東京造形大学 Webサイト

お知らせ+ニュース詳細

2012年度卒業式 諏訪学長による式辞


 本日ここに学位を授与された学部卒業生の皆さん、ならびに大学院修了生の皆さん、教職員を代表し心からお祝いを申し上げます。おめでとうございます。また、これまで卒業生と修了生を支えてくださいました、ご家族ならびに保護者の皆様方、その他ご関係の皆様方にも、心からお慶びを申し上げますとともに、これまでのご支援に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

 さて、卒業生、修了生の皆さんは、本学において様々な形で学修を続けて来られたことと思います。これからの進路もまた、様々でしょう。それぞれの進路は違っても、新たな一歩を踏み出す節目の時期であることに変わりはありません。皆さんの多くは、これから大学という場を離れて現実という社会に旅立っていくことになります。これから皆さんが歩んでいく道は、決して平坦なものではないと思います。現実の社会には大小様々な対立や矛盾があるものです。いま皆さんは、大きな希望とともに同じくらいの不安を抱えているかもしれません。これまで大学という組織に守られながら学んできたことが、果たして現実の社会の中で通用するのだろうか、自分の考えをこの先貫いて行くことができるのだろうか。ひとりひとりが抱えている問いや不安もまた様々だろうと思います。しかし、対立や矛盾を抱えたところにこそ、皆さんがデザインや美術をとおして学んできた柔軟な発想力や、皆さんが身に付けてきた実践していく力こそが必要なのだということだけは確かだと思います。どうかそのことを忘れずに、これからのそれぞれの道を切り開いていってください。
 今日は、皆さんへエールを送る意味を込めて、皆さんが抱えているかもしれない問いや不安に対して、幾つかの視点からお話しさせていただこうと思います。

 まず、本学の建学の精神からお話しさせていただきます。

 本学の創立者桑沢洋子先生は、次のような言葉を残しています。
 「デザインおよび美術の意味は、単なる自己表現というより、社会に責任をとる表現であり、デザイナーや美術家は、現代の社会や産業がはらむ矛盾を解明する文明的な使命をもたければなりません。」
 本学創立2年目にあたる1967年の大学案内に掲載されたこの言葉は、社会や時代が大きく変化している現在、改めてデザイナーや美術家の社会的使命の重要性を私たちに問いかけています。私たち東京造形大学は、この言葉に代表される創立者の教育思想を継承し、デザインや美術の創作活動を広く社会との関係から捉える教育を行ってきましたが、平成24年度に建学の精神をシンプルな一文に要約することに取り組み、「社会をつくり出す創造的な造形活動の探究と実践」を建学の精神としました。「社会をつくり出す創造的な造形活動の探究と実践」。ここで言う「社会をつくり出す」とはどのようなことでしょうか。ひとつは、社会とは誰かによってつくられたものではなく、そこにいるすべての個人によってつくられているのだという参加意識を持って欲しいということです。もうひとつは、社会とはそれを構成している人々の意識や行動によって日々更新され、日々つくりだされるものだという認識を持とうということです。皆さん、どうかいまここで、皆さんのこれからの意識や活動によって、これからの社会がつくり出されていくのだというイメージを改めて思い描いてみてください。

