像画では、虚弱な明治天皇の身体に代わってキヨッソーネの身体が描きこまるている。顔以外は西欧の身体に置き換えることにより、西洋文化に比肩する日本を象徴している。このように日本近代における身体表現には西洋の身体が援用され、微妙なナショナリズムの記号が秘められている。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
絵画と写真の中の時間に着目した身体表現を理解する教材:『時間の中の身体像』
/ 2004年
12月10日
まずマチスが描いた有名なダンスの作品を取り上げ、そこに描かれた5人の裸体の女性は実は一人ではないかという仮説をもとに、時間の表現の可能性を論じる。歴史的にはマイブリッジの連続写真を参照しながら、マルセル・デュシャンの階段を降りる裸体を作品を時間の概念で説明した。さらに写真家ドゥエイン・マイケルスのシークエンスという連続写真の作品を通して時間について考察する。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
日本の浮世絵に見る平面表現と西欧画の立体表現を理解する教材:『身体の立体表現』
/ 2004年
12月17日
日本の浮世絵の肖像画がリアリズムによらない扁平な世界に還元された表現である。やがて近代を迎える過程で西欧の立体表現を取り入れた画家として司馬江漢の風景画を取り上げて、その手法が日本の浮世絵に見られるものとの折衷的な表現をとっていることをしてきして、いかなる過程で立体表現へと以降したかについて述べる。それをさらにセザンヌの作品と比較しながら検証していく。 (スライド30枚と資料10枚による教材資料)
地図の表記の仕方かる世界観を理解する教材:『地図の表現と身体』
/ 2005年
1月21日
近代地図は上を北とした固定的な視線を前提としている。例えば日本は南に太平洋へと開けている。しかし中国大陸側から見ると、即ち天地を逆にすると日本が太平洋への道を塞ぐように位置することが判る。このように見る主体の位置からもう一度地図を見直す。また見る人間の関心度をエッシャーのバルコニーの作品から説明して、主観的な地図表現としてパノラマ地図を説明する。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
錯視の表現の歴史的経緯と現代社会での可能性を理解する教材:『だまし絵と視覚構造』
/ 2004年
12月28日
平面に描かれた絵画では、ルネサンス以降透視図画方により奥行き表現が生まれた。この表現を実際の立体に施すことにより、その立体は本来の造形とはことなる立体として人間は理解する可能性がある。そうした実例として戦時中に戦艦に立体感覚を狂わすような塗装を施した例を上げて、錯視と立体表現について論じた。またジョルジュ・ルースの作品を紹介して、平面と立体の関係を深めた。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
錯視の表現の歴史的経緯と現代社会での可能性を理解する教材:『だまし絵と視覚構造』
/ 2005年
7月8日
平面に描かれた絵画では、ルネサンス以降透視図画方により奥行き表現が生まれた。この表現を実際の立体に施すことにより、その立体は本来の造形とはことなる立体として人間は理解する可能性がある。そうした実例として戦時中に戦艦に立体感覚を狂わすような塗装を施した例を上げて、錯視と立体表現について論じた。またジョルジュ・ルースの作品を紹介して、平面と立体の関係を深めた。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
視覚的な視点から都市の街路構造の成り立ちを理解する教材:『城下町の都市構造』
/ 2005年
5月13日
東京には台地と下町の間に多くの坂道があり、それが江戸時代には都市を俯瞰する場を与えた。その時遠く富士山や筑波山が見えるような方向に坂道が造られた。同様に多くの城下町では周囲を山で囲まれていたために、その見える方向が道そのものとなり都市構造を決定した。それが地勢に沿って決定された都市構造と重合されていることを説明して、都市の街路の成り立ちから都市景観を論じた。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
中国の周礼による儒教的都市構造と江戸の螺旋構造を比較し理解する教材:『儒教的な都市構造』
/ 2005年
5月13日
日本の京都や奈良のと都市が中国の西安といった儒教型都市の引用である歴史を述べて、当時の建築書である周礼について説明した。こうした京都に対して江戸の都市構造が螺旋を成しており、いかに特異なものであるかを説明し、その成り立ちを歴史的にたどる。特に下町の運河や、あるいは神田上水など、江戸時代に水運を担う都市構築と、江戸を中心に放射状に広がる街道とこの江戸の螺旋構造との関係を詳述する。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
視覚的な視点から都市の街路構造の成り立ちを理解する教材:『城下町の都市構造』
/ 2005年
5月20日
東京には台地と下町の間に多くの坂道があり、それが江戸時代には都市を俯瞰する場を与えた。その時遠く富士山や筑波山が見えるような方向に坂道が造られた。同様に多くの城下町では周囲を山で囲まれていたために、その見える方向が道そのものとなり都市構造を決定した。それが地勢に沿って決定された都市構造と重合されていることを説明して、都市の街路の成り立ちから都市景観を論じた。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
江戸名所百景から都市とナショナリズムとの関係を理解する教材:『江戸の風景とナショナリズム』
/ 2005年
5月27日
江戸名所百景ではその編集のしかたが北斗信仰を暗示させるような序列を成していることが知られている。全体で江戸を風景によって一つの世界像へとまとめている。あるいは明治になると、国が京都や奈良を整備して日本文化の象徴の地として整備し直し、学生に修学旅行で巡回させナショナリズムを醸造した。さらに戦後では民族精神発揚と国土再建のために緑化推進運動が行われることなどの事例で説明した。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
寺山修司の演劇手法を標準的身体像から理解する教材:『寺山修司と一寸法師』
/ 2005年
6月10日
寺山の戯曲では異形の身体を登場させ、標準的身体を浮上させる手法が特徴的である。彼の一寸法師の論考を参照して、現代都市の虚構を説明し、標準的な指標が社会規範となっていることを説明する。都市とはこうした標準的身体をもつ人々を前提としており、非標準的な身体を排除することにより都市が成立しているくとを指摘した。そして現実の都市には多様な身体や価値観から構成されていることも述べた。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
現代都市は都市生活を演じる人々の舞台空間として理解する教材:『劇場家する都市』
/ 2005年
6月17日
オレオレ詐欺をはじめとした劇場犯罪、あるいは小泉首相の劇場政治など、都市はエンターテイメントの劇場空間として解釈することが可能だ。その理論を寺山修司の市街演劇の検証を経て、山口昌男や三浦雅士の解釈を参照して学ぶ。都市生活社のアイデンティティは純粋な個人ではなく、会社が学校などの社会システムの中においてのみ位置付けられ、虚構化し演劇化していくと解釈できる。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
都市を中心部と郊外に分けて郊外という社会から都市を理解する教材:『郊外とニュータウン』
/ 2005年
6月24日
多くのニュータウンにおける殺人事件を事例として、郊外特有の都市環境、すなわち家族構成や団地空間や就業形態を指摘して、これまでの都市とは異質な空間として説明する。そこから得られた社会の階層化した現実を、アメリカの大統領選挙で浮上した階層社会と比較検討し、新しい現代都市の姿を解釈する。またこうした日本の郊外を扱った小説を題材にして都市の状況の理解を促す。(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
小説に描かれた都市の記述から周縁的都市空間を理解する教材:『文学の中の境界域』
/ 2005年
7月1日
大江健三郎や夏目漱石の小説に描かれた都市の描写を読み込み、そこに描かれた周縁的な表現を指摘する。特に夏目漱石の門や草枕といった小説には山手の空間が描かれており、多くの空間を示す記号がちりばめられていることが判明する。ここでは空間の境界領域が心理描写と重合している。変化に富んだ都市空間とはこうした物語を発生させる装置であり、都市はこの発生した文学により意味付けられている。
(スライド30枚と資料15枚による教材資料)
ドイツの風景画家フリードリヒの歴史的解釈を理解する教材:『フリードリヒと民族主義』
/ 2005年
9月30日
北ドイツの風景を描いていたフリードリヒの絵画作品を取り上げて、それが変化する時代の思潮から評価が変化する過程で、当時のドイツの民族主義的な状況を説明した。描かれた当時はドイツ・ロマン主義の中で解釈されたが、19世紀末には高まる民族主義的ナショナリズムの中でゲルマン民族の国土の風景を画家として再評価された。こうした史実を絵が隠れた人物の服装や風景から詳述する。
(スライド30枚と資料10枚による教材資料)
小説ガリヴァー旅行記からイギリス社会を理解する教材:『ガリヴァー旅行記』
/ 2005年
10月7日
スィフトが書いたこの小説にはリリパットやブロブディンナグといった国、あるいは馬デアルフウイヌムが登場する。こうした異国の地の表現は植民地主義から生まれたものであるが、それらを用いてスィフトは当時のブルジョアジーや植民地主義といったイギリス社会を批判していた。こうした社会風刺としてガリヴァー旅行記はよむことができるであろう。
(資料15枚による教材資料)
小説ロビンソン・クルーソーからイギリス社会を理解する教材:『ロビンソン・クルーソー』
/ 2005年
10月14日
デフォーが書いたこの小説は、資本主義が台頭する17世紀イギリスで書かれたことを説明し、当時のイギリスの植民地政策による重商主義の社会を反映している。これは単なる海洋冒険小説ではなく、資本主義のもとで労働が財産を構築している姿をそのまま描いている。またデフォーはユーグノー派であり清教徒革命に始まるイギリスのピューリタンによる革命の時代の影響も受けていることを指摘した。 (資料15枚による教材資料)
小説ユートピアからイギリス社会を理解する教材:『トマス・モアのユートピア』
/ 2005年
11月18日
この小説は16世紀、即ち宗教改革とルネサンスの時代に書かれたものであり、無秩序がイギリスを支配していた時代である。その中世的な絶対主義から解放され近代人の自由を獲得するする宣言書であるといえる。こうした時代背景を述べて、ブルジョア的啓蒙主義の式初期の形態であり、信仰よりも人間愛を重要視するなど、近代の萌芽として解釈できるであろう。それはユートピア島には私有財産制と特権階級の不在が物語っている。
(資料15枚による教材資料)
光が暗さの表現であり、その視点から文化を理解する教材:『光と闇』
/ 2005年
11月22日
オランダ印象派の絵画を素材に眼の色で光の感じ方が異なることを指摘し、西欧の夕方の文化を緯度の差から説明した。日本では陰翳礼讚の文献を取り上げながら、闇が支配する日本建築の文化特性について事例を上げて説明する。こうした光と闇の文化的解釈をしたうえで、現在の照明デザインが一方的に明るくすることにその価値を置き、光よりは照明器具のデザインに終始していることの不毛性を説明した。
(資料15枚による教材資料)
月光から桂離宮の建築をとおして光の文化を理解する教材:『月と建築』
/ 2005年
11月29日
月見という生活文化や竹取り物語といった文学を通して日本で、月は人間生活の中で意味付けられ、月光が意識されてきた経緯を説明する。この月がテーマとなった建築として桂離宮を取り上げて、その古書院の月見台や月波楼から、月と庭園の空間構造や建築空間との関係を説明する。現在の照明デザインでは光が明るさの問題へと還元され過ぎてしまっていることに警鐘を鳴らし、光のデザインの可能性を示唆した。
(資料15枚による教材資料)
大陸的な思考を否定するものとして無人島を理解する教材:『無人島-アーキペラゴ的世界観』
/ 2006年
4月14日
ジル・ドゥルーズの無人島に関する本を参照して、大陸型思考と島型思考を対比的に分類して、島型と言われるアーキペラゴ的世界観の重要性を指摘した。即ち直線的進化論や植民地領有主義あるいは一神教的世界が支配する大陸的精神世界ではなく、回遊的に漂流する主体、方向が定まらない無数の視線、消滅を必然とする非恒久的存在といった特性をもつアーキペラゴ的思想がポスと・コロニアリズムの時代に不可欠であると述べた。
(資料15枚による教材資料)
大陸的な思考を否定するものとして無人島を理解する教材:『進化論と社会ダーウィニズム』
/ 2006年
6月2日
種の起源を読み、ダーウィンが提唱した進化論が近代社会に導入され拡大解釈されてい社会化して行く過程を詳述する。特に現代アメリカではプロテスタントの福音派が天地創造の説を主張し、進化論が学校で教えられない状況を詳述した。また日本においては進化論の導入が、天照大神の子孫とし位置付けられた天皇陛下の皇国史観の否定につながることから導入が制限された史実を述べ、イデオロギーとしての進化論の側面を述べた。
(資料10枚による教材資料)
パリで文化人類学を学んだ岡本太郎が発見した日本を理解する教材:『岡本太郎、縄文、沖縄、太陽の塔』
/ 2006年
6月16日
パリに留学していた岡本太郎が文化人類学を学び、シュールレアリズムの作品を残した。日本に帰国するとこのパリの視線から日本で沖縄や東北に日本文化を発見し再評価した。また縄文土器を考古学資料ではなく美術品として再評価するなど、日本のオリジナルの文化の発見を行った。その彼が大阪万国博覧会に設計した太陽の塔の内部には、パリで学んだ進化論が展示に反映されていた。
(スライド35枚と資料15枚による教材資料)
近代を解釈する手法としての野蛮と文明の二元論を理解する教材:『野蛮と文明』
/ 2006年
6月30日
多文化主義の時代を迎えながら、一方でハンチントンが主張するような文明の分離と独立が解釈されていることを示す。こうした背景として帝国が植民地を支配するために生み出したコロニアリズムを再検証するために、野蛮と文明を論じた8冊の本を読み比較した。即ち野蛮と文明の定義は多様であり、目的に応じて使い分けられていることが判明する。しかしこの世界を文明と野蛮で2分するという思想自体こそ近代と位置付けた。
(資料15枚による教材資料)
文明を捨てて南洋の孤島で活躍したゴーギャンを理解する教材:『タヒチとゴーギャン』
/ 2006年
7月7日
パリの万国博覧会でタヒチと出合ったゴーギャンがパリを捨ててタヒチで創作活動を続けた。それは小説月と6ペンスにも取り上げられた。この西欧人の楽園願望を体現したゴーギャンは自分の作品でさらに楽園のイメージを西欧に与えていった。こうした画家としてドラクロアやジェロームなども取り上げ、絵画におけるオリエンタリズムについて論じ、西欧の美術が植民地から刺激を受けて展開していった事実を指摘した。
(スライド70枚と資料15枚による教材資料)
ヨーロッパのモダニズムの源流としてのプリミティヴィズムを理解する教材:『プリミティヴィズム』
/ 2006年
7月14日
ヨーロッパが植民地としていたアフリカからは、それまでにない造形表現が発見された。そうした土着民の彫刻や工芸品を模倣することが、ヨーロッパ芸術のモダニズムの源流となり、19世紀末にエルンストやマチスやピカソに多大な影響を与えた。こうしたプリミティビズムと呼ばれるアフリカやオセアニアの彫刻が万国博覧会に出展され、芸術ばかりでなく建築や絵画や音楽にも多大な影響を与えた。
(スライド70枚と資料15枚による教材資料)
教育上の能力に関する評価(自己評価)
a) 指導上の留意点 / 2006年 12月1日
1.設計課題は結果を出すことよりも、設計して課題の内容を理解していく過程を重視する。できるだけ間違えることによりテーマの核心を理解させ近道を回避させる。
2.直感的な課題解決を避けさせ、論理的な積み上げによる設計を行わせる。曖昧な説明を許容せず、第三者が理解できる説明を、学生各自ができるように指導する。
3.課題の指導は一方的に先生が学生に正解を教えるのではなく、学生の提案を学生が質疑して問題の核心に迫るような、全員が先生となるような授業展開を行う。
4.課題テーマを立体的に理解してもらうために、学内のそれを専門とする先生や、学外の専門家をゲストとして招き、異なった視点から課題の理解を深める。
5.授業の最初には、課題に関連する社会ニュースや現在開催中の展覧会に関する記事を当日の新聞から抜粋して配布し、課題の現代性に関する理解を深めさせる。
6.課題の理解を深めるために、学外において都市や建築や展覧会などを見学し、そこで実地で課題のテーマを説明し、課題を単なる机上論に終わらせないようにする。
7.課題を学内の授業に収束させず、あるいは提出してやりっ放しではなく、その成果を学外のギャラリー等で発表させ、その過程自体を教育の重要な部分とさせる。
8.課題は段階的に消化して展開するように組立て、その都度の成果が出るようにし、課題が最終的に終了した後はそれを整理して自分の作品集としてまとめさせる。
9.課題の採点は学外から専門家を招いて、学生自身が自分の考えを第三者に説明を行い、質疑を行うことによって、一方的な先生の好みによる採点を回避する。
10.学期の最初や最後にアンケートにより、学生の興味の傾向や、授業への評価や、他の授業の良い点などを毎学期収集し、授業へと反映させる。
11.既存の芸術や学問の領域を横断するような構造を内在させた課題テーマを勘案することにより、学生にとってあらゆる分野の学習が必然となるようにする。
12.平面と立体の概念を明確に課題の中に意識させ、両者の関係を、例えば絵画と建築、映像と都市といった具体的な事例を題材にし、基礎的な概念として教える。
13.デザインの意味を、常に社会や都市の中に解釈させることにより、単体のデザインの志向を回避させ、卒業後社会において活躍する上での意識を学生から持たせる。
14.デザイン教育をオブジェとしての単体設計としてではなく、空間や社会や都市や情報のような関係性の中での相対的な存在であることを意識させる。
15.歴史的過去の様々な文化が現代社会と密接に関連していることの理解を深めるため、歴史的な背景を持つ現代社会の事象を課題テーマとして積極的に取り上げる。
16.普遍化された世界観や価値観の一方に、個人の多様な身体を起点とした非客観的な世界観や価値観を意識させ、その中でデザインとは何かを考えさせる。
17.課題が一つの結論へ収束するのではなく、学生の個性や興味によって多様な成果へと発散しうるような構造を内在させた課題を設定する。
18.実務や技術といった職能教育と、美意識や論理性や哲学といった精神性の教育を意図的に分離し、大学教育の意義を後者に置きながら、前者を融合させる。
19.異なった専攻の学生が共に受講できるような課題を設定し、多様な専門的視座から多様な成果が生まれ、大きな知的刺激の生産の場となるような授業を心掛ける。
b) 目標とする研究テーマ / 2006年 12月1日
1.建築の設計を、結果としての成果を目標とするのではなく、施主と設計者、社会と施主、自然と人間の間のコミュニケーションとして位置付ける。即ち設計過程こそが建築デザインの本質であり、そのプロセスこそがデザインすべき対象として、その実践を試みる。
2.建築を人間が生活することを意識させる媒体として位置付ける。即ち機能的で合理的に設計するのではなく、日常生活の中であえて不合理とされる設計を行うことにより、生きていることを自覚させるような仕組みを入れ込み、自然や社会と自分との関係を常に意識させる。
3.建築や都市の設計において、世界の歴史的都市空間や建築に求め、日本ばかりでなく毎年アジアやヨーロッパの都市を調査に訪れて調査し、その空間原理を抽出し、それを設計に応用して魅力的な空間を現代社会に還元する。
4.建築を社会学的なものとして位置付けて、近代家族、郊外、少子化、高齢化、交通問題、教育問題、環境問題といった現代社会の特徴や諸問題への回答として位置付け、そのあり方を模索する。
5.建築の空間の規定する基準として身体を位置付け、身体の寸法、五感、人間の行動から全ての空間要素を再評価し、そこから空間の原点を追求して建築の設計へと還元させる。
6.演劇と社会、舞台と都市の関係から建築の可能性を探り、デザインを追求する。ファッションやインテリアなどの演出された個人と、その舞台背景としての建築や都市を、多様化する価値観の社会や多様化するアイデンティティの問題から位置付けて、現代の建築や都市を再評価し分析し提案する。
7.既往の歴史の記述では大きな歴史の流れを描くために個々の不適合な事象が抹消されたが、近代建築の建築家たちの作家研究を積み上げることによって、これまでの近代の歴史の流れの修正をおこない、個人の歴史から総体の歴史を再構築することを試みる。
8.既往の建築の歴史はハードとしての建築の形態の様式の変化の記述に陥っているが、それに対して身体文化として建築を捉え直すことによって、人々の生きた空間の歴史として建築を捉え直し、建築の歴史の記述の概念を再構築する。
9.近代という概念が、野蛮や非文明と対立した概念として位置付けられて近代建築が歴史的に記述されている。しかし近代と野蛮が常に表裏一体であった事実を基にして、捏造された近代芸術や近代建築の概念を再編し、近代の芸術の歴史を再構築する。
10.日本文化に言及した西欧近代の建築家の作家研究を通して、西欧の近代と日本の近代における差異を認識するとともに、日本文化がいかに西欧の人々に解釈されていたか、建築という媒体によってモダスニズムの本質を検証する。
11.東欧におけるドイツ文化の影響とナチスドイツによる政治的影響を、近代建築に着目して研究する。即ち東欧が拒否した部分や導入した部分を調査し、建築による文化侵犯から、当時の歴史を検証する。
12.ヨーロッパの中心部に対して周辺として位置付けられる諸国(フィンランド、チェコ、スペイン、リトアニア、ルーマニア等)における近代と伝統のあり方を近代建築を通して研究し、モダニズムの多様性について検証する。
13.近代を準備した19世紀という国家創設期および市民社会生成の時期における民族主義的なナショナリズムを検証し、20世紀の近代建築史におけるモダニズムを再評価する。
14.建築や都市に託された様々な意味を解釈し、社会を横断して持つ意味について考える。その意味が表象されたものとしてデザインを位置付けるような教育的課題を設定する。
実務経験を有する者についての特記事項
ドイツ文化の外観の一つとして建築文化を啓蒙する講演「空にそびえるゴシックの:ドイツ建築」
/ 1993年
5月
一般市民を対象としたドイツ文化の啓蒙の一貫として行われた講演会の一つとしてドイツの建築を説明した。即ちドイツにおける建築の歴史をローマ時代の植民地として造られた街から始まり、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックと時系列にその展開と特徴を説明し、近代における多様な建築表現までを概説した。
