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講演「会津若松―≪田園都市≫としての明日」開催のお知らせ

本学では、東日本大震災復興支援活動の一環として、会津若松市内での連続講演を行なっています。
2回目となる今回は、長谷川堯 客員教授による講演「会津若松―≪田園都市≫としての明日」を開催いたします。

講演タイトル :会津若松―≪田園都市≫としての明日
講 演 者 :長谷川 堯(本学客員教授)
講演日時 :2013年6月1日(土)14:00〜16:30
講演場所 :会津稽古堂 研修室5,6
      (〒965-0871 福島県会津若松市栄町3番50号)
※入場無料

主 催 :東京造形大学
共 催 :会津さざえ堂を愛する会
後 援 :会津若松市教育委員会
連絡先 :目黒方 0242-28-4245

詳細PDF【1.64MB】




【田園都市】田園の情趣を備えている都市。また、大都市近郊の田園地帯に計画的に建設された都市。(岩波書店「広辞苑」より)

日本で、≪田園都市≫という言葉が使われる時には、上出の辞書の記述がはっきりと示しているように、住んでいる人たちが、そこにあるゆたかな緑の空間を日常的に楽しみ、また広い敷地の中の住家で庭いじりにいそしんだりし、さらにはあらゆる場所に溢れている新鮮で清浄な空気や水を、毎日満喫しながら、明るく平穏に暮らすことができる都市環境、といったものをイメージして云われることが多いように思われる。あるいはまた、大都市の郊外に、大都市の中心部の環境の混乱を少しでも和らげるために、そうした田園的な雰囲気がいたるところに漂っており、ファミリーが安全に健康的に暮らすことができる郊外住宅地(いわゆるベッドタウン)を造る時などにも、新しい≪田園都市≫の建設、といった言葉が使われたりもする。このように私たちは、≪田園都市≫という言葉を通して、辞書にあるような、「田園の情趣を備えている」都市環境のことを指すと単純に考えがちだが、実はそこには、この言葉を理解する上での、大きな欠落部分があることに、案外気づかれていない。
≪田園都市≫という言葉は、英語の「ガーデン・シティGarden City」 の訳語だが、元々は、19世紀から20世紀へと移り変ろうとするちょうどその頃の英国で、エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard 1850―1928)が、『明日の田園都市』と題した一冊の本を世に問い、近代社会における『ガーデン・シティ』の大いなる可能性を主張したことに由来している。重要なのは、ハワードが提唱した『田園都市』は、自然の中にただただ埋没した、牧歌的で、のんびりした都市の建設を提唱しようとしていた、という訳では決してなかったことなのだ。ハワードは、ヴィクトリア朝末期のロンドンに見られたような、産業力の大都市集中化によって必然的に引き起こされた、大都市における人口の異常な膨張と、それに伴う都市環境の悪化という現象を前に、それを根源的に解決する、非常に優れた方策として、『ガーデン・シティ』を、提唱した。つまり、大都市への生産手段と雇用機会の集中を解消し、弊害の多い権力の一極集中状態から、社会を脱出させようとした。その意味では、牧歌的どころか、きわめて経済的で、また同時に、きわめて政治的な提案であった。
江戸幕府から明治新政権に国家権力が移行していく中で、新たな中央政権への権力の集中を計ろうとする勢力に対して、白虎隊の活動などを通して異議を唱えた歴史を持つ会津若松の、21世紀における都市像を考える時に、本来の≪田園都市≫の思想と、それを実現するためにハワードが実際に行った田園都市建設が、何を教えようとしていたかを、具体的に考えてみたいと思う。