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2013年度入学式 諏訪学長による式辞

 460名の学部入学生、ならびに53名の大学院入学生、11名の編入学生、1名の再入学生の皆さん、入学おめでとうございます。新しく東京造形大学の一員となられた皆さんを、私たちは心から歓迎いたします。また、ご家族ならびに関係者のみなさまにも、心よりお祝い申し上げます。

 新入生のみなさん。今、私はこうして壇上からみなさんに語りかけていますが、三十三年前、私は今のみなさんと同じように東京造形大学の入学式に臨んでいました。本日は、学長というよりひとりの卒業生として、私が学生時代に体験したことを少しお話ししてみたいと思います。

 私は高校生のときに一台のカメラを手に入れました。現在のようなデジタルビデオではなく、8ミリフィルムを使用する映画カメラです。そのカメラで、自分の身の周りのものを撮影するようになると、自然に自分の表現として映画を作りたいと思うようになりました。映画館で上映されているような大掛かりな映画ではなくて、絵画のように自由に表現するささやかな映画を作りたいと思い、私は東京造形大学に進学しました。入学式に臨んでいた私は、高揚し、希望に溢れていたと思います。

 しかし、大学での生活が始まると、大学で学ぶことに対する希望は、他のものに取って替わりました。地方から東京に出てきた私は、時間があるとあちこちの映画館を飛び回り、それまで見ることができなかった映画を見ていましたが、そこで偶然に出会った人たちの映画づくりをスタッフとして手伝うようになりました。まだインディペンデントという言葉もなかった時代、出会った彼らは無名の作家たちで、資金もありませんでしたが、本気で映画を作っていました。彼らは、大学という場所を飛び出し、誰にも守られることなく、路上で、自分たちの映画を真剣に追求していました。私はその熱気にすっかり巻き込まれ、彼らとともに映画づくりに携わることに大きな充実感と刺激を感じました。それは大学では得られない体験で、私は次第に大学に対する期待を失っていきました。大学の授業で制作される映画は、大学という小さな世界の中の出来事でしかなく、厳しい現実社会の批評に曝されることもない、何か生温い遊戯のように思えたのです。
 気がつくと私は大学を休学し、数十本の映画の助監督を経験していました。最初は右も左も判らなかったのですが、現場での経験を重ね、やがて、半ばプロフェッショナルとして仕事ができるようになっている自分を発見し、そのことに満足でした。そして、大学をやめようと思いました。もはや大学で学ぶことなどないように思えたのです。
私は大学の外、現実の社会の中で学ぶことを選ぼうとしていました。

 そんなとき、私はふと大学に戻り、初めて自分の映画を作ってみました。自信はありました。同級生たちに比べ、私には多くの経験がありましたから。
しかし、その経験に基づいて作られた私の作品は惨憺たる出来でした。大学の友人からもまったく評価されませんでした。一方で、同級生たちの作品は、経験も,技術もなく、破れ目のたくさんある映画でしたが、現場という現実の社会の常識にとらわれることのない、自由な発想に溢れていました。授業に出ると、現場では必要とはされなかった、理論や哲学が、単に知識を増やすためにあるのではなく、自分が自分で考えること、つまり人間の自由を追求する営みであることも、おぼろげに理解できました。驚きでした。大学では、私が現場では出会わなかった何かが蠢いていました。
 私は、自分が「経験」という牢屋に閉じ込められていたことを理解しました。
「経験という牢屋」とは何でしょう? 私が仕事の現場の経験によって身につけた能力は、仕事の作法のようなものでしかありません。その作法が有効に機能しているシステムにおいては、能力を発揮しますが、誰も経験したことがない事態に出会った時には、それは何の役にも立たないものです。しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。その探究が、一体何の役に立つのか分からなくても、大学においてはまだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は、経験では得られないのです。それは「知」インテリジェンスによって可能となることが、今は分かります。
 私は、現場で働くことを止めて、大学に戻りました。
卒業後、私が最初に制作した劇場映画は決められた台本なしにすべて俳優の即興演技によって撮影しました。先輩の監督からは「二度とそんなことはするな」と言われました。何故してはいけないのでしょう? それは「普通はそんなことはしない」からです。当時の私があのまま大学に戻らずに、現場での経験によって生きていたなら、きっとこんな非常識な映画は作らなかったでしょう。しかし「普通はそんなことはしない」ことを疑うとき、私たちは「自由」への探究を始めるのです。それが大学の自由であり、大学においてこの自由が探究されていることによって、社会は大学を必要としているといえるのではないでしょうか。