中野区文化センター:春の成人学校
タウトの展覧会の意味を啓蒙する講演:「ブルーノ・タウト」
/ 1994年
6月
区内にある美術館で開催された『ブルーノ・タウト展』を広く市民に啓蒙するための講演。おもに展覧会で展示された作品を中心に、この建築家の時代背景や建築作品の特徴を概説して、市民が専門的な展覧会を親しめるようにやさしく説明し、その魅力を理解してもらうための講演。
豊島区民センター:美術へのいざない
桂離宮を発見したB.タウトの芸術観に関する講演:「中間領域論:桂離宮とブルーノ・タウト」
/ 1999年
11月
日本に来たタウトが最初に訪れた桂離宮の空間構造について記した『画帖桂離宮』を基にして、タウトが主張した美の概念を説明し、日本文化に特徴的な中間領域の魅力について論じた。即ち内外の中間、昼と夜の中間、建築と庭園の中間など事例を上げて、デザインの可能性を追求した。
浜松アクトシティー:AFMC倶楽部後援会
街づくりにおけるコミュニティに関する講演:「カンパニリズモの街づくり」
/ 2000年
8月
和歌山市が企画した「観光・まちプロデュース講座」の一貫として「人が楽しむ空間づくり」をテーマとして、和歌山市の空間とコミュニティ形成の将来像について論じた。ヨーロッパのイタリア中世都市における郷土愛(カンパニリズモ)をキーワードにして、今後の和歌山市の街造りの可能性を提案した。
地域地場産業振興センター:和歌山市海都WAKAYAMA21事務局、和歌浦塾「観光・まちプロデュース講座」
その他
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資格、免許
・一級建築士免許 | 1980年 1月 | 登録番号第133655号 |
特許等
現在公開している情報はありません。 |
実務経験を有する者についての特記事項
東北自動車道阿闍羅PA休憩施設設計
/ 1979年
4月
~
1980年
2月
鉄筋コンクリート造平屋建て、延床面積1、048平米。日本道路公団東北自動車道のパーキングエリアの便所を中心とする休憩施設の設計と管理。東北地方という寒冷地のため、暖房を施し且つ防犯を考慮したトイレブースの提案や積雪を勾配屋根ではなく陸屋根で対応する積雪処理への設計提案。あるいはメインテナンスを容易にし意匠性にもすぐれる耐候性鋼板を露出して外壁に採用した給水塔の提案を行った。またこの給水塔は運転手からの視線を捉えるランドマークとしての機能をもたせており、ランドスケープへの対応も考慮した。
福岡市庁舎設計競技提案設計
/ 1979年
6月
~
1979年
7月
鉄骨構造、地下2階地上9階、延床面積69、839平米。老朽化し分散した福岡市の市庁舎の新築の提案設計である。問題点は敷地に点在する旧施設を順に解体し整地して建設を繰り返すことによって最終的に統合さ一体化した庁舎が完成するようなプログラムを内包した全体像を提案することにあった。全体をマトリックス状に設備コアを媒体にして執務空間を構成し空中へと架構させ、大地には市民窓口や会議場が直接建設され、その両者によってアトリウム的な魅力的な空間が生み出される提案を行った。
岸病院本館新築工事
/ 1979年
9月
~
1980年
8月
鉄筋コンクリート造地下1階地上3階延床面積2、753平米。 群馬県桐生市にある精神病院の本館の新築工事である。患者がゆったりできる開放的な診察待合室とマッシヴで石材で仕上げた外壁を対比的に外観をデザインした。2階以上を 御影石を正方形グリッドに張り込み空中に浮遊するように1階の連続ガラス面を効果的にデザインした。2階は中庭形式にして夜勤の医師の宿泊室等を設けて採光と通風等の良好な環境の構築を心がけた。地域のシンボルとしてのこの病院はその性格上2階に吹き抜けのホールを内包し、地域活動の拠点とした。また将来の医療設備更新のためのCTスキャン室などを事前に配慮した構成とした。
国立音楽大学記念講堂設計競技案
/ 1980年
3月
~
1980年
4月
コンサートホールと室内楽ホールからなる約5600平米の複合建築の提案である。ソリッドに一体化した二つのホール建築部分と、中庭を囲んで外部空間に解放された低層の楽屋や練習室部分に分けた構成とした。ホール棟はよりマッシブな外観を強調するために有機的な曲線を用いたスケール感の無い造形を目指し、他方楽屋はコートハウスのような落ち着い住宅環境のように人間スケールに分節された空間で構成した。そして実際に演奏するミュージシャンにとって最良の楽屋環境を提供した。
雇用促進事業団南平台研修施設
/ 1980年
7月
~
1982年
9月
鉄筋コンクリート造地下2階地上3階延床面積932平米。 事業団の全国にいる幹部を東京で研修させるための複合施設。小さい施設ながら食堂、会議室、宿泊室、管理人室を納めた。こうした複合施設であるがデザイン上は分節しないように大きなカーテンウォールに窓を集約させ大きな壁面を配して統合させ、全体として一体感を大切にした。また敷地が交差点に面しているため、シンボリックな曲面の壁を提案し、意匠とランドスケープの両立を提案した。
宇都宮市庁舎規模設定に関する報告書
/ 1980年
11月
~
1981年
1月
宇都宮市が4万平米強の庁舎を新築するにあたり、総合的な調査を行った。まず宇都宮市の都市軸と市域全体の計画における位置付け。周辺交通の動線処理。また庁舎事態の規模を設定する上での類似施設の調査並びに機能耐用年数と年次計画の概要の設定の提示。宇都宮市が想定する敷地における土地利用と建物配置の分析。さらに庁舎事態の空間構成、即ち行政棟と会議棟の関係や市民の動線の計画。建物の断面の計画と高さの設定。執務室の職員一人当りの面積と基準階フロアの単位空間規模の設定。こうしたことを前提にして具体的に3つの市庁舎案を模型によって説明し提案した。
群馬ロイヤルホテル改装工事
/ 1982年
7月
~
1982年
9月
鉄筋コンクリート造地下2階地上9階のホテルの4階のレストランフロアの改装設計。床面積500平米。 群馬国体に合わせて天皇陛下が食事をされる特別室の改装に伴い、同フロアの配膳準備室とレストランをともに全面改装した。特に陛下の食事室では重厚ながら落ち着いた雰囲気をかもしだすような総合的なデザインが施主から要望され、床に用いたオニックスの大理石と同じ石によるシャンデリアと特注のドアノブを用いるなど配慮した。水平に広がる窓を生かすような家具のレイアウトを心がけた。
長崎県小浜町ふれあいの村
/ 1982年
9月
~
1982年
10月
郊外の山地の一部を造成して計画された屋外遊園地である。自然の豊さを享受しながら遊べるように、土地の造成を極力控えて、その既存の地勢自体が遊園地の魅力になるような基本的考え方をもとに空間構成された。敷地には各種の遊具を配置したが、その他にゴーカートのコース等の都市型施設も配置して、自然と都市の両者の魅力を満喫できるような全体構成とした。また色彩計画については、自然と同化するのではなく原色を用いて対比させることにより、自然をより強調するうようにした。
神戸市兵庫駅西住宅
/ 1982年
10月
~
1982年
11月
440戸延床面積3万平米の集合住宅の実施設計である。敷地は駅に近い都市地域のため、都市に対して自閉的とならないような配置計画、都市景観を配慮したオーバースケールとならない分節された外観に配慮した。また集合住宅内におけるコミュニティの形成を支援するような集会状とその配置に配慮し、共有スペースとなる場所に砂場や噴水といった幼児のための公園施設や自転車置場といった施設をその契機として位置付けて屋外空間をデザインした。
横浜人形の家新築工事
/ 1982年
11月
~
1984年
7月
鉄筋コンクリート造地上5階、延床面積3、929平米。 横浜および世界の人形ための総合施設。展示室、実習室、情報室、販売室、人形劇場、収蔵庫を含む複合建築ならが、さらに1階は観光バス専用駐車場を設け、2階では山下公園へとつながる歩行者デッキが接続され、横浜市の観光施設としての位置付けが成されている。建築デザインとしては全体が人形の住む大きな家として設定され、高さ30メートルながらデフォルメして小さく見える工夫を凝らした。そして市内の街路がそのまま展示室内へと連続するように設計し、小さな都市として建築を捉えた。外壁にはラスタータイルを採用し、光によって多様な姿が浮かび上がる工夫を行った。
東京サレジオ学園高校生園舎新築工事
/ 1984年
8月
~
1985年
4月
鉄筋コンクリート造地上2階、延床面積875平米。 東京小平の養護施設約6千平米の第1期工事として高校生のための寄宿舎を設計した。全体は中庭を囲む2階建ての建築で、中庭に植えられた樹木を取り囲むように宿舎、食堂、神父室、多目的室が配列されている。中庭はこの食堂と一体となるように計画され天気に良い日は中庭も居間のように用いられる。学生は2人部屋があてがわれ、自立した生活の訓練が行われる。基本的に家庭の無い子供たちの施設であるため、できるだけ家の雰囲気を損なわないような小さなスケール感と素材選択に配慮した。
港北ニュータウン2-4-D地区マスタープラン
/ 1988年
4月
~
1988年
10月
住宅都市整備公団が所有する横浜の港北ニュータウンの約46000平米の街区の一つの総合計画案である。既存の地域社会とニュータウンの接点を地勢やライフスタイルから分析し、都市郊外農村と都市の両者の魅力が享受できる分散系の都市モデルを提示した。そして今回の横浜の敷地を分散系モデルの中に位置付け総合計画をまとめた。その特徴は超高層住宅と中層を組み合わせ、スポーツ施設などを併設した1100戸14万平米の規模の集合住宅ながら、広大な自然緑地によるプロムナードを確保した。即ち都市生活の魅力と都市郊外の自然環境の魅力を融合させて新しい公団住宅を提案した。
尾根幹線沿いおよびサービスインダストリー地区・業務施設の景観等環境形成に関する調査
/ 1988年
10月
~
1989年
12月
住宅都市として建設された多摩ニュータウンにおける景観保全を目的とした実践と調査報告書。後年当初計画になかった業務地区が設けられ、工場や事業所の建築の景観誘導を実践したが、その経過と景観保存の理念の報告書。本報告書では人間の活動の証として都市景観を位置付けた理念の問題に1章を、次の章では景観の構造と建築物との関係にについて分析し、第3章では実際に景観誘導した建築事例の経過と成果をフローチャートにして分かり易く説明した報告書である。
.渋谷東急百貨店東横店改装工事
/ 1988年
4月
~
1989年
8月
鉄筋コンクリート造地下2階地上11階、の外観を中心とした改装工事。すでに建設後34年経過し、渋谷の顔であった地位も揺らぎ、もう一度渋谷の顔となることが求められた。ハチ公広場周辺にある看板をモチーフにし、ラッピングのリボンをテーマにアルミ板による新しいファサードを提案した。特に若者の夜の街であることから照明デザインを提案した。これはファサードを133ドットのTV画面としてビデオからコンピューターで色を拾って照明として演出したものである。また埋め込みのネジ穴を最初に設け、それをもとに様々な宣伝シートの掲示が可能とさせた。
小田急百貨店新宿店<ターミナルシティ構想>
/ 1996年
2月14日
~
1996年
3月18日
鉄道会社の運営する駅ビル型百貨店の将来像に関する調査報告書。新宿駅南口に高島屋が進出するにあたって、既存の百貨店が高島屋に対抗する上での百貨店の新しい位置付けを提案した。新宿における公共施設群の分布と小田急電鉄の占有空間の関係から、報告書の中で<生活総合産業としてのターミナル百貨店>を提案した。これは人々の都市生活の社会学的分析から、物販から生活サービス業への転換を促し、多様なライフステージを提供する百貨店の将来像を提案したものである。
その他
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◆著書
ドイツ表現主義の建築
/ 単独 / 1989年
6月
ヨーロッパ近代建築の多様な様式の一つに数えられるドイツ表現主義建築の全体像を詳述した。時代や地域や建築家により特異な現象を個別に論じた論文5本の他、年表・作家辞典・建築案内地図を添付した。写真・図面等500点収録。総頁数140頁。M.シュパイデル教授の論文1本収録、141頁~144頁。池内紀・三宅理一対談収録、150頁~155頁。
【発行所/発表場所】
鹿島出版会
西洋温泉事情
/ 共同 / 1989年
12月
世界の都市の建築と生活を、温泉をテーマに都市別に論じたもの。総頁数261頁。編者池内紀。分担執筆:池内紀、川島昭夫、青柳正規、岩村和夫、長谷川章、みやこうせい、大塚光子、藤森照信、鴻英良、杉本俊多、佐藤雪野、伊藤哲夫、望月真一、後藤ロート美恵、鵜沢隆。
本人担当部分「イスタンブール:モスクとトルコ風呂」イスタンブールのハマムと呼ばれるトルコ風呂の歴史的な文化と現代社会における位置付けを解説し、ハマムの建築空間の事例を写真と図面で詳述した。(66頁~75頁)
【発行所/発表場所】
鹿島出版会
世界の歴史と文化:ドイツ
/ 共同 / 1992年
8月
世界の国の歴史と文化を、国別に論じたもの。総頁数429頁。編者池内紀。分担執筆:池内紀、檜山哲彦、光野正幸、東廉、松永美穂、浅井健二郎、園田みどり、谷川道子、長谷川章、水沢勉、三宅晶子、恒川隆男、尾方一郎、鈴木純一、松原良輔、山口庸子、若林恵。
本人担当部分「第4章、建築」。ドイツ建築の見所を歴史的建築から現代建築に至るまで、その背景を述べながら魅力について語ったもの。掲載写真34点。(200頁~219頁)
【発行所/発表場所】
新潮社
東ドイツの近代建築
/ 単独 / 1994年
5月
ドイツ統一直後の東ドイツ近代建築の現地調査に関する報告、並びに時代や地域や建築家により特異な現象を個別に論じた論文8本を収録し、東ドイツを中欧に位置付けてその全体像を詳述した。また個々の都市についての解説を付した。写真・図面等490点収録。総頁数88頁。
一部水沢勉、沼野充義との鼎対談を収録、82頁~88頁。
【発行所/発表場所】
鹿島出版会
ブルーノ・タウト 1880~1938
/ 共同 / 1994年
6月
ドイツと日本とイスタンブールで活躍したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの絵画、工芸、インテリア、建築、都市計画における活動を総合的に論じたもの。総頁数341頁。編者マンフレッド・シュパイデル。分担執筆:マンフレッド・シュパイデル、ハインリヒ・タウト、長谷川章、新見隆、ベッティーナ・ツェラー=シュトック、ベルトルト・ブルクハルト、ボヤン・フェリカニェ、アンゲリカ・ティーエケッタ、デトレフ・ザールフェルト、ヴィンフリート・ブレンネ、重村力、藤森照信、水原徳言、ベルント・ニコライ。
本人担当部分「新たなブルーノ・タウト像を求めて」。ドイツ表現主義建築家と言われるタウトの歴史的位置付けを新たな視点から行ったもの。再発見されたタウトの絵画と一連の色彩建築と日本での活動を貫く光と色彩の世界観を詳述した。(12頁~18頁)
【発行所/発表場所】
鹿島出版会
世界美術大全集26 表現主義と社会派
/ 共同 / 1995年
4月
全26巻の中で表現主義の絵画と芸術を総合的に論じたもの。総頁数466頁。編者千足伸行。分担執筆:有川治男、島田紀夫、千足伸行、長谷川章、前田富士男、水沢勉、宮島久雄、、山田諭、山野英嗣、山脇一夫。
本人担当部分「第8章 表現主義建築とその時代」。ドイツ表現主義の建築を、前衛性、合理性、職人への憧憬、ユートピア思想、社会理念、生活改革運動という六つの視点から解析し、またその誕生から終焉までの歴史を概説した。(229頁~240頁、419頁~420頁)
【発行所/発表場所】
小学館
色彩建築 モダニズムとフォークロア
/ 共同 / 1996年
9月
建築を色彩という視座から論じたもの。現代建築の他に世界の伝統的な色彩世界を取り上げ、その可能性と魅力について論じたもの。総頁数81頁。編者鈴木紀慶。分担執筆:長谷川章、早川邦彦、佐藤俊郎、斎藤裕、下村純一、廣川美子、川添泰宏。本人担当部分「現代建築の色彩世界」。イタリア・ルネサンスのジオットの青やブルーノ・タウトの色彩をその外光との関係で論じ、環境と伝統と建築と色彩の関係を論じた。それを基に現代日本の建築の色彩を論じ、現代社会における色彩の重要性を指摘した。(04頁~09頁)
【発行所/発表場所】
INAX出版
世紀末の都市と身体
/ 単独 / 2000年
6月
身体文化の視座から近代建築史の再構築を試みた。本書は近代の本質として<身体>と<ユートピア>を位置付け、その両者の織成すダイナミズムの中に人間を復権させ身体空間史として近代建築の歴史を読み直した。即ち都市や建築を身体文化である舞踏、衣服、体操、医学から読み説き、政治、文化、芸術、社会との関連の中で詳述した。図版204点収録。総頁数475頁。
【発行所/発表場所】
ブリュッケ
世界の建築街並みガイド4.ドイツ/スイス/オランダ/ベルギー
/ 共同 / 2004年
2月
ドイツ建築の中でも特異な現象であった表現主義について、その特徴と個々の建築について解説を加え、ドイツ近代史の中での位置付けをおこなった。すまず表現主義の傾向をその外観の特徴から、色彩系、彫塑系、モダニズム系として大きく3つに分類して、その代表的作品を事例としてその特徴を説明した。また地域として大きく3つを提示し、北ドイツに顕著な煉瓦表現主義、ベルリンを中心とした前衛的な表現主義、そしてブレーメン郊外ヴォルプスヴェーデ芸術家村を中心に活躍したヘットガーの表現主義建築を詳述し、その特徴を指摘した。(62頁~69頁)
【発行所/発表場所】
株式会社エクスナレッジ
◆学術論文
ホーエンホフ (2):総合芸術としての建築
/ 1992年
1月
本論ではホーエンホーフにおいてマイヨールの彫刻、プリッカーのステンドグラス、ホードラーの絵画が生かされるような設計が行われ、一つの空間芸術へと統合されていた事実を詳述した。それは11年後の1919年に設立されるバウハウスが追求した、建築芸術に全ての芸術が統合された姿を体現したものとして位置付けた。掲載頁は160~161頁までの2頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『近代住宅のアルケオロジー3』 『新建築住宅特集』 新建築社
北ドイツ表現主義建築の研究
/ 1991年
3月
本論はヨーロッパ周縁における近代建築、即ち北ドイツの伝統的煉瓦建築を近代と融合させたハンブルクとブレーメンの表現主義建築に着目し、近代の概念を再考させ、周縁から中央を捉える視点を生み出した。そして伝統から不可逆的に合理主義へと至る、これまでの歴史観からの脱却を試み、新たな近代史の記述の可能性を示唆した。総頁数345頁。
【発行所/発表場所】
学位論文(早稲田大学)
ドイツ表現主義とれんが建築
/ 1988年
1月
本論ではドイツの煉瓦建築の歴史を俯観しながら、近代建築の歴史との関係を述べた。特にドイツで煉瓦建築の歴史が深いハンブルクとブレーメンに着目し工業化と伝統的素材が表現主義の建築に融合した事例を取り上げ、ドイツの近代建築家がどのように煉瓦素材を評価していたかを論じた。またナショナリズムとナチズムとの関係も指摘した。掲載頁は45~55頁までの11頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『れんがと建築』 INAX出版
北ドイツ表現主義建築の研究(1)B.ヘットガーとヴォルプスヴェーデ芸術家村
/ 1990年
10月
本論は北ドイツの特徴的な表現主義建築について考察を行ったものである。ここでは北ドイツのブレーメン郊外ヴォルプスヴェーデに作られた風景画家による芸術家村に着目し、そこで活躍した彫刻家ベルンハルト・ヘットガーを論じた。彼が手掛けた建築と表現主義との関係を論じる中で、北ドイツの伝統文化と近代の融合を詳述した。掲載頁は123~134頁までの12頁を執筆。
【発行所/発表場所】
日本建築学会計画系論文集
西洋オフィスビルの歴史
/ 1991年
7月
本論ではオフィスビルの歴史を16世紀のフィレンツェのウフィツィ宮にまで遡り、20世紀の近代建築に至ってシカゴやハンブルクにおけるような均質空間が獲得された歴史を述べた。そして現代ではこのオフィスが一方で居心地の良い住宅空間を志向し、他方でホテルのような演劇的な空間を志向して二分化している事実を述べている。掲載頁は21~26頁までの6頁を執筆。
【発行所/発表場所】
Space &Environment三井不動産
ホーエンホフ (1):表現主義前夜
/ 1991年
12月
本論はドイツ中部ハーゲンの町にベルギー人建築家ヴァン・ド・ヴェルドが1908年に設計した住宅を取り上げ、当時イギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を代表とする世紀末の工芸運動の歴史の延長に位置付けた。しかしこの住宅はシンメトリーによる古典的な威厳性も内在させていることを指摘し、近代への過渡期の建築として位置付けた。掲載頁は142~143頁までの2頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『近代住宅のアルケオロジー3』 『新建築住宅特集』 新建築社
ホーエンホフ (3):ハーゲン芸術家村
/ 1992年
2月
本論はホーエンホーフの施主オストハウスに着目し、彼がハーゲンに設立しようとした芸術家村の全体像の中にこの住宅を位置付けた。彼が招聘した建築家達であるタウト、ラウエリクス、ベーレンスは当時のドイツを代表とする建築家であり、ハーゲン芸術家村とはドイツ近代建築の縮図として位置付けられ、ホーエンホーフはその核であった。掲載頁は142~143頁までの2頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『近代住宅のアルケオロジー3』 『新建築住宅特集』 新建築社
(1)中世都市の誕生と展開
/ 1993年
1月
本論はドイツ中世都市の代表例としてリューベック、ゴスラー、ニュルンベルク、バンベルク、テュービンゲンを取り上げ、その歴史的発達の経緯を四種類に分類して述べた。なかでもブルク(山城)が現在残る中世都市の源流であり、ギルドや都市同盟など商業活動と都市の発展の密接な関係について言及した。掲載頁は173~192頁までの20頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『ドイツ中世都市のコスモロジー』 『建築知識』建知出版
(2)中世都市の構造と文化
/ 1993年
2月
本論は中世都市の空間構造の特徴を、ケヴィン・リンチの都市認識の手法を援用して解析したものである。即ちリンチは身体感覚から都市を記号化したが、ドイツ中世都市とはまさにリンチの記号的身体空間が体現されたものとして位置付けられることを示した。さらに中世都市の空間や時間をキリスト教の宗教文化から解析し特徴付けた。掲載頁は173~192頁までの20頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『ドイツ中世都市のコスモロジー』 『建築知識』建知出版
新しい表現手段としての新素材
/ 1993年
10月
建築における素材について、光や感触や工法の視点から[芸術のもととなる]素材とはどのようなものかを述べ、歴史的事例を上げて説明した。また現代社会における新素材の可能性を十の視点を上げて素材毎に論じ、それが建築として成立するための条件として時間や人間の感性と素材の関係を論じた。掲載頁は99~102頁までの4頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『建築知識:特集内外装材』建知出版