 少し、私の経験から話を続けさせていただきます。私は20代の後半から30代をとおして、現代美術の領域において、作品を制作し発表する活動を行っていました。私が、自分が表現することの意味を実感できるようになったのは、大学時代に学んだことからではなく、現実の社会環境の中での活動をとおして身を持って感じたことや、そこで出会った人々との関係をとおしてでした。私は発表活動を重ねる中で、当時の美術表現の現場にあった様々な矛盾を実感しました。しかし同時に、幸運にも同じような矛盾を感じている同世代の人たちと出会い、問題意識を共有することができたのです。その後私は、そうした人たちとの交流を深め、自分たちの疑問意識に基づいた、自主企画展という活動に参画するようになりました。当時、私たちの実験的な活動を理解してくださる方たちは多くはありませんでしたが、私がいまここに立っていられるのは、この時期に時代や社会の動きに確かに接触したという実感を持つことが出来たからだと思っています。
 ひとりの個人が時代や社会に対して、本当の実感というものを感じるのは、大学を出て、現実の社会に向き合うことを強いられてからだと思います。現実の社会の中で、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしているうちに、そこに存在している矛盾に遭遇することになるわけです。そして、それに向き合うことができれば、時代や社会が抱えている課題に気付いていくはずですし、それにともなって個人の意識もかえって明確になっていくのだと思います。その中で、皆さんが個人の問題として感じていたことが、実はそうではなく、同じような問題を感じている人が少なからずいるということに気付くことができれば、皆さんの活動は時代や社会のものとなるはずです。皆さん自身が、本当の意味で自分を見つけ出し、生き方を見つけていくのは、実はこれからなのだと思います。皆さんそれぞれが、どんなところで生きていくにしても、大学で学んだことを手がかりにして、どうか現実の社会とそこに埋もれている課題に向き合っていく勇気をもっていただきたいと願っています。

 私が現代美術の領域で活動していた時期に、影響を受けた考え方があります。ジャン・ボードリャールというフランスの思想家の考え方です。ボードリャールは、1970代に、現代の消費社会の構造を独自の視点から読み解いた著作を著し、その考え方は多くのクリエイターに影響を与えました。ボードリャールは、現代の社会においては生産という概念はもはや無効であり、社会はすべて再生産によって動いていると指摘しました。いわゆるシミュレーションという概念を用いて、現代社会の状況を刺激的に浮かび上がらせたのです。当時は、東西冷戦と言われた時代でした。世界地図が社会主義陣営と資本主義陣営に、赤と青で塗り分けられていた時代であり、アメリカとソ連が、使うことのない膨大な核ミサイルの量で覇権を争うといった時代でした。そうした中で、世界は現実によってではなく、現実から遊離した抽象量の交換によって成り立っているというボードリャールの指摘は、私と同世代の多くの欧米の美術家の心をとらえ、80年代のアートシーンを席巻するシミュレーション・アートという動向を生み出したのです。80年代前半は、日本の社会がバブル経済に突入する時期でもあり、ボードリャールが描いた世界像は、まさに当時の日本社会そのものでした。しかし80年代末から、世界は劇的な変化を迎えました。89年に東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が市民によって壊され、91年には図らずもボードリャールたちが指摘していた人々の欲望によって、ソビエト連邦は解体したのです。こうして私たちは、東西冷戦という抽象的な概念に基づく世界像に代わって、民族紛争という生々しい現実を目の当たりにすることになったのです。その後、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロも、それまでの私たちの世界観を一掃する事件でした。ボードリャールは、その晩年に、こうした世界の大きな変動にコメントする著述を残しましたが、その内容はいよいよ難解なものになっていったと私は感じています。時代は大きく移り変わったのです。日本においても、オウム真理教事件や東日本大震災は、ついつい抽象的になりがちな私たちの物事の捉え方や世界観を、大きく揺さぶる出来事であったと言えます。

 いま、デザイナーや美術家に求められているのは、一つの体系的な観念や整合性にとらわれることではないと思います。時代と社会は変化していくものですから、物事の捉え方も変化していかなくてはなりません。目の前に広がっている世界をしっかりと観察し、その変化を敏感に受け止めていく感性を持続していくことこそ、大事なのではないでしょうか。また、デザイナーや美術家に限らず、社会を構成するひとりひとりが、日常の生活の中で時代の変化の声に耳を澄ませていくことが大切なのだと思います。
 皆さんはすでに、時代や社会の変化を、呼吸しながら生きています。社会の中で何がどのように進行しているのかといったことについては、私たちではなく、若く瑞々しい感性を持った皆さんこそが誰よりも敏感に察知し、反応しているのだと思います。いま皆さんそれぞれが、日常で感じている感覚や違和感、疑問を、どうか手放さずに育てていってください。その中にこそ、10年後20年後の社会をつくり出すもとが潜んでいるはずだからです。

 皆さんひとりひとりの、これからの人生が、幸運と多くの人々との出会いにあふれたものとなりますよう祈っています。


2014年3月24日
東京造形大学学長 有吉 徹