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講演「会津逍遥― 風土をめぐる」開催しました

本学では、東日本大震災復興支援活動の一環として、会津若松市内での連続講演とイベントを行います。
1回目は、「会津の美しさとは何か ― 建築・風景・人―」をテーマとした講演を行いました。(詳細は後日掲載いたします)




会津逍遥― 風土をめぐる
第1回講演 会津の美しさとは何か ― 建築・風景・人―


2013年3月20日(水) 14:00 -16:30
会津稽古堂 多目的ホール(〒965-0871 福島県会津若松市栄町3番50号)
入場無料

講師|松﨑 照明
主催|東京造形大学
共催|会津さざえ堂を愛する会 
後援|会津若松市教育委員会



会津の美しさとは何か。-建築・風景・人-

「会津の美しさ」は、美しい山と川、そこに織りなされた文化のあかしとしての神社やお寺、お城やさまざまな伝統工芸に決まっている、と思われるであろう。
しかし、その山や川、寺社仏閣がなぜ美しいのかを考えてみたことがあるだろうか。
たとえば、民謡『会津磐梯山』は、「宝の山よ、笹に黄金がなりさがる」ではじまり、「東山から日にちのたより、行かざなるまい顔見せに」と続くが、なぜ、磐梯山は宝の山で、東山から便りがあれば、たびたび行かなければならないのだろう。
おそらく、これは、磐梯山が天へと続く磐(いわ)の梯(はし・はしご)の山で、東山は昔、山形県出羽三山を本拠とする羽黒信仰の山であったことが深くかかわっている。
磐梯(いわはし)の山へ死者の霊を送り出すところが、会津盆地の北東にある冬木沢で、羽黒信仰の東山から流れ出る川を古くは、羽黒川と言い、それが略されて、会津若松の前の名前である黒川となる。
また、白虎隊が自刃した飯盛山は、さほど高くはないが盆地から見ると大変美しい円錐形の山で、その頂上には約1650~1700年前に作られた前方後円墳があり、1600年以上、連綿と会津盆地を見守る信仰の山であったことがわかる。
この飯盛山にある変わった形のさざえ堂は、1200年ほど前に会津にもたらされた観音信仰が、盆地のまわりをぐるりとめぐる観音巡りとなり、やがて、一つの建物の中で三十三観音を巡る空間になったものである。
会津に住む人たちが見ている当たり前の風景は、歴史によって選ばれ、作られてきたもので、ただ、そこにあったものでもなければ、これからもあり続けるものでもない。
この講演では、三体の国宝像を納める勝常寺薬師堂、法用寺本堂の厨子、冬木沢八葉寺阿弥陀堂、さざえ堂などの国の重要文化財を中心に、美里町の左下観音堂、鶴ヶ城内茶室麟閣などの建築を手がかりに、会津の歴史文化を解き、会津の本当の美しさとは何かを考えてみたい。