ブルーノ・タウト自邸(1):生活を映し出す鏡としての住宅
/ 1994年
8月
本論はドイツのベルリン郊外ダーレヴィッツに建築家ブルーノ・タウトが1927年に設計した自邸を取り上げ、同年彼が自邸を素材に語った住宅論である『ある住宅』の記述をもとに論じた。即ちタウトはユートピア建築家として知られているが、しかし自邸では自然や生活との関係を重視して設計され、ジードルンクの建築家としてタウトが追求した住宅の理想像が集約されたものとして位置付けた。掲載頁は134~138頁までの5頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『近代住宅のアルケオロジー13』 『新建築住宅特集』 新建築社
ブルーノ・タウト自邸(2):色彩と光の建築
/ 1994年
9月
本論は前論に続いてタウトの自邸を取り上げ、その質素な外観とは対比的に華やかな室内の色彩空間について論じた。彼が建築家として活動をしはじめた初期のスケッチやマグデブルク都市建築監督官時代の建築作品をその布石として説明し、ユートピア時代のタウトが光に託した世界観から、この自邸の色彩を説明した。掲載頁は136~141頁までの6頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『近代住宅のアルケオロジー13』 『新建築住宅特集』 新建築社
バウハウスにおける身体性:世紀末の裸体文化とO. シュレンマー
/ 1995年
5月
本論はドイツのバウハウスにおける舞台芸術に着目して、当時機械や合理を目指したとされる近代芸術において、実は身体が重要な意味を持っていたことを検証した。その指導教授であるオスカー・シュレンマーの身体論を、当時のドイツ社会における裸体文化との関係の中で論じ、近代合理主義と表裏の関係にあったことを示した。掲載頁は388~390頁までの3頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『bauhaus 1919~1933』セゾン美術館
Die Suche nach einem neuen Bruno Taut Bild
/ 1995年
本論はドイツの近代建築家のブルーノ・タウトの生涯を通じて、その建築作品の基底として貫かれた光と色彩の世界観について論じたものである。特に最近発見された膨大な絵画作品における色彩世界と彼が追求した理想社会としての集合住宅に共通して認められるユートピア思想の両者が統合されたものとして日本での作品を解釈した。掲載頁は13~18頁までの6頁を執筆。
【発行所/発表場所】
“BRUNO TAUT Natur und Fantasie 1880-1938”,Ernst & Sohn
ドイツ近代における労働者住宅の変遷
/ 1996年
6月
本論は20世紀の労働者住宅の建設手法と建築費に着目してベルリン等で建設された大規模ジードルンクの社会的背景を論考したものである。特に第一次世界大戦後にドイツで施行された小住宅法により大量に建設された集合住宅と、バウハウスのマイスターハウスの規模や建設費や建設手法を比較検討し、当時の住宅建設の実態を考察した。掲載頁は2~4頁までの3頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『TOTO通信』 東陶機器(株)
ブレスラウにおけるドイツ工作連盟住宅展:「住宅と労働空間展」の挑戦
/ 1997年
11月
本論はブレスラウ(現在のポーランドのヴロツワフ)で開催されたドイツ工作連盟住宅展について、その歴史的意義や開催の経緯、並びに出展参加した建築家とその作品を詳述し、当時の中心地であったドイツのベルリンやシュトゥットガルトでの住宅展と比較し、その独自性を論じた。掲載頁は150~152頁までの3頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『ポーランドのドイツアヴァンギャルド』『SD』鹿島出版会
マックス・ベルクの<世紀のホール>の誕生とその背景
/ 1997年
12月
本論はブレスラウ(現在のポーランドのヴロツワフ)に建設された<世紀のホール>について、その建築家であるマックス・ベルクによる設計の経緯や空間的かつ構造的特徴について詳述したものである。また当時の背景としてブレスラウ芸術カデミーやマックス・ベルクによる田園都市構想を論じ、社会における位置付けを行った。掲載頁は86~88頁までの3頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『ポーランドのドイツアヴァンギャルド』『SD』鹿島出版会
桂離宮<月の光の文化>との出会い
/ 1998年
3月
本論は日本の伝統的建築空間の特徴から、月を見るために作られたと言われる桂離宮の古書院を詳述し、その本質として<移ろい>という概念を提示した。即ち空間と明るさにおける曖昧な中間領域を内在させたものとして桂離宮を位置付け、月の光に象徴させた。そしてこのような中間領域で人間の感性が最も鋭敏となることを指摘した。掲載頁は1~20頁までの20頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形学研究16号』 東京造形大学
<色彩と建築>宇宙建築師タウト
/ 1998年
3月
本論はドイツ表現主義の建築家ブルーノ・タウトに着目して、彼が発表した『色彩建築宣言』とその実践例から、建築での色彩が宇宙の光の象徴として用いられていることを指摘した。そして建築が大地と宇宙の接点として位置付けられ、一つの宇宙観を提示していることを、彼の描いた絵画やユートピア建築の図版集を例に上げて説明した。掲載頁は21~48頁までの28頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形学研究16号』 東京造形大学
ドイツ世紀末の身体文化と空間芸術 (1)ユーゲントシュティールにおける身体像と建築
/ 1999年
3月
本論はドイツ世紀末のユーゲントシュティールのグラフィックの特徴として身体モチーフが多いことを指摘した。一方でユーゲントの語源から世紀末の青年運動と裸体運動や芸術家村運動の関連を詳述し、当時の工業化社会の背景の中で伝統文化や身体性が再評価された経緯を説明した。その両者が融合したものとして表現主義建築を位置付けた。掲載頁は1~27頁までの27頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形学研究17号』 東京造形大学
ドイツ世紀末の身体文化と空間芸術 (2)近代建築と女性の身体
/ 2000年
3月
本論はドイツ近代のジードルンク建設の課題が、女性の家事労働の合理化にあったことを指摘し、システムキッチン誕生の背景を詳述した。更に近代化の過程で女性の社会進出が一般化すると、それを支援する、家事労働を解放した特異な集合住宅が建設された事例を取り上げ、そこにワイマール共和国の目指す理想社会との同相性を指摘した。掲載頁は87~104頁までの18頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報1号』東京造形大学
<超越的なもの>と身体空間
/ 2001年
3月
本論はドイツ近代の特徴をゼードルマイヤーの<中心の喪失>の概念から位置付けた。即ち当時の社会では、ワーグナーのオペラ作品や集団舞踏等により大衆が共同体を疑似体験し中心の復活を補填していた。ナチスの時代になるとそれは党大会やオリンピックなどにより大衆の扇動の手段として援用され、ファシズムへと至った経緯を詳述した。掲載頁は95~109頁までの15頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『劇場文化7号』(財)静岡県舞台芸術センター
ドイツ田園都市の研究 (1)<田園都市マルガ>における造形理念
/ 2001年
3月
ドイツ近代に展開した田園都市の時代背景を解析するため、本論文では、労働者の社宅として世紀末のドイツに建設された<田園都市マルガ>を取り上げ、その建設された経緯と都市構造の特徴を詳述した。そしてこの田園都市の設計には住民の意見が全く反映されていない事実や、円形の都市構造が中世都市の共同体のイメージを引用したこと等を指摘し、本来の田園都市とは異なるものと結論付けた。掲載頁は289~292頁までの4頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『第71回研究報告集II』日本建築学会関東支部
ドイツ田園都市の研究(2)<田園都市マルガ>にみる田園都市思想の本質
/ 2001年
3月
本論文では<田園都市マルガ>を代表的事例としてドイツ近代に建設された労働者住宅を解析し、その多くがイギリスの田園都市構想を外観だけ取り入れ、いかなる自律した共同体も存在しなかった事を指摘した。そして田園都市と称する都市の多くが、工場の生産性を向上させるために労働者を管理する装置として建設されたものと結論付けた。掲載頁は61~82頁までの22頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報2号』東京造形大学
ドイツ田園都市の研究(3)<ルイーゼンドルフ>の造形と歴史的背景
/ 2002年
3月
ドイツ近代に展開した田園都市の時代背景を解析するため、本論文では<ルイーゼンドルフ>という農業移民コロニーを取り上げ、その特異な区画割の都市構造の背景を論考した。類似した都市構造が18世紀のロシアやハンガリー平原へのドイツ移民コロニーに認められる事を指摘し、この延長線上に<ルイーゼンドルフ>を位置付けた。掲載頁は293~296頁までの4頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『第72回研究報告集II』日本建築学会関東支部
ドイツ田園都市の研究(4)<ルイーゼンドルフ>におけるドイツ田園都市の本質
/ 2002年
3月
本論文では農民コロニー<ルイーゼンドルフ>が、都市空間と庭園空間と墓地空間が重層されたものとして解析した。即ち16世紀以降の植民地都市構造と、イギリスに生まれた自然風景式庭園構造と近代化した火葬墓地がこのコロニーには読み取ることができる。こうした延長線上に近代のドイツ田園都市を位置付けた。掲載頁は113~138頁までの26頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報3号 東京造形大学
ドイツ田園都市の研究(5)イギリスの衛星都市構想とナチスの東欧支配について
/ 2003年
3月
本論文ではイギリスからドイツに伝わった田園都市衛星都市構想がドイツでは単なる郊外都市構想として実現された事実を指摘した。そしてナチスの時代には国家管理の手段として用いられ、占領したポーランドの一部のドイツ民族化の手段としてこのイギリスの田園都市構想が援用され、入植が検討された事実を指摘した。掲載頁は657~660頁までの4頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『第73回研究報告集II』日本建築学会関東支部
ドイツ田園都市の研究(6)<果樹園コロニー・エデン>における田園都市の本質
/ 2003年
3月
ドイツ近代に展開した田園都市の時代背景を解析するため、本論文では<果樹園コロニー・エデン>という菜食者が作ったコロニーを取り上げ、その設立の経緯と社会背景を詳述した。特に土地改革の視点からイギリスの田園都市を捉え直し、ドイツの造園建築家ミッジの<庭>の哲学を詳述しながら田園都市の田園の意味を解析した。掲載頁は133~164頁までの32頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報4号』東京造形大学
ドイツ田園都市の研究(7) M.ワーグナーのベルリン都市構造と大ジードルンク・ブリッツ
/ 2004年
3月
本論文ではベルリン都市建築監督官であったM.ワーグナーと建築家ブルーノ・タウトが設計したブリッツの馬蹄型の中庭にあるジードルンクを取り上げ、その中庭がワーグナーの都市構想としての公開緑地が実現化されたものとして解釈しなおした。さらに両者がそれ以前に取り組んだジードルンク・リンデンホフを解析してその類似した空間構造を指摘した。掲載頁は513 ~ 516頁の4頁を執筆
【発行所/発表場所】
『第74回研究報告集II』日本建築学会関東支部
『ドイツ田園都市の研究(8) ヴォルプスヴェーデ芸術家コロニーにおけるドイツ田園都市の本質』
/ 2004年
3月
ドイツ近代に展開した田園都市の時代背景を解析するため、本論文では「ヴォルプスヴェーデ芸術家コロニー」を取り上げ、そこで活躍した風景画家に着目し、彼等の作品と芸術アカデミーの関連から北欧とドイツの関係に言及した。そして風景画とナショナリズムの関係を論じる中で、19世紀ドイツのナショナリズムが北欧の原風景に依存していた特異な状況を指摘して、北欧の理想都市のイメージがドイツの田園都市に影響を与えた事例を詳述して、ドイツ田園都市の本質を明らかにした。掲載頁は125~157頁までの33頁を執筆
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報5号』東京造形大学
ドイツ田園都市の研究(9) Th.フリッチの「未来の都市」について
/ 2005年
3月
本論文では1896年に「未来の都市」という田園都市構想を発表したテオドール・フリッチというドイツの思想家に着目し、その時代背景、田園都市の構造、フリッチの活動を詳述した。その結果、歴史的最初の田園都市構想と言われるイギリスのハワードに先行する独自の構想であり、当時のドイツ民族主義の思想が強く反映されており、土地の共同所有という経済のあり方を提唱していることを明らかにした。掲載頁は481-484頁までの4頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『第75回研究報告集II』日本建築学会関東支部
ドイツ田園都市の研究(10) ヴィルヘルム時代の民族至上主義からみたドイツ田園都市の本質
/ 2005年
3月
本論文では20世紀初頭に展開したドイツ田園都市運動を準備した19世紀を中心にして、民族主義というドイツのナショナリズムの生成と都市との関係について詳述している。中でも反ナポレオンを契機としてビスマルクのもとで帝国化していくドイツ社会の中で、記念碑建造物や民族主義の思想家に着目し、ゲルマン民族の再生装置として建設された得意な田園都市について実例をあげて明らかにした。掲載頁は33-64頁までの32頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報6号』東京造形大学
都市表象論
/ 2005年
3月
『造形大学研究報別冊2』東京造形大学
都市論ではなく都市の意味からもう改めて都市について論考した。前半では都市を進歩、均質、清楚、制度という視座から解釈して、主に近代社会のあり方の意味を問い質した。後半では都市を破壊、速度、劇場、記憶という視座から解釈して、主に現代社会のあり方の意味を問い質した。論文の構成は前者の4項目が後者の4項目に対応するように設定され近代から現代にどのような意味の変化が起きたかを述べている。掲載頁は1-106頁まで の全頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報別冊2』東京造形大学
ドイツ田園都市の研究(11) 田園都市シュターケンにおける造形理念について
/ 2006年
3月
本論文では1914年から1917年までに建築家パウル・シュミットヘンナーがベルリン郊外に設計した田園都市シュターケンについて、その成立過程と都市空間と建築の造形理念について詳述したものである。この田園都市は国家が造った最初の田園都市であり、都市全体は自閉的な中世都市を踏襲したものとなっている。しかし建築は標準設計を取り入れて量産化を計り建設費を抑制している。またそのデザインでは地域主義と言われるナショナリズムを強く反映したものと成っていることを論証した。掲載頁は529-532頁までの4頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『第76回研究報告集II』日本建築学会関東支部
ドイツ田園都市の研究(12) 植物帝国主義とユートピア思想からみたイギリス田園都市の本質
/ 2006年
3月
本論文では最初の田園都市構想を発表したイギリスのエベネザー・ハワードに着目し、その構想を田園と都市とに分けて検証した。田園についてはケルト文化の樹木崇拝や植民地主義を背景とした植物収集と温室建築について言及し、清教徒革命を背景とした風景式庭園の誕生を語った。都市では17世紀ユートピア思想から、資本主義下のブルジョアジーの台頭による郊外ヴィラの誕生を説明した。この両者が融合したものとして田園都市の誕生を位置付けた。掲載頁は51-91頁までの41頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報7号』東京造形大学
都市表象論
/ 2006年
6月
身体論ではなく社会におけるは身体の意味を、劇場化した社会という背景の中で問い質した。全体は大きく4部12章に構成され、劇場の舞台と化した都市空間や演技者としての振 舞を求められる社会について考察した。現在では劇場犯罪や劇場政治は認知された語彙として社会に普及したが、その中でアイデンティティを見失った人々の新たな都市生活のあり方を結論として述べている。掲載頁は1-114頁までの全頁を執筆。
【発行所/発表場所】
『造形大学研究報別冊5』東京造形大学
◆その他
【学会・研究等発表】
ドイツ有機主義建築の系譜I-(1)ドイツ表現主義、Hugo Haering の“Organ”の概念について
/ 単独 / 1989年
10月
/ 単独 / 1989年 10月
本論文はドイツ近代の建築様式として広く認められている表現主義建築の一連の発表を行うにあたり、有機主義の建築を論じてその中に表現主義を位置付けた。また表現主義という概念を建築史において定義付けを行い、その特徴を指摘した。こうした前提から表現主義建築を論じるにあたり、ドイツの理論的な建築家であったフーゴー・ヘーリングを取り上げ、彼の器官としての建築の概念を解析した。『学術梗概集F建築計画・建築史』911頁から912頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (2)Hugo Haering の“funktion”の概念について
/ 単独 / 1991年
9月
本論はドイツ表現主義建築を論じるにあたり、1922年にフーゴー・ヘーリンクが応募した「フリードリヒス通り駅のビル」設計競技案に着目し、その機能論について分析した。表現主義最盛期に中で行われたこの設計競技の背景を述べ、ヘーリンクがその暗証記号に「機能」という語を用いた事実を指摘し、それが単なる合理主義的な機能とは異なった意味を内包していたことを解明した。即ち「生きることを達成する」という語と同等に扱われていた事実を指摘し、機能の概念で建築に託した造形理念について論じた。『学術梗概集F建築計画・建築史』169頁から170頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (3)Hugo Haering の“Physiognomik”の概念について
/ 単独 / 1992年
8月
本論はドイツ表現主義建築家のヘーリンクが自分の建築造形理念を語る時に用いたフィジオグノミー(観相学)という言葉に託した建築の概念について言及し、表現主義との関係について論じた。即ち18世紀にゲーテやラファーターがルネサンスに用いられた観相学を再生した歴史を述べ、ヘーリングを始めとする表現主義建築家がその後多用した事実を指摘した。そしてその語によって擬人化して建築を語ることによりゲシュタルト的な建築把握と精神性を建築に求めていた表現主義の造形理念を明らかにした。『学術梗概集F建築計画・建築史』1265頁から1266頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (4)Hugo Haering の“レーマー邸”について
/ 単独 / 1993年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のヘーリンクが1920年に設計した『レーマー邸』に着目し、その塔を持つ特異な外観を解析した。即ち正面入口部分が典型的な表現主義でありながら、その全体像や室内は中世の城を模倣した外観を持っていた背景を、当時流布した城型建築との関連の中で明らかにした。その一方で当時のバウハウスを始めとした近代建築運動が中世の職人世界とモダニズムの融合を計っていた事実からもその背景を説明した。『学術梗概集F建築計画・建築史』1245頁から1246頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (5)クリスタルの造形理念について
/ 単独 / 1994年
9月
本論はオランダの建築専門誌『ウェンディンヘン』が1924年に特集したクリスタルの造形に着目し、オランダの表現主義の造形理念とドイツ表現主義建築について分析した。この雑誌がオランダの表現主義の建築家の編集により当時の最も注目された建築を特集する中で、建築でなく結晶体のみを特集した特異な号であった。そして当時ドイツのグラフィックデザイナーで建築家であったヴェンツェル・ハブリックの作品に注目してその相互関係について論じ、当時のドイツ表現主義建築の造形理念を論じた。『学術梗概集F建築計画・建築史』1291頁から1292頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (6)ジードルンクにおける屋根の造形理念について
/ 単独 / 1995年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のブルーノ・タウトが設計したジードルンクを取り上げ、その造形と配置計画から、当時求められた共同体としての建築について論じた。タウトが20年代に設計したオンケル・トムス・ヒュッテとブリッツにいて中庭形の共有地を積極的に取り入れた事実を設計過程から指摘した。そしてブリッツでは屋根など建築の外観を使い分けて中世都市のような全体像をジードルンクに再現し、共同体を表象する造形理念について論じた。『学術梗概集F-2建築史・意匠』495頁から496頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (7)Hans Poelzig のChemie Fabrik in Lubanの造形理念について
/ 単独 / 1996年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のハンス・ペルツィヒが旧ドイツ領のポーランドのシレジア地方のルーバンの街に1912年に設計した化学工場を取り上げ、その造形理念について論じた。即ちこの5階建の工場が中世の技術を引き継いだ木造架構であり、その妻壁は北ドイツのハンザ都市に特徴的な煉瓦を露出させた仕上げであり、またその形状もゴシック時代の町屋を彷彿とさせることを指摘し、ドイツ表現主義の建築が中世北ドイツの伝統建築の語彙を盛んに引用していた事実を指摘した。『学術梗概集F-2建築史・意匠』465頁から466頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (8)Hans Poelzig の Oberschlesienturmの造形理念について