 私立大学には「建学の精神」というものがあります。それぞれの学校が、どのような教育、研究を目指しているのかが語られた言葉です。東京造形大学は建学の精神を「社会をつくり出す創造的な造形活動の探究と実践」という言葉で表現しています。みなさんには「社会をつくり出す」という言葉がどのように響くでしょうか? 何か大げさな、リアリティのない言葉に思えるでしょうか? 
 本学の創立者、桑澤洋子先生はデザインや美術の今日的な意味について次のように発言しています。
「それは単なる自己表現というより、社会に責任を取る表現であり、デザイナー美術家は、現代の社会や産業が孕む矛盾を解明する文明的な使命を持たなくてはならない」
 私自身、映画制作というささやかな造形活動が、「社会に責任を取る表現」であるかどうか、はなはだ心もとありません。私たちひとりひとりはちっぽけな存在です。私ひとりが存在しなくても、社会はつつがなく進行するであろうと確信できます。私たちが経験を通して実感することのできる社会は、ごく限られたものでしかありません。世界にはさまざまな問題があり、遠い国で内戦があり、飢餓があり、苦しみがあることを私たちは知っていますが、私という小さな存在が、いったいそのような広大な社会とどのように関われるだろうか?と思わず立ち止まってしまうかも知れません。しかし、社会は私たちひとりひとりのこの小さな現実と無関係に、どこか別の場所にあるのではありません。
 
 これからみなさんは、作品や課題の制作に取り組みます。自分の中にあるアイデアが浮かぶ、自分が追求している美しいフォルムが浮かぶ、果たしてそれが本当に良いアイデアなのか、本当に美しいのか自信はないかもしれない。その葛藤は創造につきまとう孤独な作業ですが、それがあなたの内的なアイデアに留まっている以上、誰にも意味を持ちません。しかし一旦それを表現し、形にしてしまうと、あなたの追求したアイデアは具体的な人間関係の中に存在することでさまざまな視線に曝され、その意味を試されることになる。そしてそれは単なる物や形に留まらず、人々や社会の関係性の中で動的な作用を生み出してゆくのです。たとえそれが、ささやかな人間関係の中であっても、確実にそこに社会は形成されます。この広大な世界を、全て見渡せる人は誰ひとりとしていません。私たちはみなこの地上で、限られた関係の中で生きており、全てを見渡すことなどできないところで生きています。私たちの小さな関係が編み目のように広がって、関係しあいながら世界が作られている。デザインやアートはその具体的な関係の中に、運動を作り出し、働きかけてゆく人間の行為です。私たちは、経験することのできないその広大な世界に思いを巡らし、想像することしかできませんが、その想像力こそが世界なのではないでしょうか。
 「造形」という言葉を私たちは単に「ものを作ること」と捉えてはいません。たとえば、みなさんがデザイナーとなり、エアコンをデザインしてそれが10万台売れれば、それらが毎日消費する膨大な電力を必要とする社会を、必然的に生み出してしまうことになる。アートも作品それ自体が普遍的な価値を持つのではなく、それが人々の精神に作用する働きによって存在するのだと私は思います。
 
 一昨年に起きた東日本大震災と原発事故によって、あるいはそれ以前から、私たちの社会のこれまでのシステムや作法がもはや機能しないことが露呈しました。私たちはこれまでの社会において当然とされてきた作法を根本から見直さなくてはならない時を迎えていると言えます。現実社会は、短期的な成果を上げることに追いかけられ、激しく変化する経済活動の嵐の中で、目の前のことしか見えません。これまでの経験が通用しなくなっている今ほど、大学における自由な探究が重要な意味を持っている時はないと思います。
 
この里山の自然に囲まれた、小さなキャンパスから、私たちは世界へと思いを巡らし、想像を広げましょう。それが,たとえドン・キホーテのようであっても、私は私たちの小さな創造行為が、必ず世界とつながっていると確信したいと思います。
 入学おめでとうございます。共によりよい社会をつくり出す探究を始めましょう。

平成25年4月4日
東京造形大学学長 諏訪敦彦