/ 単独 / 1997年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のハンス・ペルツィヒが旧ドイツ領のポーランドのポーゼンの街に1911年設計した博覧会用パヴィリオンの建築を取り上げ、そのが建設された歴史的経緯を詳述し、現地調査の報告を行った。即ち現在も展示館として用いられているものの過去に火事で上部が焼失撤去され、本来の姿を留めていない現状を報告した。そしてその外壁に用いられた非耐力壁である煉瓦の積み方をハンブルクの建築家が当時著した論文の事例と比較し、北ドイツの伝統建築と密接な関係にある事を論じた。『学術梗概集F-2建築史・意匠』347頁から348頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (9)Hans Poelzig のブレスラウにおける住宅の造形理念について
/ 単独 / 1998年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のハンス・ペルツィヒが、旧ドイツ領ポーランドのシレジア地方のブレスラウに1906年に設計した住宅作品を取り上げ、その造形理念について論じた。ペルツィヒはそれ以前の1904年にも展示用住宅を設計しているが、それは同じ平面構成であり、両者ともシレジア地方の伝統的教会建築に酷似した屋根を載せていた。この屋根はペルツィヒが当時設計していたレーベンベルクの市庁舎にも認められるなど、彼の当時の建築の意匠はポーランドのシレジア地方の伝統建築と密接な関係にある事を指摘した。『学術梗概集F-2建築史・意匠』317頁から318頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (10)Hans Poelzig の『ベルリン大劇場』における造形理念について
/ 単独 / 1999年
9月
本論はドイツ表現主義建築家ハンス・ペルツィヒが1919年ベルリンに設計した「ベルリン大劇場」を取り上げ、彼の劇場設計の経歴から分析し、その劇場空間の設計理念について論じた。彼はオペラハウスや映画館を始め幾つかの劇場建築を提案してきたが、その天蓋の断面形状から舞台と客席の一体化がこのベルリンの劇場で達成されたことを指摘した。その一方で彼がアカデミーの校長を務めていたブレスラウにマックス・ベルクが当時設計した「世紀のホール」と比較し、その類似した空間特性とその影響の可能性について論じた。『学術梗概集F-2建築史・意匠』309頁から310頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (11)Hans Poelzig の教会建築における造形理念について
/ 単独 / 2000年
9月
本論はドイツ表現主義建築家ハンス・ペルツィヒが旧ドイツ領ポーランドのシレジア地方に1906年設計した教会建築を現地調査した報告と、その造形がシレジアの伝統建築と密接な関係にある事を論じた。ブレスラウ郊外のヴュルチカウとマルチの村でペルツィヒが設計したそれぞれの教会建築の鐘楼の屋根の形状を比較検討し、本体が木軸のファッハヴェルク様式を引用しながら、鐘楼の屋根がシレジア地方の伝統的な教会屋根を引用している事実を指摘した。『学術梗概集F-2建築史・意匠』435頁から436頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (12)Hans Poelzig の『ベルリン大劇場』の室内における造形理念について
/ 単独 / 2001年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のハンス・ペルツィヒがベルリンに設計した「ベルリン大劇場」の内部空間に注目し、その特異な造形について論じた。この線状の襞を特徴とするインテリアデザインや柱の造形は1918年から1925年に認められる。しかし同様の作風を持つ女性彫刻家と彼が出合って結婚する時期と重なることから、この造形はペルツィヒ独自の架構を反映させた重厚なデザインとは異なり、妻のデザインによるものであることを指摘した。『学術梗概集F-2建築史・意匠』89頁から90頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (13)B.タウトの『田園都市ファルケンベルク』の造形理念について
/ 単独 / 2002年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のブルーノ・タウトが1914年ベルリン郊外に設計した田園都市ファルケンベルクを取り上げ、その空間特性について論じた。この田園都市には建築家ベルヌーイの事前案があることが知られており、それと比較することによって、それまでタウトのオリジナルとして評価されてきた袋小路の広場といったものがそうではないことを指摘した。また街路の骨格は植民地都市で認められる格子状のものであり、それを基にタウトが中世都市の空間要素を引用してアレンジしたことを指摘した。『学術梗概集F-2建築史・意匠』79頁から80頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究 (14)B.タウトの『フライエ・ショレ』の造形理念について
/ 単独 / 2003年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のブルーノ・タウトが1931年ベルリン郊外に設計した集合住宅フレイエ・ショレを取り上げ、その配置計画における空間理念について論じた。このフライエ・ショレの前身として戸建の住宅が点在するものであったが、1924年にタウトが増築において初めて中庭型連続住宅を設計した経緯があった。それは当時タウトがブリッツの馬蹄型のジードルンクで表現しようとした共同体の理念を造形化したものであることを指摘した。『学術梗概集F-2建築史・意匠』557頁から558頁の総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究(15) ハンス・ペルツィヒの初期表現主義建築の造形理念について
/ 単独 / 2004年
8月
本論はドイツ表現主義建築家のハンス・ペルツィヒが現ポーランドのシレジア地方の州都ブレスラウで活動していた時代(1903-1914)に設計した住宅、市庁舎、博覧会パヴィリオ ン等の作品に着目し、その造形理念について論考したものである。彼の建築にはシレジア地方の伝統的な民家や木造教会の造形が引用され、それがスケールや素材や用途を変えて設計に取り入れられていること明らかにした。掲載頁は『学術梗概集F-2建築史・意匠』 の65-66頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ表現主義建築の研究(16) ハンス・ペルツィヒの「ビスマルク記念碑」の造形理念について
/ 単独 / 2005年
9月
本論はドイツ表現主義建築家ハンス・ペルツィヒが参加したビンゲンブリュッケの「ビスマルク記念碑」の応募案に着目し論考したものである。ペルツィヒの提案は広場を囲むような空間の提案であり、他の建築家が象徴的な造形物を提案したものと対照的である。第一案と第二案のスケッチが残されており、その分析から人々が集う場の追求を鮮明にしていく過程や、建築が大地から隆起したような特異な造形表現へ変化したことを指摘した。掲載頁は『学術梗概集F-2建築史・意匠』の547-548頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
ドイツ田園都市と民族至上主義
/ 単独 / 2005年
9月
本論はドイツの田園都市の解釈をイギリスの田園都市構想の導入として解釈するのではなく、19世紀ドイツの民族至上主義の視座からゲノッセンシャフトという相互扶助の組合組織の延長線上にとらえた。さらにこのドイツの田園都市構想はそのダイアグラムだけが支配システムとして読み換えられナチスへと継承され、ポーランド侵攻後のゲルマン化政策へと転用された歴史を詳述した。掲載頁は『日独建築交流シンポジウム報告書』の52-77 頁までの総頁数26頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日独建築交流シンポジウム
ドイツ表現主義建築の研究(17) ブルーノ・シュミッツの「諸国民戦勝記念碑」の造形理念について
/ 単独 / 2006年
9月
本論はドイツ表現主義建築家のブルーノ・シュミッツがドイツのライプチヒに設計した「諸国民戦勝記念碑」に着目し、その造形理念について論考したものである。近代直前のこの建築にはピラミッドや古典主義的な古い造形要素が認められるが、その一方で幾何学的な平面構成や都市軸の設定など近代を予測させる特徴も指摘できるくとを述べた。また時代背景としてのナショナリズムを詳述して成立の過程にも言及した。掲載頁は『学術梗概集F-2建築史・意匠』の223-224頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会
【展覧会等の企画・監修・運営等】
『都市空間のシークエンス』
/ 共同 / 2001年
5月9日
~
2001年
5月13日
都市における連続して経験する景観と都市構造の変化を身体が感じるものとして抽象的な空間モデルへと還元し、それを再構築することによって、都市が内在している空間の本質の再現しようとしたもの。またその過程でできた空間モデルが魅力的な空間オブジェとしても展示された。共同開催の展覧会。また展示に連動して、その理論をまとめた小冊子『シークエンス』を出版。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
Galley Art Space
『クワドラト、正方形の宇宙』
/ 共同 / 2003年
5月12日
~
2003年
5月17日
空間の単位を正方形と直方体に限定して、その中に全てを表現していった。その空間単位である直方体を集合させ対比させ積層することによって、集合住宅から都市やインスタレーションとしての障壁までを表現し、空間の原形を再生させたもの。一部は照明としても展示された。共同開催の展覧会。また展示に連動して、その理論をまとめた小冊子『クワドラト』を出版した。『新建築』平成15年6月号 新建築社 pp.33
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
Peppers Loft Gallery
『テトリス、立方体の宇宙』
/ 共同 / 2004年
6月3日
~
2004年
6月8日
立方体をテーマにして純粋に抽象的な空間を表現おこなった。即ち反復、並列、同相、反転、切断等の純粋な形態操作によって魅力的な空間を集積させた。それを四つの大きなキューブを基本として再構成させ、一方でその内部に正方形が織り成す小さな宇宙が、他方でそれを集積させて無限に広がる立方体の大宇宙を表現した。展覧会場では壁を中心とした内部にインテリアとしての魅力を、外部に面したガラス面には半透過な障壁としての魅力を対比的に展示し、立方体の魅力を表現した。共同開催の展覧会。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
Project Gallery Promo-Arte
【作品・作品紹介・作品掲載等】
建築設計『岸病院本館』
/ 共同 / 1981年
3月
主要用途:病院
建築面積:939m2 延床面積:2753m2
構造規模:鉄筋コンクリート造地下1階地上3階
設計期間:昭和54年9月~昭和55年1月
施工期間:昭和55年1月~昭和56年3月
施工会社:佐田建設
建物全体を、大きな無窓の壁面から成る量塊の構成としてデザインした。その構成では対象構成を避ける事により、石貼仕上げの威厳性を崩し、来院する人への導線をダイナミックにし、また機能上からも平面計画を反映するものとした。
共同による建築設計。
掲載誌:『建築画報』建築画報社 昭和57年3月号 70-72頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
群馬県桐生市
建築設計『雇用促進事業団南平台会館』
/ 共同 / 1982年
6月
主要用途:研修所
建築面積:231m2 延床面積:932m2
構造規模:鉄筋コンクリート造地下2階地上3階
設計期間:昭和55年7月~昭和56年2月
施工期間:昭和56年2月~昭和57年6月
施工会社:大塩組
建物全体を、大きな無窓の1枚の壁面から構成し、そこへ全ての居室の窓を統合したカーテンウォールによる大きな一つの窓を設けて全体の一体感を出した。
共同による建築設計。
掲載誌:『建築画報』建築画報社 平成2年2月号 106頁、『日経アーキテクチャー』日経PB社 昭和58年8月15日号119頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都渋谷区
インテリア設計『群馬ロイヤルホテル
/ 共同 / 1982年
10月
主要用途:ホテル9階レストラン改装
改装面積:500m2
設計期間:昭和57年7月~昭和57年8月
施工期間:昭和57年8月~昭和57年10月
施工会社:佐田建設
天皇陛下が群馬国体の折り食事される部屋の設計。全体に落ち着いた古典的なデザインを志向しながら、天井を大胆に高くするなど工夫を凝らした。人が接するドアノブや窓回りなどの素材を考慮し、またテーブルと照明器具の素材の統一など、ノイズを減らした。
共同による建築設計。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
群馬県前橋市
建築設計『横浜人形の家』
/ 共同 / 1986年
2月
主要用途:展示場
建築面積:1257.91m2 延床面積:3929.13m2
構造規模:鉄筋コンクリート造地上5階
設計期間:昭和57年11月~昭和59年5月
施工期間:昭和59年11月~昭和61年2月
施工会社:竹中工務店
建物の外観は山下公園からの都市景観を考慮して独自のスカイラインを構成する意味で屋根型を素直に表現した。アプローチは二階が入口のため、建物を敷地から大きく後退させて幅広い階段をもうけ二階へ導き、歩道橋につながるペデストリアンデッキを設けた。建築は大きな家をイメージし、巨大な建築が小さな家に見えるようなスケールの操作による外観のデザインを施した。建物内部は人形の棲む都市をイメージし、外部の道路がそのまま内部にまで延長され、その街路沿いに人形の棲む家が立ち並ぶような展示計画を行った。
共同による建築設計。
掲載誌:『新建築』新建築社 昭和61年7月号 171-178頁、『日経アーキテクチャー』日経PB社 昭和61年6月30日号 134-139頁、『新建築』新建築社 昭和61年7月号 171-178頁、『建築文化』彰国社 昭和61年7月号51-59頁、『建築画報』建築画報社 平成2年2月号 34-35頁、“The Japan Architct”新建築社 昭和59年10月号66頁、『日本経済新聞』昭和59年11月20日朝刊、『ディテール』彰国社 平成11年11月号別冊 191-198頁、『新建築』新建築社 平成11年9月臨時増刊号 60-63頁、『CCI』コスモリバティ社 平成12年2月号 10-11頁。
授賞:日本ディスプレイデザイン賞優秀賞 昭和62年11月、神奈川県建築コンクル最優秀賞 昭和62年12月、商環境デザイン賞大賞 昭和62年12月、横浜街並景観賞 昭和63年2月
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
神奈川県横浜市
建築設計『東京サレジオ学園高校生園舎』
/ 共同 / 1986年
3月
主要用途:養護施設
建築面積:634m2 延床面積:875m2
構造規模:鉄筋コンクリート造階地上2階
設計期間:昭和59年8月~昭和60年4月
施工期間:昭和60年9月~昭和61年3月
施工会社:日本国土開発
建物全体を、大きな中庭を囲むような配置とし、それに面して生徒が集まれる居間を中庭と一体化された空間として設計した。個々の寮室はこの中庭を挟んで居間を取り囲むような空間構成とし、寮全体の一体感を演出した。
共同による建築設計。
掲載誌:『新建築住宅特集』新建築社 昭和61年7月号63-70頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都小平市
エクステリア設計『東急百貨店東横店』
/ 単独 / 1988年
4月
主要用途:百貨店
構造規模:鉄筋コンクリート造地下4階地上11階
設計期間:昭和63年4月~平成元年2月
施工期間:平成元年4月~平成元年8月
施工会社:東急建設
百貨店のファサードの改装を行った。周辺の商業建築景観から看板建築として構成し、大きなパネルを設置した。それは斜めのパターンを取り入れ重量感を消し、包装のイメージを付与した。また小窓状の照明を設け、全体が133ドットのTV画面となるような新しい都市照明を提案した。2階のコンコースでは透明ガラスと磨ガラスによる市松構成とし、影が映る部分と透過する部分によるレンズ効果を演出した。
単独によるエクステリア設計。
掲載誌:『ZEUS』菊川工業 平成元年11月3号 30-31頁、『建築画報』建築画報社 平成2年2月号 95頁、『建築知識』建知出版 平成2年6月号 245頁、『WAVY』ヤマギワ 平成2年3月16号 26-27頁、『WAVY』ヤマギワ 平成2年10月18号 16-19頁、『AXIS』アクシス 平成2年冬34号 23頁、『照明学会誌』照明学会 平成3年1月号 42頁、『LD+A』 Ligting Design + Application Advertising and Editorial Office,平成3年4月号 2~4頁、『日経アーキテクチャー』日経PB社 平成3年4月15日号 126-129頁、『建築知識』建知出版 平成5年10月号 164頁、『CCI』コスモリバティ社 平成12年2月号 10-11頁、
授賞:北米照明学会特別表彰ポール・ウォーターベリィ賞(Illminating Engineering Society of North America, Paul Waterbury Outdoor Lighting Design Award Special Citation) 平成12年8月
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都渋谷区
インテリア設計『小田急百貨店新宿店エントランスホール』
/ 単独 / 1991年
11月
主要用途:百貨店
延床面積:69.3m2
構造規模:鉄筋コンクリート造地
設計期間:平成2年11月~平成3年3月
施工期間:平成3年8月~平成3年11月
施工会社:小田急建設・三国建設・ヤマギワ
百貨店のエントランスホールであるEVホールの多くは通路の一部であったが、ここでは内部空間として区切りお客様が待っても十分耐えられるインテリアとした。床は特注の三角形で微妙な同系4色タイルを貼り分け、壁は大理石、天井は照明計画から生み出されたヴォールト天井となっている。またEVのインジケーターや押しボタン、サインやEVドアのエッチング仕上げまで統一してデザインされ、人々の感情移入を促すものとなっている。
単独によるインテリア設計。
掲載誌:『建築知識』建知出版 平成3年10月号96-101頁、『新建築住宅特集』新建築社 平成4年6月号86-88頁、『商店建築』商店建築社 平成6年1月号 190-193頁、『CCI』コスモリバティ社 平成12年2月号 10-11頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都新宿区
インテリア設計『小田急百貨店新宿店マンハッタンヒルズ』
/ 単独 / 1993年
2月
主要用途:百貨店
延床面積:13階1292m2、 14階1550m2
構造規模:鉄筋コンクリート造(13-14階部分レストラン階)設計期間:平成3年12月~平成4年7月
施工期間:平成4年9月~平成5年2月
施工会社:竹中工務店・三国建設・ヤマギワ
百貨店最上階の高級レストランのエントランスホールは、和食と洋食が混在しているため、ホールのインテリアも和様の木仕上げながら、全体は正方形を基調とした形態を相互に貫入させ襞を重ねたモダンなデザインとした。照明は硝子デザイナー、硝子障壁はステンドグラスデザイナーとコラボレイトし、人々の感情移入を促すものとなっている。
単独によるインテリア設計。
掲載誌:『商店建築』商店建築社 平成6年1月号 190-193頁、『CCI』コスモリバティ社 平成12年2月号 10-11頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都新宿区
インテリア設計『小田急百貨店町田店スカイタウン』
/ 単独 / 1993年
9月
主要用途:百貨店
延床面積:4326m2
構造規模:鉄筋コンクリート造(9階レストラン街)
設計期間:平成4年7月~平成4年12月
施工期間:平成5年3月~平成5年9月
施工会社:小田急建設・三国建設
百貨店最上階のレストラン街のパブリック及びトイレの総合設計である。長い廊下をアーチで分節し、それぞれの廊下には焦点にランドマーク的な光景が生まれるように照明やベンチを配した。広い部分と狭い不部分を相互に対比させ空間にメリハリを付け回遊する客に視覚的変化を演出した。床は木を採用しインテリアの感覚を補強した。各店舗間に境界壁を設け、それによりレストラン全体の一体感を出した。
単独によるインテリア設計。
掲載誌:『商店建築』商店建築社 平成6年1月号 186-189頁、『建築知識』建知出版 平成5年10月号 129頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都町田市
エクステリア設計『I邸』
/ 単独 / 1993年
12月
主要用途:住宅
対象面積:200m2
構造規模:木造
設計期間:平成5年9月~平成5年10月
施工期間:平成5年11月~平成5年12月
施工会社:東建ハウジング
玄関周辺の塀と前庭と駐車場を含めた部分の改装工事。閉鎖的なエントランスアプローチを塀を設けず明るいタイル貼りすることにより都市に解放した。引きが取れた結果ファサードが視界に十分入るようになり、住宅全体のイメージを大きく変えることに成功した。
単独によるインテリア設計。
掲載誌:『ナイスリフォーム』(財)日本住宅リフォームセンター 平成6年夏号 66-67頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都杉並区
インテリア設計『カフェ・エイト』
/ 単独 / 1994年
2月
主要用途:喫茶店
延床面積:59.4m2
設計期間:平成5年9月~平成5年12月
施工期間:平成6年1月~平成6年2月
施工会社:ノバ・マネキン
百貨店内部の喫茶店。店内の百貨店のインテリアとは別の架構を設け、それにより自立したインテリアを構成した。席を個別に間仕切る小壁を設け、入隅を多く設けた。座席のシートカバーとテーブルと内壁を統一し、狭い店内からノイズを減らし猥雑さを回避した。
単独によるインテリア設計。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都町田市
インテリア設計『カメラのイズミ』
/ 単独 / 1996年
8月
主要用途:店舗
延床面積:33.0m2
構造規模:木造
設計期間:平成8年3月~平成8年7月
施工期間:平成8年7月~平成8年8月
施工会社:三国建設
原色とそれに対応する単純な間仕切のインテリアの組み合わせによって構成した。店舗全体が外部からみて劇場のような晴れやかさを演出することによって、お客様へのアピールを配慮した。
単独によるインテリア設計。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都狛江市
インテリア設計『小田急百貨店町田店れんが通り』
/ 単独 / 1996年
11月
主要用途:百貨店
延床面積:2700m2
構造規模:鉄筋コンクリート造地
設計期間:平成7年12月~平成8年6月
施工期間:平成8年7月~平成8年11月
施工会社:小田急建設・三国建設
百貨店1階のプロムナードである。駅と一体化した店舗のパブリックを設計。大きく回遊する循環路をもうけてダイナミックな視線の変化を取り込んだ。また鏡を多様し列柱による空間の閉塞感を排除し、広がりを演出した。
単独によるインテリア設計。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都町田市
建築設計『T邸増築工事』
/ 単独 / 1996年
11月
主要用途:住宅延床面積:10.9m2構造規模:木造設計期間:平成8年4月~平成8年8月施工期間:平成8年9月~平成8年11月施工会社:東建ハウジング住宅の増築である。駐車場と一体化した温室である。軽快な曲面屋根と大きなガラス面により解放感に溢れる空間を設けた。床は大判のタイルを用い、途中に階段を設け立体的な植物の配置ができるようなスキッププランとした。単独による建築設計。掲載誌:『ナイスリフォーム』(財)日本住宅リフォームセンター平成9年春号 16頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都八王子市
インテリア設計『小田急百貨店藤沢店スカイタウン』
/ 単独 / 1997年
3月
主要用途:百貨店
延床面積:1588m2
構造規模:鉄筋コンクリート造(7階部分)
設計期間:平成7年3月~平成8年12月
施工期間:平成9年1月~平成9年3月
施工会社:小田急建設・三国建設
百貨店最上階のレストラン街の全面改装の内パブリック部分を設計した。客層から落ち着いた和食系が多いため、通路の和風のモチーフをいれながらモダンなデザインとして処理した。メンテナンスを重視して照明やガラスの使用について協議を重ね、その中で最大限の効果を追求した。
単独によるインテリア設計。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
神奈川県藤沢市
建築設計『集合住宅、コートハウスI』
/ 単独 / 2004年
1月
主要用途:賃貸住宅
延床面積:133.3m2
構造規模:木造地上2階
設計期間:平成15年5月~平成13年7月
施工期間:平成15年8月~平成16年1月
施工会社:東建ハウジング
中庭をもった集合住宅である。採光と通風と避難と遮音を考慮して提案された中庭には1階の吹き抜けの居間が配置されている。住宅は基本的に規模に係わらずワンルームとして扱い、ロフトや障壁により空間を分節した。
単独による建築設計。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京都杉並区
【団体展・グループ展】
『建築ドローイング展、<神殿>』
/ 共同 / 1982年
12月18日
~
1982年
12月25日
建築が建築外の概念を表現することがある、この展覧会では権力と結び付いてものとして<神殿>を捉え、過去の歴史的なものから現代までに認められる不変の現象として位置付け建築家という立場からそれを説い正したもの
共同開催の展覧会。
H450×W650(mm)1点
出展作家、青木淳、小倉高、越智暁人、角坂裕、武澤秀一、豊田利明、長尾重武、濱田徹三、安原盛彦、湯澤正信、米井知義。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
文化学院画廊
『煉瓦と建築展、積み重ねた美の表情』
/ 共同 / 1988年
1月6日
~
1988年
3月27日
建築における煉瓦という素材について着目して日本やヨーロッパやイスラム諸国の煉瓦の展覧会。この中でドイツの近代建築において伝統的煉瓦建築の表現が引用された事例としてヴォプスベーデに現地取材した表現主義の建築家ベルンハルト・ヘットガーの作品を写真展示した。共同開催の展覧会。
H270×W430(mm) 写真 2点
出展者、木村昌夫、水野信太郎、鬼頭日出雄。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
INAXギャラリー
『第3回 建築家と模型展』
/ 共同 / 1990年
2月6日
~
1990年
2月17日
建築が設計する時に製作しエスキース模型を中心にして、模型でいかに考えたかを一般市民にも見てもらい、設計という社会行為を啓蒙するための展覧会。出展した『青森フォレストビル』のインテリア模型では、家具や植栽までリアルに造り込んだものであり、人々にCCDカメラによりリアルなインテリアを体験してもらった。共同開催の展覧会。
H450×W650×D250(mm)1点。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
KOKUYO東京ショールーム
『第4回 建築家と模型展』
/ 共同 / 1991年
2月5日
~
1991年
2月16日
建築が設計する時に製作しエスキース模型を中心にして、模型でいかに考えたかを一般市民にも見てもらい、設計という社会行為を啓蒙するための展覧会。出展した『小田急百貨店EVホール』のインテリア模型では、壁や床の仕上げまでリアルに造り込んだものであり、人々が顔を中に入れて実体験できた。また2つの提案を並べ、模型で比較して見られるようにした。共同開催の展覧会。
H250×W730×D250(mm)2点。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
KOKUYO東京ショールーム
『第4回よみがえる樹々のいのち展』
/ 共同 / 2000年
10月2日
~
2000年
11月4日
草月会の方々と学生の共同製作により、剪定された公園の枝を使ったインスタレーション。公園の池の中に風景を再構築するような書割状のスクリーンを構築し、記憶の風景を再現したもの。
共同開催の展覧会。
H2000×W5500×D5500(mm)1点
出展作家、東京造形大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学、草月会西支部
『庭』平成13年5月号 建築資料研究社 pp.5~80,73~74。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
昭和記念公園
『アートクレイシルバー世界作品展』
/ 共同 / 2001年
5月10日
~
2001年
5月12日
アートクレイという粘土質の銀材を加工焼成してつくる装飾アクセサリーを学生ととともに建築空間の<シークエンス>をテーマに製作したもの。従来のオブジェ的なアクセサリーではなく空間をテーマにした特異な作品が展示てきた。共同開催の展覧会。
H10×W10×D10(mm)20点
出展、大阪芸術大学、東京造形大学、武蔵野美術大学、日本装飾クラフト学院学生ほか。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
東京国際展示場
『第6回よみがえる樹々のいのち展』
/ 共同 / 2002年
10月29日
~
2002年
11月30日
草月会の方々と学生の共同製作により、剪定された公園の枝を使ったインスタレーション。公園の岡の中腹に大きな穴の開いたスクリーンと、大地からめくれあがるようなスクリーンを合計2つ製作し、穴を通して風景を切り取り、また人々が通過する可能性を提案した。
共同開催の展覧会。
H1800×W8000×D2500(mm)2点
出展作家、東京造形大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学、草月会東京西支部
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
昭和記念公園
『第7回よみがえる樹々のいのち展』
/ 共同 / 2003年
10月26日
~
2003年
11月29日
草月会の方々と学生の共同製作により、剪定された公園の枝を使ったインスタレーション。公園の一角に大地と対峙して軽い幕面が浮遊するような3次曲面を枝と蔓で網上げて、全体に生命力が感じられるような造形にして、一度廃棄された枝や蔓が再生されたイメージを追求した。共同開催の展覧会。
H2000×W5500×D5500(mm)1点
出展作家、東京造形大学、多摩美術大学、武蔵野美術大学、草月会西支部
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
昭和記念公園
【講演会・シンポジウム・セミナー等】
『北ドイツ表現主義の建築』
/ 単独 / 1993年
4月17日
ドイツ近代建築のなかでも特異な表現主義を、更に北ドイツという地域で展開した独特の建築様式について論じたもの。その背景としての中世ハンザ都市の伝統的建材である煉瓦や木骨造の民家といった歴史を述べ、一方で当時の建築文化の中心地であったベルリンの表現主義との対比を行い、西欧の近代建築と西欧周縁の近代建築の差異について語った。単独講演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
西洋建築史研究会
『A.シーザとポルトガル建築』
/ 単独 / 1993年
6月11日
現代建築家の中でも感覚的な光や造形美で特異なポルトガル人の建築家アルバロ・シーザの人と建築作品を理解するために、彼が生まれ育ったポルトガルの建築や文化や環境から彼の作品を論じた。それによってヨーロッパの周縁に位置する地域での現代建築の多様性と独自性を、ヨーロッパ中心における建築デザインと対比させて論じた。単独講演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本大学理工学部建築学科
『旧東ドイツの近代建築調査報告』
/ 単独 / 1994年
7月15日
東西ドイツ統一直後の近代建築を現地調査した報告講演。資料で知られた近代建築も共産主義時代は自由な調査が不可能であったため、無名の近代建築を含めて37都市の現状を調査した。西ドイツの資本が入る前に、修復されないまま取り残された近代建築の状況を記録し、それを近代社会の成熟の歴史に沿って位置付けた。単独講演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会関東支部
Katura Detached Palace, Encounter with the Culture of Moonlight
/ 単独 / 1997年
2月16日
ガラス建築の可能性をテーマとした講演会で、ドイツと日本で活躍したブルーノ・タウトのガラス建築を題材にして、彼が追求した光と色彩の世界を、タウトが日本で再発見したとされる桂離宮の古書院の空間と比較して論じたもの。特に月を見るために造られた桂離宮の庭と建築を言及し、その月の光に象徴される曖昧な中間領域についてタウトを論じた。単独講演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
Geothe Institut Toronto + Vision of Light in Toronto
Color and Archhitecture, Weltbaumeister Bruno Taut
/ 単独 / 1997年
2月19日
ドイツ近代建築のなかでも特異な表現主義を代表するブルーノ・タウトの作品を特徴付ける色彩について着目し、彼の世界観を論じた。中でも『アルプス建築』や『都市の冠』と並んで彼が描いたユートピア建築図版集である『世界建築師』を取り上げ、そこに描かれた神秘主義的な宇宙観と彼の建築との関係を、色彩と光を通して論じた。単独講演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
Japan Foundation Toronto + Vision of Light in Toronto
『身体/感覚 文化、支配する視線』
/ 単独 / 2003年
12月17日
身体を通して環境との関係を位置付け自己認識しているという視点にたち、身体の感覚の中でも<見ること>に着目して社会文化を論じた。特に本講演では視覚が空間認識と結び付いていることを指摘し、空間を規定する事例をとりあげながら、それが管理や支配の理念を背景にして現代社会に潜在している事実を示し、コロニアリズムや西欧史観を論じた。単独講演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
慶応義塾大学
【解説論文・評論・書評・批評等】
<メトロポリス>にみるワイマール文化の光と影
/ 単独 / 1985年
5月
[映画]ワイマール共和国が誕生した時代は政治ばかりでなく芸術の世界においても未来が語られたが、映画においても例外ではない。その典型がベルリンで活躍した映画監督フリッツ・ラングの一連の映画である。その代表作である「メトロポリス」を素材にワイマール時代のユートピア志向を説明しとながら、ハリウッドと二分した当時のドイツ映画が得意としたスタジオ撮影技術について指摘した。それは当時の表現主義建築家が不況で設計の仕事が無いときに、その理想とした都市像を映画のセットの中で実現していったことを指摘し表現主義建築との関連を述べた。掲載頁は160頁から161頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』 新建築社
ミース誕生100年祭
/ 単独 / 1986年
9月
[建築]ドイツの代表的近代建築家ミース・ファン・デル・ローエの生誕地であるアーヘンで開催されたミースに関するシンポジウムと建築展の報告。アーヘン工科大学で開催されたシンポジウムにおけるベーニッシュの講演と、ミースの家具の展覧会を中心に報告し、近代建築において均質空間を提示した彼のドイツとアメリカにおける設計活動を通して社会や都市に及ぼした影響を評価し、その原点ともいうべき空間思想を彼の建築作品の中に具体的に指摘し再評価した。掲載頁は8頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』エー・アンド・ユー社
J.L.M.ラウエリクスの作品展.
/ 単独 / 1987年
10月
[建築]20年代ドイツで活躍したオランダ出身の建築家ラウエリクスの建築を中心としたグラフィックやインテリアの総合回顧展の報告。彼は神智学のドイツ支部長を務めた経歴から、彼がドイツのハーゲンで設計した一連の住宅における門扉や外壁や庭園、そしてグラフィックに認められる螺旋という独特のモチーフの宇宙観を説明し、彼の実現されなかった教会の計画案を始めとしてこの神智学の影響を指摘した。掲載頁は5頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』エー・アンド・ユー社
ミース・ファン・デル・ローエ
/ 単独 / 1988年
6月
[書評]ドイツの代表的近代建築家ミースを総合的に記述した本の紹介。19世紀末に生まれ、ワイマール共和国時代にドイツで活躍し、ナチスの迫害をうけてアメリカへ亡命するまでバウハウスの校長を務めて近代建築の普及に尽力した人物として彼の生涯を位置付け、彼を軸にして逆にワイマール時代を捉え直した。結果として亡命したが、ミースが自分の建築哲学をアメリカにおいて貫徹したのに対して、古典主義へと回帰したナチス時代のドイツ建築を批判的に評価した。掲載頁は8頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』エー・アンド・ユー社
ベルリン、サイレント映画の軌跡
/ 単独 / 1989年
2月
[映画]ワイマール共和国の時代の自由を謳歌した庶民生活を支えたものとして無声映画を捉え、そこにワイマールの社会の本来の姿が写し出されていることを指摘した。またフリッツ・ラングの「月世界の女」をはじめ、未来社会を描くものや、あるいは庶民の悲劇を描く映画においても、そこに誇張されて演じられた舞台セットや役者のジェスチャーは、まさに当時の表現主義芸術の一翼を担っていることを指摘し、表現主義時代を象徴する芸術の一つとして無声映画を位置付けた。掲載頁は79頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
バウハウスの申し子、O.シュレンマーのトラディックバレー
/ 単独 / 1989年
10月
[舞踏]近年再現されたバウハウスのオスカ-・シュレンマーが創作した「トリアディックバレー」に顕著であった、当時のヨーロッパのモダン舞踏を先導していたドイツの幾何学的コレオグラフィーや色彩と空間理念を指摘した。即ちそこに認められるオリエンタリズムのコスチュームや仮面からは、野蛮と言われたアジアやアフリカの舞踏や呪術の影響が明瞭であることを指摘し、それを近代デザイン教育の総本山であるバウハウスが前衛として教えていた事実からバウハウスの神秘主義を指摘した。掲載頁は121頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
アルヴァ・アアルトの青年時代と芸術思想
/ 単独 / 1990年
2月
[書評]フィンランドというヨーロッパにおいては周縁文化に位置する文化圏で活躍した近代建築家アルヴァ・アアルトを、建築評論家であるヨーラン・シルツの目から捉えた本書は、アアルトという人物とフィンランドの自然環境から必然として生まれた建築として論じようとしている。こうした視点をゲーテの自然観の中に捉え、結果として本書が合理主義へ偏在した近代建築批判の書となっているとして評価した。掲載頁は335頁から336頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
ヴァン・ド・ヴェルド展
/ 単独 / 1990年
7月
[工芸]ベルギー出身ながら世紀末から1910年代にかけてドイツの近代建築と工芸を先導した建築家として歴史的に重要な人物である。特にドイツでは1914年のドイツ工作連盟展における反合理主義を唱えてムテジウスと対峙した建築家として位置付けられているという視点から、彼の一連のユーゲントシュティールの什器やインテリアを機能主義への批判精神の表れとして位置付けることによって、現代デザインの問題として再評価し、機能に対して装飾の意味を問い正した。掲載頁は104頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
<メス>の目からみたアーツ・アンド・クラフツ運動
/ 単独 / 1990年
9月
[書評]ヨーロッパ世紀末のモダンデザインの発祥の地であるイギリスにおいて最もヨーロッパ本土へ大きな影響を与えたアーツ・アンド・クラフツ運動を、主に建築を通して語った本書は、その特異な細部への眼差しから、それまで語られてきたこの運動への疑問にも似た再評価を目論んでいると見た。即ち大文字で書かれたこれまでの理路整然と整理された歴史記述に対して、著者の眼差しの中に建築の本質を捉えようとする批判精神を見いだし、本書を評価した。掲載頁は107頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
表現主義から新即物主義へ、ドイツ無声映画のリアリズム
/ 単独 / 1991年
6月
[映画]上映されたルビッチュとパプストとラングの3人の監督の無声映画において共通して認められる時代への諦観として、新即物主義への過渡期を位置付けた。世界恐慌の時代の映画はワイマール共和国成立時の浮き足立った社会がすでに過去のものであることをよく示している。このドイツに開花した新即物主義の映画にナショナリズムの再構築の兆しを指摘し、その共同体や民族意識への傾倒に、迫る繰るナチズムの可能性を示唆した。掲載頁は105頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
ドイツ表現主義、ブリュッケ展
/ 単独 / 1992年
1月
[絵画]元々建築教育を受けていたブリュッケの表現主義絵画を建築として批評した。例えばそこに用いられた鮮やかで光に満ちた色彩世界は、そのまま当時の建築におけるオリエンタリズムに重合し、自由な精神と社会を求める思潮に重合する。また彼等がベルリンへと進出して描き始めたのは都市の姿であるが、描かれた都市は未来都市ではなく保守的な生活が見える都市像であり、当時の田園都市思想に重合した。さらに表現主義の建築家が当時描いたスケッチと比較すれば、そこには画家と建築家の境界すら曖昧な渾然一体とした表現芸術の世界を純粋に体現したものとして評価した。掲載頁は147頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
廃墟に沈潜する時間、宮本隆司写真展
/ 単独 / 1992年
4月
/ 単独 / 1992年 4月
[写真]都市の廃墟をテーマにして写真を取り続けていた写真家宮本氏にとって、遺跡アンコール・ワットが持つ意味を時間の概念から批評した。宮本の廃墟の写真には人が生活していた痕跡が捉えられているが、決して人影は写されていない。風景からは人にまつわるドラマは意図的に排除され、無機的なオブジェと化し、生きられた時間が静止した世界へと代えられている。そしてアンコール遺跡の写真にも歴史という時間の流れを超越したものとして捉えられ、無機的な石のオブジェとしての廃墟が写し出され、「うつろう」ものの存在を否定する宮本の意図が認められた。掲載頁は14頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『建築文化』彰国社
<建築都市>ベルリン
/ 単独 / 1993年
5月
[書評]20世紀初頭にはヨーロッパの政治、文化の中心都市であったベルリンを語る場合、これまではその社会的文化的側面から解説するものがほとんどであったが、本書では都市を具体的に構成している建築に着目し、中世都市からその構造を現在に継承しながら時代の変化を吸収して、都市空間に全ての時代が積層されているという都市の歴史観と、その都市の発展が政治文化の展開を促していくといった歴史観が提示されていることを指摘し、建築が都市文化を先導しうる確信を批判した。掲載頁は98頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
日本の無声映画における表現主義
/ 単独 / 1993年
8月
[映画]日本の映画史の特異な点は、20世紀初頭においてアメリカばかりでなくドイツから多くの映画が入ってきたことである。その時代にドイツ映画とはそのまま表現主義映画であり、日本映画が多大な影響を受けた事実を指摘した。即ち日本を代表とする衣笠貞之介監督や溝口健二監督の作品には多大な影響を及ぼし、特に文豪川端康成脚本による「狂った一頁」にはドイツ表現主義を彷彿とさせる映像表現が認められた。この日本とドイツに共通した映画における表現主義の特異な歴史を指摘した。掲載頁は99頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
宇宙建築師のみたユートピア
/ 単独 / 1994年
7月
[建築]近代建築史の歴史観はパリとベルリンを中心とした西欧において構築された事実を指摘し、本来のヨーロッパ文化の中心はまさに中欧と呼ばれるチェコやポーランドといった東よりにあったのではないかと問いかけた。その仮説を、これまで正当な評価を受けてこなかった表現主義建築家タウトの作品を介して示した。即ち再発見された彼の膨大な絵画作品から彼のユートピア建築における色彩と光の世界を再評価し、近代建築のもう一つのあり方の可能性を示唆した。掲載頁は260頁から263頁までの総頁数4頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
色彩の建築家ブルーノ・タウト
/ 単独 / 1994年
7月7日
[建築]ドイツの近代建築家としてドイツでの建築作品を中心に研究されてきたブルーノ・タウトは、実際にはドイツとソビエトと日本とトルコで設計活動を行っていた。特に日本では工芸において多大な成果を残し、自然と建築の融合した桂離宮を再発見した。こうした日本における晩年の創作活動こそ彼の集大成として位置付け、逆のパースペクティヴとして日本からドイツの建築作品を捉え直すことにより、これまでとは異なったタウト像が浮上し、再発見された多数の水彩画やユートピア建築も新たな位置付けがなされ、これまでのタウトの建築が再評価されるべきと指摘した。夕刊の10面頁に執筆掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『東京新聞』平成6年7月7日
色彩建築家に新しい近代建築をみた
/ 単独 / 1994年
8月
[建築]近代建築は機能主義と合理主義による先入観で歴史的に位置付けられ、それ以外の建築は近代へ至る過渡期のものとして評価されてきたことを批判し、その多様な近代建築の実像の一つとしてブルーノ・タウトの建築を評価した。特に彼の建築で顕著であった色彩を多用した作品を中心に、ユートピア都市のスケッチからステンドグラスを用いた光に溢れた建築までを、彼が若い頃描いた数多くの水彩画を起点にタウトの建築家としての人生を貫く色彩世界を指摘し、もう一つの近代建築のあり方を実践していた建築家としてタウトを位置付けた。掲載頁は99頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
シェーアバルトの不思議な世界
/ 単独 / 1995年
5月
[書評]20世紀初頭にドイツで活躍した幻想文学の作家シェーアバルトは表現主義建築家ブルーノ・タウトと親交があり、建築史に時折浮上してくる特異な作家である。この両者に共通するものとして北ドイツ出身、即ち神と直接対峙するプロテスタントの冷徹な視線を指摘した。それはタウトと同じケーニヒスベルク出身のカントの『美と崇高の理論』の哲学を背景に、タウトのガラスのホールやシェーアバルトの機械への信仰を説明し、そうした無機的な素材に美を見い出すような姿勢を指摘し、10年代のベルリンという時代の過渡期をこの詩人の著作に捉えた。掲載頁は119頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
ドイツ表現主義舞踏の身体世界
/ 単独 / 1996年
5月
[舞踏]モダンダンスの起点ともなったドイツの表現主義舞踏のレクチャーが行われ、貴重な映像による当時の正に動く身体像をもとに近代舞踏の歴史が語られた。しかしそのダンスに執着するあまり歴史的広がりを無視していることを批判した。即ち身体文化として捉えたならば男性の身体文化に対する言及が欠如していたこと。あるいは身体に執着しすぎてその表現舞踏を可能とならしめた表現主義舞台の空間の歴史を黙殺したこと。さらに表現主義という歴史的概念を時代の必然性を無視して表層的にしか捉えず、その本質を見落としてしまったことを指摘した。掲載頁は109頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
トロント・グラスアーキテクチャー展に参加して
/ 単独 / 1997年
4月
[建築]近代建築を可能とした建材の一つであるガラスに着目して開催された建築展に参加した報告である。私が研究対象としているブルーノ・タウトの建築ではガラスが多用され光の象徴として神秘主義を背景に近代の表現主義建築を特徴付けた。即ち建築のためのガラスではなくガラスのための建築であった。よってこのガラス展でも建築にこだわらず、ガラス自体の表現の可能性を追求したものとして評価した。さらに不変の建築と多様な表情を見せるガラスとの対比の中に現代建築を位置付けて、その表現の可能性を求めた展覧会として評価した。掲載頁は70頁から71頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
ヴァイセンホフ・ジードルンク住宅展、時代背景とその意義
/ 単独 / 1997年
10月
[建築]1927年にドイツで開催された住宅建築展に関する展示とレクチャーの報告である。現在となっては当り前の白い四角い住宅建築は近代建築史上初めてこの展覧会で世で問われた経緯を説明し、住宅という建築が当時の火急の社会的課題であった背景も合わせて住宅展の意義を示した。さらに未来を志向したこの建築が新工法を提案した史実や、新しい都市型市民のライフスタイルを反映させたプランニングの試みなど、単なる展示ではなく近代という時代全体の断面を語る重要な側面としてこの住宅点を位置付けた。掲載頁は109頁から112頁までの総頁数4頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
【各種メディアでの掲載・出演】
『ブルーノ・タウトの建築、田園都市ファルケンベルク』
/ 単独 / 1994年
7月3日
ドイツの建築家タウトが1914年に設計した田園都市ファルケンベルクの建築とその外部空間について論じた。伝統的な民家を基調としていながら、目が醒めるような色彩に塗り込められた街並みが、タウトのユートピア思想を背景としていることを、また外部空間における小さな広場や路地が中世都市を基調とした理想の共同体の体現であることを指摘した。単独出演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
NHK教育テレビ『日曜美術館』
『建築のリフォームと生活のリフォーム』
/ 単独 / 1997年
2月21日
住宅のリフォームという問題を、単なる古い部分の改築という視点ではなく、人生において必然的な行為として捉えた。即ち、住宅を不変の構造物ではなく、自分の衣服のように生活や身体を包むようなものとして捉えることにより、ライフスタイルや家族構成の変化に応じるように断続的に行って然るべきものとして位置付けた。単独出演。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
テレビ東京 『東京レポート<夢の増改築>』
【連載・エッセイ・コラム等】
『レヒネル・エドゥンの建築』
/ 単独 / 1984年
4月
ハンガリーというヨーロッパ周縁に位置する文化圏における世紀末から20世紀初頭の近代建築は伝統とモダニズムが融合した特異なデザインとなっている。その事例としてハンガリーで活躍したレヒネル・エドゥンの設計したブタペストの応用美術館と地理学研究所の作品を中心に、そこで用いられた陶器装飾や屋根の配色模様などと伝統的ハンガリー文様との関係から伝統と近代を論じ現代建築を批判した。掲載頁は134頁から134頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『ハンガリーのアールヌーヴォー』
/ 単独 / 1984年
8月
ハンガリーで開花した世紀末のアールヌーヴォー建築の中でもレヒネル・エドゥンが設計したブタスペスト応用美術館のデザインに言及した。特にインテリアの波状アーチやエントランスの天井のパターンなどが、インドのムガール帝国の建築のデザインに酷似している点を指摘した。その一方で屋根や鉄骨のカットにおいてハンガリーの伝統的な刺繍の文様が認められることも指摘し、モダニズムとオリエンタリズムと伝統が融合した特異なハンガリーの近代建築の全貌を論じた。掲載頁は32頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『建築士』日本建築士会
『ベルリン二つの真空地帯』
/ 単独 / 1986年
9月
東西ドイツが統一される前のベルリンにおける都市計画のジレンマについて二つの事例をあげて説明した。一つはミースの近代美術館に連続するティアガルテンにおけるハンス・ホラインの提案が歴史的文脈を否定し周辺環境から隔離された別世界を構築している点で批判され、未だに承認されない社会状況を報告した。またシュプレー川が蛇行する共和国広場ではナチスの時代からとりだたされては計画が計画で終わった歴史を繰り返し、結果とし都市開発が政治的に不安定な社会状況から進まないベルリンの現状を俯観した。掲載頁は166頁から167頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『彫刻が棲む街、アーヘン』
/ 単独 / 1987年
6月
公共芸術のあり方を問うために、都市空間における彫刻が生き生きと機能している都市の一つとしてドイツのアーヘンを上げた。アーヘンの旧市街には等身大の彫刻や水のみ場や噴水など多様な彫刻が点在している典型的なドイツの中世都市である。見て楽しむものや利用して楽しむもの、そして関節が自由に動いて参加して楽しむものなどに分類した。そしてそれらが人々の日常生活のシーンに自然と溶け込み、人々の間のコミュニケーションを誘発する環境装置として機能していることを報告した。掲載頁は73頁から76頁までの総頁数4頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『ベルラーヘの建築に接して、オッテルローの森』
/ 単独 / 1988年
2月
アムステルダム郊外のオッテルローの森にオランダの近代建築を訪ねた。この森にはクローラー・ミュラー夫妻の別荘と美術館が建てられたが、その設計を担当したのが当時の気鋭の建築家ヴァン・ド・ヴェルドやベルラーヘであった。その別荘の鉄骨と煉瓦タイルによる独特のインテリア空間を備え、床はガラスモザイクを用いるなど当時としては斬新な建築であったことを報告した。そこでは聖フーベルトスの聖徒伝説がモチーフとして全体が構成されており、厳格なプロポーションから論理展開させて設計していたベルラーヘのもう一つの建築像をそこに指摘した。掲載頁は161頁から162頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『アーヘン宮廷礼拝堂』
/ 単独 / 1988年
8月
世界遺産に指定されているフランク王国首都アーヘンの宮廷礼拝堂はシャルル・マーニュをはじめ歴代の皇帝がが載冠式を行った歴史的建築物である。その魅力はまず空間の構成にある。即ちそのカロリング・ルネサンスの建築様式で建てられた礼拝堂はイタリアのラベンナのサン・ヴィターレを模倣したものといわれ、内部空間の空間のプロポーションが同相であることを詳述した。また室内を覆うモザイク画は特に中央の八角ドームの天蓋が秀逸であり、ローマ・ビザンチン文化をゲルマン文化に根付かせたものとして説明した。掲載頁は65頁から68頁までの総頁数4頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『こころの表現、ドイツ表現主義の建築』
/ 単独 / 1989年
12月
ドイツ表現主義建築を語る場合、その背景としての思想を指摘した。即ちカントやヘーゲルをはじめフランクフルト学派のホルクハイマー等の思想や哲学を理解しないと、表現主義建築はその表層的な外観の特異性だけが一人歩きして、当時の建築家達の本来の主旨が全く理解されない可能性を指摘した。そして当時の社会改革の熱気の中で生み出された表現主義建築をその精神性から<歴史の主体として人間が生きるべき>とする姿勢を建築に求めたものとして再評価した。掲載頁は50頁から51頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『建築雑誌』日本建築学会
『レヒネルの建築を訪ねて』
/ 単独 / 1990年
2月
ハンガリーというヨーロッパ周縁に位置する文化圏における世紀末から20世紀初頭の近代に活躍したレヒネル・エデンの設計したケチケメートの市庁舎を取り上げ、その造形美について報告した。即ちその外観の赤茶の砂岩色の仕上げやディテールからインド建築の影響を指摘した。その一方でネオ・ルネサンスの切妻のファサードはヨーロッパの古典主義の造形であることを指摘した。しかしその窓や屋根の文様などにはマジャールの伝統文化が反映されたものであり、伝統と近代の融合の中にこの建築を位置付け、ハンガリーのモダニズムの多様な可能性を論じた。掲載頁は60頁から66頁までの総頁数7頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『レヒネル・エデンの建築』 INAX出版
『ドイツ表現主義』
/ 単独 / 1991年
1月
ドイツの近代建築の歴史を俯観すると、それがそのまま表現主義建築の盛衰の歴史となることを示した。特に19世紀末から伝統的なデザインを主張した保守的な流れと、ワイマール共和国の成立した革命に酔い知れた社会改革を目指したユートピア派の流れと、自然や身体との有機的関係性を強く主張した論理派の流れに分類して、それがインターナショナルスタイルの展開に中で20年代後半に新即物主義へと移行し、30年代にナチスの古典主義に置き換えられるまでを詳述した。掲載頁は138頁から139頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『アインシュタイン塔』
/ 単独 / 1991年
1月
ドイツの表現主義建築の代表ともいえるエーリヒ・メンデルゾーン設計のアインシュタイン塔のデザインを宇宙観から解釈した。即ち、そのダイナミックな有機的で彫塑的な流れるような外壁のデザインを大地の延長として捉え、また球体の採光ドームを幾何学的なプラトニズムの宇宙を象徴する形態デザインとして捉えた。そして建築はその大地と宇宙を結び付ける接点としてアインシュタイン塔を位置付けて、表現主義建築を解釈した。掲載頁は156頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『エーリヒ・メンデルゾーン』
/ 単独 / 1991年
1月
ドイツで表現主義建築家として活躍した建築家であるエーリヒ・メンデルゾーンの生涯を語って、当時のドイツ社会を論じた。ベルリン大劇場やアインシュタイン塔の設計者としてドイツ近代に歴史を謳歌したメンデルゾーンはユダヤ人であったために公共建築の設計実績がなく商業建築を中心に活躍した。その作風は表現主義から都市の速度を取り入れた水平線を強調するソリッドなモチーフへと変化し、ナチス政権掌握後には亡命生活を余儀なくされ、アメリカで更にそのデザインを追求した。掲載頁は157頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『チリハウス』
/ 単独 / 1991年
1月
ドイツの周縁に位置するハンブルクの近代建築を先導した建築家であるフリッツ・ヘーガーの代表作であるチリハウスを介して多様なドイツの近代建築の様相を論じた。このチリハウスは中世のハンザ都市で顕著な北ドイツの伝統的な建材である煉瓦を用いたことで有名であるが、一方でその天を突き刺すような彫塑的外観と巧みな煉瓦の積み方において表現主義の建築として評価された。即ち伝統と近代が融合した特異な北ドイツ表現主義建築としての代表作として位置付けた。掲載頁は160頁から161頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『ドイツ表現主義年表』
/ 単独 / 1991年
1月
近代建築史の流れからドイツ表現主義の流れを中心に年表を作成した。このドイツでの近代建築運動を客観化してみるために、同類の建築様式の流れがあったオランダのアムステルダム派とバルセロナのモデルニスモを併記した。一方ドイツでおいても全土を一様な歴史として語ることは不適当と判断し、地域に応じてその特性を記述できるため、南ドイツ、中央ドイツ、北ドイツに分けてその歴史的変化を並行させて年表として構成した。掲載頁は304頁から305頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『アインシュタイン塔』
/ 単独 / 1991年
2月
エーリヒ・メンデルゾーンが設計したアインシュタイン塔はドイツ表現主義建築を代表とするものとして評価されている。その理由は3次元曲面による彫塑的な造形美による。しかし本体はシンメトリーを厳格に守った平面構成をもち、塔の内部には垂直に計測機が設置された5層吹き抜けの空間であり、地下室は矩形のプランであることを指摘し、合理的で機能的な近代建築であることを指摘した。しかしその象徴的な外観のため現代に至るまで、その有機性のみがとりだたされ、正当に評価されてこなかったことを批判した。掲載頁は317頁から318頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『マヌエリーノの建築、ポルトガル民族様式の造形と空間』
/ 単独 / 1991年
8月
16世紀の大航海時代に開花したポルトガルのマヌエリーノ様式の建築について論じた。このバロックにも似た建築様式はスペインと共に、海外からもたらされた富を基に生み出された。そのため修道院の装飾にはアジアやアフリカの植物や文物が認められ、また独特なのは船にまつわるロープ等のモチーフがこの建築装飾として引用されていることなど、マヌエリーノの造形美の比類のない特徴を指摘した。そしてこうしたマヌエリーノの「ほとばしる情熱」の表現を西欧の「冷めた理性」と対比させ、ポルトガルの文化を論じた。掲載頁は48頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『レヒネル・エデンのケチケメート市庁舎、民族文化と近代の相克』
/ 単独 / 1992年
7月
ケチケメート市庁舎の建つ広場にはユダヤ人カジノやシナゴーグが建ち並んでいることを指摘し、ハンガリーにおける経済に復興を背景に、マジャール文芸復興運動を歴史を指摘した。またオーストリア=ハンガリー帝国の中に埋没したハンガリーは、さらに近代化イコールドイツ化に危機感を募らせ、その歴史的背景から伝統的造形美によるナショナリズムを喚起させるものとしてレヒネルの伝統を引用した建築を解釈し、もう一つの近代建築の可能性を示した。掲載頁は10頁から12頁までの総頁数3頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『マックス・タウト、星の墓標』
/ 単独 / 1993年
1月
ドイツ表現主義の建築家として知られるマックス・タウトの確認されていない墓標をドイツにベルリンの墓地で調査し発見した報告。その墓標が特異なのは支柱の上にコンペイトウのような星を戴いていることにある。この流れ星のような墓標のデザインの出自として、ブルーノ・タウトが刊行した雑誌『曙光』に掲載されたマックスのスケッチを指摘し、その社会背景として当時のユートピア建築の時代思潮を詳述し、兄タウトとの関係から他の墓地の作品例も合わせて説明した。掲載頁は146頁から147頁までの総頁数2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
『物語る建築』
/ 単独 / 1995年
1月
映画「ブレードランナー」のレプリカントを事例に、記憶のない人間と記憶の内在されていない建築を対比させ、<物語>というキーワードによって現代建築を批判した。即ち単なる技術的な生産物としての現代建築に欠如した<物語>の再生を提示した。その理由としてドイツ表現主義の建築の造形から読み取れる多様な<物語>の豊さを示し、建築に都市の記憶や歴史や環境が反映されるような設計行為が、結果として建築に物語を内在させ、人々や社会に歴史を越えて語り続ける意義を説いた。掲載頁は27頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『JIAニュース』新日本建築学会
『留まらない都市』
/ 単独 / 1997年
5月
現代都市を特徴付けるものとして<留まらない>という状況を提示した。即ち人々は毎日都市の中で様々な交通手段を用いて常に移動している。あるいは人生においても転居や旅行などで世界を飛び歩いているのである。この都市において移動しない建築の存在意義を問い正した。即ち建築とはこの運動を制御し文化を育む場として位置付けた。それは象徴としての駅なのである。そして人生にとって駅とは学校や刑務所であり、そこで人は生きる方向を見定める。その総称がコミュニケーションであり情報と定義した。掲載頁は21頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『COMMUNICA-TIONS』 電通テック
『ハンス・ペルツィヒの工場建築』
/ 単独 / 1997年
5月
旧ドイツ領であったポーランドのシレジア地方の都市ルーバンに、ドイツ表現主義の建築家ハンス・ペルツィヒが1912年に設計した化学工場の現状を調査した報告である。多くの建築が解体された中で、一部は現在も使用されていた。文献からは推察できなかった事実として5階建の工場が木造であったことや、その外観のデザインが北ドイツの伝統的な造形要素を引用して構成されていることを指摘し、伝統建築が近代建築へと継承される過渡期の事例として説明した。掲載頁は101頁から104頁までの総頁数4頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『ドイツの世界遺産(1)』
/ 単独 / 1997年
7月
近年制定された世界遺産について、ドイツで認定されたものを体系的に説明した。歴史的な視点からトリーア、アーヘン、クヴェトリンブルク、ヒルデスハイム、ヴィッテンベルク、ヴュルツブルク、ケルン、フェルクリンゲン、デッサウの都市の建築を取り上げ、4世紀から20世紀のドイツの歴史を俯観し、ドイツという国に多様な宗教や文化が流入して生み出された建築を通してドイツの全体像を示した。掲載頁は1頁から13頁までの総頁数13頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『インゲルハイマー』 日本ベーリング・インゲルハイム株式会社
『ブレスラウのドイツ近代建築界』
/ 単独 / 1997年
7月
ドイツ領であったポーランドのシレジア地方の中心都市ブロツワフに現存する1920年代に建設されたドイツの近代建築を現地調査し、個々の作品の分析から、その重要性を論じた。調査対象としてH.ペルツィヒ、M.ベルク、O.サルビスベルク、A.ラーディング、P.シュミットヘンナー、H.ライスティコウといった建築家の諸作品をとりあげ、その歴史から忘れ去られた建築家やその作品の再評価と、歴史的な位置付けを行った。掲載頁は93頁から98頁までの総頁数6頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『ドイツの世界遺産(2)』
/ 単独 / 1997年
10月
近年制定された世界遺産についてドイツで認定されたものを体系的に説明した。地誌的な視点からヴィース、マウルブロン、メッセル、バンベルク、シュパイアー、ロルシュ、ブリュール、ゴスラー、ポツダム、リューベックの都市や建築を取り上げ、その背景にある豊かな自然や文化から生み出された素晴らしい空間について、南ドイツから北ドイツまで地誌的にドイツを俯観し、ドイツという国に多様な宗教や文化が流入して生み出された建築を通してドイツの全体像を示した。掲載頁は1頁から13頁までの総頁数13頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『インゲルハイマー』 日本ベーリング・インゲルハイム株式会社
『エーリヒ・メンデルゾーンの百貨店建築』
/ 単独 / 1997年
11月
旧ドイツ領であったポーランドのシレジア地方の中心都市ブレスラウに現存する、ドイツ表現主義の代表的建築家エーリヒ・メンデルゾーンが1928年に設計したペーテルスドルフ百貨店と、ヘルマン・デルンブルクが設計したヴェルトハイム百貨店を取り上げ、現地で調査した報告である。百貨店は近代経済の発展の中で生み出されたものであり、代表的な近代建築のビルディングタイプである。異なった2つの百貨店建築の造形的特徴を、ドイツに当時建設された百貨店建築と比較検討し歴史的に位置付けた。掲載頁は145頁から149頁までの総頁数5頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『色褪せた西欧モダニズムからの脱却、キュビズムの再評価の契機』
/ 単独 / 1998年
3月
チェコ近代建築様式であるキュビズムを、その代表的建築家パヴェル・ヤナークの建築理念から説明し、ドイツのヴォリンガーの「抽象と感情移入」の理論を受け入れながら、その一方でボヘミアのバロックを近代へと継承発展させたものとしてチェコ・キュビズムを位置付けた。さらに近代建築史観の問題として、チェコがパリやベルリンといった西欧から周縁に位置付けられてしまっていることを指摘し、中欧で生まれたチェコ・キュビズムがロシア構成主義やオランダのデ・スティルを準備した前衛芸術であることから、中欧における中心的近代建築運動として再評価した。掲載頁は9頁の1頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『チェコのル・コルビュジエの都市ズリーンの建築』
/ 単独 / 2000年
2月
チェコの近代建築を語る上でプラハ、ブルノに次いで重要とされるズリーンの都市と建築の報告である。この都市はトーマス・バーチャという企業家によって建設されたユートピアである。設計はヤン・コテーラからゴチャールに引き継がれ、都市全体が同じモデュールで同じ素材で建設された。その異様さは個性であるとか人間性であるとか偶然性を排除し、人間不在の合理主義に貫徹されて建設されたことによる。即ちバーチャの工場生産システムがそのまま流通、店舗、社宅そしてそれを取り巻く都市空間や日常生活にまで貫徹されたいびつな近代合理主義の姿としてズリーンを位置付けた。掲載頁は44頁から45頁までの2頁掲載。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社
【調査・研究】
アジア建築調査1:スリランカの仏教遺跡
/ 単独 / 1980年
12月24日
~
1981年
1月20日
上座部の仏教国の一つであるスリランカには、インド大陸から侵犯してきたタミール族の影響で遷都した結果、数多くの独特な仏塔や寺院が全土に建設された。民族の伝統と仏教の伝統が融合した煉瓦造りの寺院や、巨石信仰を背景とした石窟寺院や寝槃仏を訪ね、アヌラダプーラ、ポロンナルワ、ジャフナ、シギリア、キャンディ、コロンボを訪れた。特にキャンディの仏歯寺では古い木造の寺院建築が残り、日本の寺院建築との関連性が認められた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社昭和56年4月『建築士』日本建築士会昭和56年7月『旅のメモシリーズ571スリランカ』日本観光文化研究所昭和57年3月
アジア建築調査2:ジャワ島の仏教遺跡
/ 単独 / 1982年
9月4日
~
1982年
9月15日
東南アジアの寺院建築はヒンズー教と仏教が融合した独特の空間構成と造形美が認められる。その代表的地域であるバリ島における建築としてグアガジャ、タンパクシリン、グヌンガヴィ、王家の谷、ベサキ寺院を訪れアニミズムとバリヒンズーの特徴を残した遺跡を調査し、またジャワ島ジョクジャカルタ近郊のボロブドールとムンドットやセウ、サリ、カラサン、プラオサン、プランバナンといった複合仏教遺跡を訪れ、その空間構成について調査した。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『キーワード50』建築知識昭和58年3月
ヨーロッパ近代建築調査1:チェコスロバキア・ハンガリーの人形劇場建築および世紀末近代建築
/ 単独 / 1983年
7月30日
~
1983年
8月7日
人形劇場の設計にあたり、日本では本格的な劇場がなかったために、既存に日本の劇場調査後、世界で最大の劇場があるハンガリー・ブタペストの国立人形劇場ALLAMI BABSZINHAZ と、チェコのプラハにあるロートカ中央人形劇場を訪れ、子供専用の座席の構造や人形劇場独自の舞台の床の構造、照明器具やフライタワーの設備の内容について取材し資料を入手した。また世紀末の東欧の特異なアールヌーヴォー建築を訪れた。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社昭和59年4月『レヒネル-エデンの建築』INAX出版平成2年2月『SD』鹿島出版会平成4年7月
ヨーロッパ近代建築調査2:ベルギーのアールヌーボー建築
/ 単独 / 1986年
8月17日
~
1986年
8月18日
ベルギーのブリュッセルに集中的に建設された世紀末のアールヌーヴォーの建築を集中して調査した。ナンシーの有名なアールヌーヴヴォー建築は昭和53年に調査済みである。ブリュッセルではオルタ自邸をはじめリッセルベルヘ、ヴェステルギー、ローゼンブーム、ハンカー、ストゥラウヘンといった建築家の作品ばかりでなく無名の物も含めて調査した。その特徴は石材による駆体と金属の線材による優美な造形にステンドグラスを巧みに融合させた点にある。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ユーゲンシュティールにおける身体像と建築』「造形学研究17号」東京造形大学平成11年3月
ヨーロッパ近代建築調査3:オランダのアムステルダム派の建築の調査
/ 単独 / 1987年
4月22日
~
1987年
4月28日
ドイツ表現主義と密接な関係にあるオランダのアムステルダム派の建築を調査した。主にデ・クレルクやファン・デル・メイの作品を中心にしてアムステルダムやデン・ハーグやオッテルローを訪れた。またアムステルダム派を準備した世紀末のカイペルスやベルラーヘ等の作品も同時に比較調査した。こうした作品の特徴は北ヨーロッパ特有の煉瓦の素材を仕上げをせずに用いて、中世の文化と伝統を近代に再生していることにある。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『れんがと建築』INAX出版昭和63年1月
アジア建築調査3:イスタンブールのモスクの建築
/ 単独 / 1987年
5月6日
~
1987年
5月13日
イスタンブールにおけるモスクの建築を中心にイスラム建築を調査した。約80に及ぶモスクを全て訪れた。代表的なハギヤ・ソフィアやスレイマニユばかりでなく無名のモスクも含めて、その空間と架構と装飾を調べた。また通称トルコ風呂として知られる蒸気風呂の伝統文化の建築も調査し体験もした。またモスクは周辺に学校やバザールを複合した文化施設であり、都市の地勢との関係からその配置について考察した。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『西洋温泉事情』鹿島出版会平成元年12月
ヨーロッパ近代建築調査4:ポルトガルのマヌエリーノ様式の建築
/ 単独 / 1987年
6月2日
~
1987年
6月25日
ポルトガル独自の建築様式といわれるマヌエリーノの建築を調査するためにブラガ、バルセロス、ポルト、アヴェイロ、トマール、バタリャ、アルコバカ、ナザレ、ファティマ、シントラ、リスボンの諸都市を訪れた。そこで15~16世紀にマヌエル1世が大航海の時代に集めた富を背景に絢爛豪華な装飾を配した建築を調査した。特にトマルの修道院やバタリャの未完の教会、そしてリスボンのジェロニモス修道院はヨーロッパに類を見ない独自の建築様式が確認された。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会平成3年8月『A.シーザとポルトガル』日本大学理工学部建築学科講演平成5年6月11日
アジア建築調査4:エジプトのイスラム建築とピラミッド
/ 単独 / 1987年
9月8日
~
1987年
9月15日
カイロを中心にしてエジプト文明の建築を調査した。オールドカイロの建築を始め市内に残るイスラム様式のモスクや城壁といった建築と、エジプト様式といわれる神殿やスフィンクスやピラミッドを訪れた。後者は主にカッサラやギザ周辺のクフやメンカウラーのピラミッドとスフィンクスであるが、その規模と配置を実際に現地で体感し、帰国後、日本の仁徳天皇陵と比較した。またエジプト建築のモチーフが後にヨーロッパのバロック時代に都市や庭園に導入された経緯も、帰国後に検証した。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『イスラム建築』東京造形大学総合科目「イスラム」講義平成15年7月10日
ヨーロッパ近代建築調査5:オランダのデ・スティールの建築の調査
/ 単独 / 1987年
9月30日
~
1987年
10月7日
オランダにおける近代建築の中でアムステルダム派に並ぶ近代建築運動であるデ・スティールの建築を調査した。リートフェルトやドゥーイスブルフ、アウト、ファン・アイクの建築作品を中心にしてアムステルダムたデン・ハーグ、デルフト、ヒルベルスムの都市を訪れて調査した。また彼等を準備したとされるベルラーヘやデュドックの作品も合わせて調査され比較検討された。そしてドイツ近代建築との造形的関係性や歴史的な文献調査を、見地調査後に行った。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ドイツ表現主義の建築』鹿島出版会平成元年6月
アジア建築調査5:インドのブバネシュワールのヒンズー建築の調査
/ 単独 / 1989年
12月29日
~
1990年
1月7日
インドのカルカッタ南部ブバネシュワールは、シカラと呼ばれる搭状の部位が特異なヒンズー建築が30塔ほど集積している都市として知られている。その造形の特徴はフラクタルに同相の造形が多様な縮尺で繰り返されて複雑な造形物を構築していることにある。特にラメスワールやブヴァネスワール、ラジャラニ寺院はその特徴が顕著である。またこの都市近郊には巡礼の聖地となっているプーリーのジャガンナート寺院とコナラークのスーリア寺院を大規模なヒンズー寺院があり、ここも訪れた。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『インド建築の都市と身体』早稲田大学講義平成15年5月9日
ドイツ近代建築調査1:北ドイツ近代建築とバウハウスの建築の調査
/ 単独 / 1990年
5月10日
~
1990年
5月21日
ドイツ近代建築の取材をかねて、論文の資料収集を行いながらドイツの近代建築の調査を行った。北ドイツにおける中世ハンザ都市の煉瓦建築の伝統とモダニズムが融合した事例調和においてハンブルクとリューネブルク、ブレーメン、ヴォルプスヴェーデ、ハノーファーを訪れ、ヘーガーやヘットガーに代表される北ドイツ表現主義の建築を調査した。またその一方で純粋なモダニズムを追求したバウハウスのあったヴァイマールとデッサウを訪れグロピウスの建築を調査した。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『北ドイツ表現主義建築の研究(1)B.ヘットガーとヴォルプスヴェーデ芸術家村』日本建築学会計画系論文集平成2年10月
ドイツ近代建築調査2:ニューヨークのアールデコ様式の建築の調査
/ 単独 / 1990年
7月28日
~
1990年
8月5日
ドイツの表現主義建築が与えた影響は西欧に留まらず、海外にも認められる。中でも当時のニューヨークの一連の摩天楼の建築では、主なものがアールデコ様式であるのにも係わらず、その一部や全体に煉瓦表現主義の影響が認められる。その代表的なものがウエスタン・ユニオン銀行ビルを始めとする煉瓦建築であり、その煉瓦装飾にはドイツと共通のものが認められる。またインテリアや搭状の建築物頂部の構成などのデザインにも共通したモチーフを認めることができる。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『北ドイツ表現主義建築の研究』早稲田大学学位論文平成3年3月
アジア建築調査6:カンボジアのアンコールワットの建築の調査
/ 共同 / 1992年
3月20日
~
1992年
3月28日
東アジアのヒンズーの世界観を建築化した代表的寺院として訪れた。その回廊を同心円状に配置した空間構成はヒンズー世界の宇宙観を体現したものであることが、実際に訪れることによって機能性より形式性を重んじた造りとなっていることから判明した。また周辺に点在する遺跡群であるアンコール・トム、プリヤカーン、タ・プローム、タ・ケウも同時に訪れて空間の比較調査を行った。またチャンパ王国の建築と類似したロリオス遺跡も訪れた。
共同の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『建築文化』彰国社平成4年4月
ドイツ近代建築調査3:ドイツ中世都市の都市空間の調査
/ 単独 / 1992年
4月23日
~
1992年
5月9日
ドイツ近代建築に認められる中世への回帰の傾向の一つとして、田園都市に引用された中世都市の空間構造を調査した。この調査ではリューベック、ハンブルク、ゴスラー、ニュルンベルク、テュービンゲンといった北ドイツから南ドイツに渡るドイツ全土から独特の中世都市空間を現在にまで残存させている都市を選出し、地域独自の建築素材で作られた町屋やその町並み、地勢を生かした都市空間の構造、地域の産業に係わる都市施設などを調査した。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『建築知識』建知出版平成5年1月平成5年2月
ドイツ近代建築調査4:旧東ドイツにおける近代建築
/ 単独 / 1992年
7月28日
~
1992年
9月4日
東西ドイツ統一直後に、旧東ドイツ37都市における近代建築を2ケ月に渡り隈無く調査した。すでに旧西ドイツでは近代建築は誤った修復が行われ本来の姿が喪失した歴史があり、西の資本が入る前の緊急調査を行う必然性のもとで現状調査を主眼に行われた。それまで存在が不明の建築を実際に確認し、西欧に限定さてていた近代建築史を再構成する基礎データを収集した。帰国後、旧共産圏に属した東ドイツの建築文化を中欧文化の中に位置付け、調査研究をまとめた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『東ドイツの近代建築』鹿島出版会平成6年5月『旧東ドイツの近代建築調査報告』講演 日本建築学会関東支部平成6年7月15日
アジア建築調査7:中国石窟寺院の建築の調査
/ 共同 / 1992年
12月2日
~
1992年
12月5日
インドや中国に存在する石窟寺院の一つである華北の大同郊外にある雲岡石窟寺院を訪ねた。全体が四期に別れて建造され、それぞれの時代様式を反映させた彫刻群が確認できる。インドのそれが建築物として彫り出されたのに対して、中国の石窟は磨崖仏中心であり、建築は木造で崖に掛けられるように設営されているのが特徴である。即ちネガの石窟とポジの建築により構成された独特の空間構成について調査を行った。同様に市郊外の懸空寺も訪れ調査を行った。
共同の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『場と空間の復権』慶応大学講義平成9年12月2日
ドイツ近代建築調査5:南部ドイツにおける近代建築
/ 単独 / 1994年
7月23日
~
1994年
8月18日
近代において国際様式あるいは表現主義が席巻したベルリンを中心とした北ドイツに対して、プロイセンとは別の歴史を歩み、近代において統合された南ドイツのバイエルン地方における近代建築に調査を行った。ベルリンが世界都市であるのに対して、地方の伝統を色濃く残したまま近代を迎えたミュンヘンを中心とした近代建築を、伝統や歴史 主義に対するモダニズムの座標軸の中で捉え直し、その実態と文献資料の収集を行った。またアルプスへ至る山岳地帯のバロック建築も同時に訪れた。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『世界美術全集26表現主義と社会派』小学館平成7年4月
アジア建築調査8:ミャンマーにおける仏教遺跡の調査
/ 共同 / 1995年
4月25日
~
1995年
5月7日
上座部の仏教国であるミャンマーを訪れその都市と建築を調査した。特に数千のパゴダが建設されたパガンの街を中心に仏教建築を調査した。パガンではナンダミンヤー寺院、タンブーラ寺院、パヤトンズー寺院、アーナンダー寺院を始めとする遺跡を訪れた。また格子状の街区構成を持つ古都マンダレーや、イギリスの植民地時代のコロニアル都市と伝統的な都市空間が隣接している首都ヤンゴンにおける都市の空間構成を調査し、同時にパゴダや僧院を訪れ、上座部の仏教世界を体験した。
共同の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『親水都市』慶応大学講義平成10年4月28日
ドイツ近代建築調査6:旧ドイツ領シレジア地方における近代建築
/ 単独 / 1995年
8月31日
~
1995年
9月24日
ドイツ移民が多い東欧諸国の中でも、ドイツに隣接するポーランドのシレジア地方には、多大なドイツの影響を受けた近代建築が造られた。その実態を調査するためにポーランドのシレジアの中心都市であるポズナンとブロツワフとグリヴィッツを訪れ、ドイツの近代建築調査を行った。特にドイツで活躍した建築家のペルツィヒの初期の代表的建築作品が初めて確認され、学会で報告した。またこの調査はブロツワフ建築記録保管所の協力のもとで行なわれた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会平成9年7月日本建築学会大会口頭発表平成8年9月、平成9年9月
ドイツ近代建築調査7:イタリアのロンバルディア平原の中世建築調査
/ 単独 / 1996年
6月1日
~
1996年
6月9日
ドイツの表現主義建築の中でも北ドイツでは伝統的な中世の煉瓦建築を引用してモダニズムと融合させた特異な近代建築を生み出した。そのときに同じ煉瓦建築の永い伝統を持つイタリアのロンバルディア地方の建築の職人がドイツに招かれ、その技術が導入された歴史的背景がある。その事例を調査するためにミラノ、ベローナ、ヴィツェンツァ、パドヴァ、ヴェネツィアを訪れ、その中世都市とその建築を調査し、19世紀のドイツ近代建築との比較研究を行った。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『色彩と建築』INAX出版平成8年9月
ドイツ近代建築調査8:ブレスラウ芸術アカデミーに関する調査
/ 単独 / 1996年
10月10日
~
1996年
10月20日
旧西ドイツのキール大学で旧ドイツのブレスラウ芸術アカデミーの研究を行っていたドイツ人研究者との共同研究をハンブルクで行った。これはドイツ表現主義建築家であるペルツィヒがブレスラウ芸術アカデミーの学長を務めて、バウハウスに先だって近代デザイン教育を行った歴史に関するものである。またそれに伴い文献調査を中心にし、ドイツ表現主義の建築家と言われるヴェンツェル・ハブリック資料館も訪れ、その学芸員との会議を行った。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会平成9年9月
ヨーロッパ近代建築調査6:バルカン半島の都市空間の調査
/ 単独 / 1997年
6月6日
~
1997年
6月16日
ヨーロッパの建築の歴史の起源とも言えるギリシャ建築はドイツ近代建築においても、そのプロポーションが継承されて時代の背後を支配した。その代表的なギリシャ建築であるパルテノン神殿やゼウス神殿を訪ね、また近代劇場が回帰したディオニュソス円形劇場や古代コリントの円形劇場を訪ね、その空間のプロポーションを体験調査した。またアテネのキクラデス博物館で学んだ後、エーゲ海のミコノス島とサントリーニ島の地中海の白い集落を訪れ、その路地の空間を調査した。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『劇場建築の空間』東京造形大学講義平成12年10月10日
ドイツ近代建築調査9:ドイツ田園都市とチェコズデーテン地方の資料調査
/ 単独 / 1998年
9月1日
~
1998年
9月19日
20世紀初頭にドイツとイギリスを中心にヨーロッパで独自の展開を見せた田園都市の研究論文のための現地調査を目的にベルリンのシュターケンとエルゼングルンド、ドレンスデンのヘレラウとマルガそしてカールスルーエ、フライブルク、シュトラスブルクおよびスイスのバーゼルのゲーテアヌムを訪れ、世紀末から20世紀初頭に建設された田園都市や宗教都市等を調査した。また次年度に計画されたチェコの旧ドイツ領に関する資料調査をミュンヘンの「ズデーテン・ドイツハウス・ミュンヘン」で行った。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ドイツ田園都市の研究(2)』「東京造形大学研究報2号」東京造形大学平成13年3月
ドイツ近代建築調査10:旧ドイツ領ズデーテン地方のドイツ近代建築の調査
/ 単独 / 1999年
8月4日
~
1999年
9月15日
ドイツ移民が多い東欧諸国の中でも、ドイツに隣接するチェコのズデーテン地方には、中世からのドイツ移民の歴史があり、多大なドイツの影響を受けた近代建築が造られてきた。その実態を調査するためにチェコのオストラヴァとブルノとプラハとピルゼンを基点とし、オパヴァ、ズリン、オロモウツ、ズノイモ、ハルデック、クラロヴェ、パラドィヴィッツ、ドマツリッツェといった諸都市を訪れドイツ系近代建築を中心に調査し、博物館等で資料収集にあたった。また同時にチェコの近代建築であるキュビズムの建築も訪れた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『新建築』新建築社平成12年2月
ドイツ近代建築調査11:ブルーノ・タウトの近代建築の調査
/ 単独 / 2000年
6月16日
~
2000年
7月2日
ドイツと日本で活躍した近代建築家ブルーノ・タウトの建築の調査を行った。ベルリンの芸術アカデミー、ドイツ工作連盟のギャラリー、アーヘン工科大学教授シュパイデル博士、ノイエス・ムゼウムの建築展、住宅供給公社ゲハーグ本社を訪れ、タウトの設計図や絵画やモデルの調査を行った。またベルリンを中心にタウトの建築作品を訪れ、タウトの建築を修復しているドイツ人建築家から話を伺い、彼の案内で最近修復したばかりのダーレヴィッツのタウトの自邸を訪れて説明を受けた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ドイツ表現主義建築の研究(13)』「日本建築学会学術梗概集F-2」日本建築学会平成14年9月
ドイツ近代建築調査12:北欧バルト諸国における近代建築
/ 単独 / 2001年
8月1日
~
2001年
8月29日
19世紀末にドイツに多大な影響を及ぼした北欧に展開したナショナルロマンチシズムの建築を調査するためにフィンランドのヘルシンキ、ヴァンター、オタニエミ、タンペレ、プロヴォーの諸都市を訪れ、サーリネンやソンクやアールトの建築を調査した。またハンザ都市の点在したバルト諸国の内、エストニアのタリンとラトビアのリーガを訪れ、ドイツ中世都市と酷似した旧市街と、その煉瓦建築の伝統を生かした近代建築の現地調査を行い、ドイツ系の文献資料を収集した。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ドイツ田園都市の研究(8)』「東京造形大学研究報5号」東京造形大学平成16年3月
ヨーロッパ近代建築調査7:ルーマニアにおける近代建築
/ 単独 / 2003年
10月12日
~
2003年
10月29日
東欧にあって唯一のラテン民族の国家であるルーマニアにおける近代建築を調査した。首都ブカレストの近代建築では、その特徴であるフランスのボザールとナショナリズムから引用されたビザンチン建築のルントボーゲン様式の融合した30年代の建築を中心に調査を行った。また東部のティミショアラやオラデアやアラドといったトランシルバニア地方の諸都市では、隣接するハンガリーの世紀末および近代建築様式であるレヒネル派のアールヌーボー建築から強い影響を受けた近代建築を調査した。
単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
探検ロマン世界遺産「トランシルバニア要塞教会」NHK総合テレビ平成18年10月7日
アジア建築調査9:ネパールにおけるヒンズー都市の調査
/ 共同 / 2004年
2月26日
~
2004年
3月10日
インドのジャイプールとネパールのカトマンズはマナサラと言われるヒンズー建築の都市計画手法に準じて格子状の都市構造を持つことが知られている。本調査はそれが旧街道と重なり合うことによって生じる空間の豊さについて現地調査した。また都市の公共の縁側であるダルマシャラに内、カトマンズではマンダプという建築物を、またバクタプルではサッタールとパティと呼ばれる公共空間に着目し、都市のコミュニティを誘発する公共空間について調査を行った。共同の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ネパールの巡礼空間とパティ』東京造形大学講義平成16年5月25日
アジア建築調査10:中国における地下住居の調査
/ 共同 / 2005年
2月13日
~
2005年
2月20日
近代化が進められている中国にあっては古い街や建築が次々と解体されている。こうした状況の中で、黄土高原に貧しい農家が造った地下住居ヤオトンは、新世代の若者に嫌われて廃墟と化し消失しつつある。こうしたヤオトンを西安周辺の中国に訪ねて調査し、その空間を体験してきた。またこうした中国文化の関連として中国三大石窟の一つである龍門を訪れて見学も行った。共同の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
「中国ヤオトン展」東京造形大学ラウンジ平成17年5月16日~5月21日
ドイツ近代建築調査13:ドイツ記念碑建築の調査
/ 単独 / 2005年
4月27日
~
2005年
5月9日
19世紀末に多数建設された記念碑を調査した。ハンブルクやベルリンを中心にビスマルク記念碑を調査し文献を収集した。またアイゼナハでは修復されたばかりのブルシェンシャフト記念碑を訪れ詳しい説明を受けた。ライプチヒでは諸国民戦勝記念碑、レーゲンスブルクでは解放記念碑とヴァルハラを訪れ、最後にミュンヘンの初期のビスマルク記念碑を調査した。また調査の過程でドレスデン工科大学の調査研究グループと遭遇し親交を深め今後の調査の進展を打ち合わせた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
日本建築学会大会口頭発表 平成18年9月
アジア建築調査11:トルコにおける伝統的建築の調査
/ 共同 / 2006年
2月10日
~
2006年
2月16日
トルコの伝統的な建築として大きく二つを調査した。一つはサフランボルの街を中心として残る伝統的木造住宅の建築である。傾斜地にテラスを張り出したデザインとホールを持つ住空間は独特のものである。またモスクを中心とする寺院建築はスィナンのブルーモスクやスレイマニエモスクを始め前中庭との空間の関係を現地で再確認した。こうした石造建築の内部空間の原形としてカッパドキアの石窟寺院を見学して、インテリア空間と外観のあり方を検証した。共同の調査研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
「トルコの木造住宅展」東京造形大学ラウンジ 平成18年7月11日~7月15日「トルコのモスク建築展」東京造形大学ラウンジ 平成18年10月2日~10月14日
ドイツ近代建築調査14:トルコにおけるドイツ近代建築の調査
/ 単独 / 2006年
2月17日
~
2006年
2月24日
19世紀からの友好国であったトルコの近代化にはドイツの近代建築家が多数参加して多くの建築を残している。19世紀末にはヴィルヘルム皇帝が訪れて寄贈した噴水や、あるいはオリエント急行の始発駅である駅舎と機関車などの鉄道施設を調査した。また20世紀に入るとマリチン・ワーグナーやブルーノ・タウトといった建築家がイスタンブールを中心にトルコ建築の近代化に大きな役割を果たした。そうした彼等の作品を調査した。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
「ブルーノ・タウト展」ワタリウム美術館平成19年2月3日~5月27日日本建築学会関東支部 平成19年3月9日
ドイツ近代建築調査15:イギリスの田園都市の調査
/ 単独 / 2006年
4月23日
~
2006年
5月4日
ドイツの田園都市が模範としたといわれるイギリスの田園都市を調査した。レッチワースとハムステッドとウエルウィンの田園都市ばかりでなく、当時の田園都市を受け入れた土壌を生み出した風景式自然庭園も調査した。チズウイック、ラウシャム、ハンプトンコートなどの庭園やキューガーデンの温室とオックスフォードの自然史博物館を訪れた。また美術館ではターナーやコンスタンブルを始めとする風景画の作品を見学し、19世紀のイギリスの自然思考を総合的に学んだ。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
「イギリス清教徒革命と風景式庭園」早稲田大学講義 平成19年4月20日
アジア建築調査12:沖縄における風水建築の調査
/ 共同 / 2006年
9月4日
~
2006年
9月6日
中国では多数認められる風水の建築は、日本では沖縄に顕著である。大陸文化との関係を考える場合に沖縄の建築はその中間に位置しており、中国の調査とともに不可欠となる。今回は名護市中心部の丘の上に設けられた墓地から風水の形式を純粋に継承しているものを中心に調査した。またクグスと呼ばれる座喜味や中城や首里といった城跡や、東御廻りと呼ばれるアニミズム的聖地を訪れ、沖縄独自の文化と風水との関係を調査した。共同の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
未発表
ドイツ近代建築調査16:ドイツ田園都市の調査
/ 単独 / 2006年
11月7日
~
2006年
12月1日
ドイツの近代化の過程で墓地では土葬から火葬に変化した。その結果薄暗い教会墓地から明るい都市公園としての墓地へと大きく変化するのが近代都市の特徴である。その実例をハンブルクのオールスドルフに訪ねて調査と資料収集を行った。この公園墓地の設計は当時の都市計画の部門で行われていた経緯から、都市計画と墓地設計には密接な関係を指摘できる。この延長に田園都市の意味を模索するためにこの調査が行われた。単独の調査、研究。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
未発表
【翻訳】
『表現主義の建築』上下巻 W.ペーント著
/ 単独 / 1988年
10月
1960年代から再評価され始めた表現主義という近代建築の時代表現を、初めて体系的に記述し客観的な評価を与えた最初の本。現在も近代建築評論家の第一人者であるペーントの代表的本である。その特徴はドイツに顕著であった表現主義を再定義して19世紀の前史から20世紀の30年代にかけて、ドイツに留まらず広くヨーロッパで認められた表現主義の建築の現象を漏らさず言及して体系付けたところにある。現在においてもドイツ近代建築を学ぶ上で必読書と評価されている。総頁数424 頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
鹿島出版会
『新しい建築文化を目指して』M.シュパイデル著
/ 単独 / 1988年
12月
オランダに建設された銀行の本社ビルに関する論文である。この事務所ビルは既往の四角い外観を放棄して、不定形の平面で有機的に中庭を取り囲むような配置と、採光と空気の循環と視線の拡散をうながす搭状の階段室を特徴とした独特の外観を呈している。筆者はこの建築にルドルフ・シュタイナーの人智学の建築との類似性を指摘しながら、一方で近代オフィスビルのもう一つのあり方として、環境と人間生活における労働を新たな視座で捕らえ直した次世代の建築であると評価している。翻訳頁は10頁から13頁までの総頁数4頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』 エー・アンド・ユー社
『エッセンのオペラハウス』H.ダイルマン著
/ 単独 / 1989年
3月
ドイツの建設された劇場建築に関する論文である。この劇場は北欧のナショナリズムの近代建築家として有名なアルヴァ・アアルトが生前に設計し、死後ドイツの建築家がその意思を引き次いで設計、建設された問題の劇場建築であった。即ち近代から現代へ、フィンランドからドイツへの建築を媒体とした歴史と文化の橋渡しを担ったものとして論じている。即ち建築を建設し実現していくそのプロセス自体の社会的意味と、それに係わったアアルトの遺族やドイツの建築家個人の意味を問いかけ、建築芸術の意義をのべた論文。翻訳頁は47頁から55頁までの総頁数9頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』エー・アンド・ユー社
『調和と反逆の間にたつ建築』J.タボア著
/ 単独 / 1990年
3月
本論文はヨーロッパの建築文化の中で埋没し、その独自性が注目されてこなかったオーストリアの現代建築の特徴について論じている。オーストリアはワーグナーやプレチュニクを始め世紀末の歴史を担う建築家を多数輩出した歴史があることを論じ、その一方で現代の建築家がその呪縛から逃れるように歴史的文脈を断った自由で多様な表現を求めている事実を指摘した。そしてその独自性として表層的なデザインではなく、ディテールと外観デザインの双方から空間を創造していく姿勢に求めた。翻訳頁は6頁から8頁までの総頁数3頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『ブルーノ・タウト再発見、壁の崩壊によって甦ったタウトの建築』M.シュパイデル著
/ 単独 / 1993年
11月
ドイツ表現主義建築家と言われるブルーノ・タウトの建築作品が東西ドイツ統一によって初めて再確認されたことに関する論文である。旧東ドイツのドレスデンに近いゼンフテンベルクの町でタウトは弟マックスと幾つかの建築を設計していたことが知られていたが、統一後の調査によってタウトが日本へ亡命する直前にスケッチを残こした学校が再発見された。その都市を意識した配置計画や、タウト独自の内部空間のデザインなどから、この建築をタウトの作品歴の中に位置付け再評価した論文。翻訳頁は61頁から69頁までの総頁数9頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『公共建築の威厳、ゴットフリート・ベームと彼の息子たちの建築』W.ペーント著
/ 単独 / 1994年
9月
本論文はドイツの代表的建築家ゴットフリート・ベームとその3人の建築家となった息子達が最近取り組んだ建築作品に関して分析したものである。本論文の特徴はインスティテューションという概念から論じた点にある。即ち日本語では制度と公共施設の両方の意味を内包したこの語から、ベームの建築作品が社会制度の中で公共建築としての新たな表現を獲得したことを指摘し、その一方でこれまでの公共建築が国家や都市の制度の反映であったことを批判した。翻訳頁は33頁から44頁までの総頁数9頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』エー・アンド・ユー社
『ドイツの現代建築の動向』 C.ファイライス著
/ 単独 / 1995年
3月
本論文は現代ドイツの建築の状況を分析したものである。ほとんど無名の建築家も含めて現代における建築のあり方を模索する多様な姿を浮き彫りにした。即ち環境建築系としてはフライブルクの建築家や、一律の合理主義表現を批判したケルンの建築家、地域主義の文脈を再評価したミュンヘンの建築家等、それまで周縁に位置付けされていた新しい次世代の建築家達に焦点をあてて、総合的に語ることによってドイツの現代の断面を浮き彫りにし、建築の可能性を論じたもの。翻訳頁は132頁から139頁までの総頁数18頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『世界の建築家581人』 TOTO出版
『色彩と光-ブルーノ・タウトの絵画作品について』M.シュパイデル著
/ 単独 / 1996年
6月
建築家タウトが多数の水彩画を残していた事実が判明し、彼の建築作品を色彩という新たな視点から解釈して新たなタウト像を論じたもの。北ドイツの風景画ながら、まずそこに正方形といった調和の取れた幾何学の構図が仕組まれていることを指摘した。こうしたタウトの自然風景画によって初めて彼の建築作品の色彩世界が解釈された。即ち色彩と光の関係を世紀末の神秘主義思想から説明し、タウトの代表作品である「ガラスのパヴィリオン」や「ガラスの積木」や「第二の自邸」のインテリアの色彩等が初めて系統立てて説明され、日本に彼が設計した日向邸がその延長線上に位置付けられた。翻訳頁は42頁から60頁までの総数19頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『ブルーノ・タウト1880-1938』トレヴィル社
『感覚を通しての認識、ピーター・ズント-の作品にふれて』M.シュタインマン著
/ 単独 / 1997年
1月
独自の世界観を持つ現代建築家の一人であるピーター・ズントーを初めて日本に紹介するために書かれた論文。イギリスで学びながらスイスの郊外で独自の建築を造り続けてきたズントーの体系的評論でもある。素材を非常に大切にしたその建築には彼の詩的世界が反映され、合理主義や機能主義とは異なった世界観が認められる。即ち彼の中に身体化された記憶を自然環境の中に再生し、新たな風景を創出するという、個人に根差した世界観から社会を環境を再構築していくのだ。その媒体として建築を位置付けて、もう一つの建築のあり方の可能性を提示している。翻訳頁は89頁から91頁までの総頁数3頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『a+u』エー・アンド・ユー社
『ブルーノ・タウトの幻の田園都市ポーランドのカトヴィッツに建設された労働者コロニー』M.シュパイデル著
/ 単独 / 1997年
5月
本論文はドイツの表現主義建築家であるB.タウトの遺族に残された図面の中にまだ確認されていない集合住宅を資料をもとにポーランドで発見し、その建築がタウトのものであることを確認し、その空間分析を行ったものだ。ポーランドのシレジア地方はかつてドイツ領であったためにドイツ近代建築が多数建設されたが、その一つの事例としてタウトの炭鉱労働者住宅も位置付けられる。その外壁のデザインは、タウトがコンスタンチノープル友好会館の設計競技で見せた独特な装飾デザインと共通するものと評価した。またタウトの空白時代を埋める貴重な作品として彼の歴史を書き改めた。翻訳頁は105頁から108頁までの総頁数4頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『マックス・ベルクのブレスラウ構想建築プロジェクト』J.イルコシュ著
/ 単独 / 1997年
7月
旧ドイツ領の中でも、ポーランドのシレジア地方の首都であるブレスラウは、当時のヨーロッパにおいても近代建築の中心地であり、多くの高層建築が計画された。その資料を現在管理する著者は、当時の都市建築監督官であるマックス・ベルクがイギリスで学んだ都市計画手法を援用してブレスラウの都市計画の一貫として提案したプロジェクトを総合的に俯観し、その概要と都市空間的な解析および評価を総合的に行ったものである。そしてそれが当時の最先端の都市計画の事例であったことを示した。翻訳頁は99頁から100頁までの総頁数2頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『ブレスラウ芸術工芸アカデミ-』 P.ヘルシャー著
/ 単独 / 1997年
9月
本論文は、特に建築家ハンス・ペルツィヒが校長を務めたブレスラウ美術工芸アカデミーの実態について学位論文として筆者が執筆したものの要約である。即ち旧ドイツ領の中でも、ポーランドのシレジア地方の首都であるブレスラウは、当時のヨーロッパにおいても近代工芸教育の中心地であり、1919年にバウハウスが設立される以前から総合芸術教育が取り組まれた。ゴーセンの彫金やヴィスリツェヌスのテキスタイルやヴィネッキの什器などを建築家のペルツィヒが統合する形で近代工芸への道を切り開いた歴史を詳述した。翻訳頁は93頁から100頁までの総頁数8頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『表現主義者マックス・ベルクのインスピレーション、<世紀のホール>の造形理念』J.イルコシュ著
/ 単独 / 1997年
12月
旧ドイツ領の中でも、ポーランドのシレジア地方の首都であるブレスラウは、当時のヨーロッパにおいても近代建築の中心地であり、1813年にフランス軍に勝利したライプチヒの戦いの百周年として計画された当時の鉄筋コンクリート造では最大のドーム建築であるブレスラウの「世紀のホール」が建設された。本論は設計者であるマックス・ベルクの思想や建設の経緯、そのホールの空間の分析、また竣工時のハウプトマンによる祝祭劇の背景などを残された資料を基に論じたものである。翻訳頁は89頁から90頁までの総頁数2頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『建築に関する書物に関する覚書』M.シュタファー著
/ 単独 / 1998年
2月
本論文はヨーロッパの建築文化の中で埋没し、その独自性が注目されてこなかったスイスの近代建築について論じたものである。スイスの建築ジャーナリズムを代表とする雑誌『アルキテーゼ』の書物の歴史を辿ることにより、結果としてスイスの建築の社会的背景からその歴史を辿り、その本質を解き明かそうとした。即ち、ヨーロッパで席巻したインターナショナルスタイルの建築を純粋な形で受け入れながら、多様かつ独自な表現を獲得した現代スイス建築の状況を説明した。翻訳頁は91頁から92頁までの総頁数2頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『SD』鹿島出版会
『都市はメディアである』F.キットラー著
/ 単独 / 1998年
5月
本論文はキットラーの主張する、メディアという概念をもとに都市の本質を提示したものである。これまでの都市に関する分析が地勢や歴史や産業などから行われていたことに対して、キットラーは現代社会を象徴とするメディアの視座から都市を解析した。それは道路や交差点を電子回路に見立て、倉庫をメモリーに例えるなど、メディアと都市をアナロジカルに対比させて、それまでの手法では読み取れない都市の本質を探求したものである。翻訳頁は78頁から87頁までの総頁数10頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『10+1:メディア都市の地勢学』 INAX出版
『パリ植民地博覧会、オリエンタリズムの欲望と表象』P.モルトン著
/ 単独 / 2002年
9月
本書はこれまで取り上げられることのなかった1931年のパリ万国植民地博覧会を素材にして、その計画された経緯から敷地の選定の過程、さらに敷地の配置計画や建築のデザインにまで詳述したものである。本書の特徴はサイードの唱えたオリエンタリズムの思想が空間として表現されていることを指摘したことにある。即ち進化論に基づいた植民地のパヴィリオンの配列や、西欧にとって最も野蛮らしく見えるパヴィリオンのデザインにおいてである。さらに当時のシュールレアリズムの反植民地博覧会運動から、モダニズムとオリエンタリズムの境界が曖昧であることを指摘して、近代建築の再定義を迫っている。総頁数373 頁
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
ブリュッケ
『ブルーノ・タウト-私は日本文化を愛する』M.シュパイデル著
/ 単独 / 2004年
3月
ドイツの近代建築家ブルーノ・タウトが日本へ政治亡命し、後にイスタンブールへ行った歴史的経緯を述べながら、わずか二年余の日本滞在にタウトが外国人として日本文化をいかに解釈して日本に影響を与えたかを詳述し、タウトというドイツ人建築家の眼差しから捉えられた表象としての日本の姿を論じている。例えば桂離宮は、伊勢神宮や日光東照宮と比較され、タウトによって日本で初めて評価された。こうした日本文化の再評価は当時の日本国内での評価と齟齬をきたし、結果として新たな日本文化像が生み出された。こうしたまれびととしての外国人による日本への影響を建築家という事例で説明した。翻訳頁は161頁から178頁までの総数18頁。
【発行所,発表雑誌/学会等の名称】
『表象としての日本-西洋人の見た日本文化』財団法人放送大学教育振興会