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2012年度卒業式 諏訪学長による式辞


 本日ここに学位を授与された学部卒業生416名、ならびに大学院修了生48名のみなさん、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。また、本日まで卒業生を支えてこられたご家族、保護者ご関係の皆様にも、心よりお慶びを申し上げるとともに、これまでの多大なご支援に深く感謝申し上げます。

 みなさんが東京造形大学および大学院において過ごした数年間は、日本だけでなく世界がさまざまな困難に直面し、大きく揺れ動いた歴史的な転換期であったと言えるでしょう。いま、大学を巣立って行こうとしているみなさんの目の前には、未だ混沌としており、おそらくこれまでの常識やシステムが何も通用しない新しい世界が広がっているようにも思えます。学生としての生活が終わり、これから始まる社会人としての生活を想像する時、希望とともに、大きな不安が、靄のようにみなさんを覆っているのかも知れません。
 これまでの学生という身分を振り返るとき、それはすでに大人でありながら、まだ社会に参画しておらず、社会的責任を少し猶予されたような、中途半端な存在のようにも思えるでしょう。その自由と中途半端さを息苦しく感じたこともあったかもしれません。

 私が東京造形大学の学生であった時、目的を見失い、自分と社会との関係を見失って、気がつくと数日間、下宿していたオンボロのアパートから一歩も外に出ないで過ごしていた時がありました。その時気がついたのは、私などいなくても、社会はつつがなく進行しているという当たり前の事態です。その事を確認するように、私は更に数日間、一歩も外に出ることなく部屋に閉じこもりました。もちろん、私はちっぽけな存在であり、私がいようがいまいが社会はその活動を継続してゆくでしょう。テレビからは世界のさまざまな出来事が報道されていて、私とは無関係に世界が動いているという感覚を強調していました。まるで子どものような実験でしたが、あれほど社会と隔絶した自分の存在を噛み締めた事はありませんでした。やがて、その感覚に耐えきれなくなった私は、「映画を作ろう」と思いました。誰から要請された訳でもなく、誰から求められた訳でもなく。
 しかし、映画を作るために一体何をすればよいのか?私はその時どうすれよいのか分かりませんでした。気がつくと私はひとりの友人に電話をかけて、「映画を作ろうと思うから、手伝ってほしい」と話していました。その友は詳しいことは何も聞かずに「いいよ」と答え、私たちは会う日にちを決めたのでした。  私はようやく部屋を出ることができました。その時「映画を作る」とは、「誰かに電話をかけることなんだ」と思ったのでした。
 映画に限らず、どのようなプロジェクトにおいても、創造行為は孤独な作業であると同時に、ひとりきりでは遂行できないものなのではないでしょうか?
私の呼びかけに対して、その友が「いいよ」と答えてくれた時、私は社会との関係を回復することができたように思います。それは私の映画づくりというささやかな営みの始まりでしたが、その営みこそが私にとっては社会との唯一の回路だったのです。

 われわれはこの度、東京造形大学の建学の精神について検討を行いました。現在ホームページなどでは「建学の精神」「大学の基本理念」などが詳しく述べられていますが、これらの核となるものは何なのか?それをシンプルに言うとしたらどのようなものなのかを考え、次のように言い表してみました。
「社会をつくり出す創造的な造形活動の探究と実践」
 その議論の過程で「社会とは既にあるものであって、それをつくり出す、というのは矛盾ではないか」という意見もありました。しかし「社会」とは、決して既にあるものではないと私は思います。テレビやメディアを見れば、確かに社会は私とは無関係に存在しているかのように思えます。遠い世界で起きている戦争が、どれほど悲惨な状況を伝えようとも、いまここにいる私には何の関係もない世界のように見える。しかし、この世に生きている誰ひとりとして、社会全体を見渡すことができる人などいません。いるとするならばそれは神以外にはないでしょう。私と、その友とがかろうじて一本の電話でつながったように、他の誰でもない、「この私」の営みがつくり出す現実の生きた関係が、最初の社会であり、あらゆる人々のそのささやかな営みがいくつも折り重なり、不断につくり出され、更新してゆく関係が社会なのではないでしょうか?

 私は先ほど、みなさんがこれから社会人になると言いましたが、実はそれは間違いです。日本語以外の言語において「市民」とか「労働者」とか「大人」という言葉以外に「社会人」に該当する言葉はないようです。日本では会社で働いてお金をもらう人、という存在が社会の中心を構成していると思われてきたのではないかと思います。そうではない人はこの社会の一員ではないのでしょうか?「社会人」というのは経済発展を目指した、戦後日本の独特な考え方です。みなさんはこれから社会人になるのではありません。あなたたちは生まれたときからすでに、社会の一員であり、社会人であった。大学を出たことによって、突然、社会人になるのではないのです。
 東京造形大学の学長である私というのは、幾らでも交換可能です。学長というのは単に大学というシステムの中で機能する役割です。しかし、あの時わたしが友と交わした「映画づくり」の約束は、「この私」であったから可能であった関係です。その関係は、私が「この私」であり、彼が「その彼」であったことによってしか成立しない。わたしはそれが「社会」の基本なのだと思っています。これは、あまりにロマンチックな考え方でしょうか?

 私は昨日、会津若松に行ってきました。会津はこの度の震災において、沿岸部が被ったような目に見える直接の被害はそれほど甚大なものではありませんでしたが、原発事故によって避難を強いられたまま現在も帰宅することができない多くの人々が暮らし、風評被害など見えない深い打撃を被っている地域でもあります。昨年来大学院におけるプロジェクトとして、本学の大学院生と地元の地場産業に携わる方々との共同作業によって、われわれが実社会に対して何ができるのかを問う活動の一環でした。われわれが一大学としてできることは、小さなことでしかありませんが、そのようなプロジェクトが可能になったのは、教員や学生が出会った会津のひとりひとりの人との出会いによって、であったことを実感してきたところです。もちろん、そこには行政や、大学、地域の活動団体などさまざまな機関との組織的な関わりが必要ですが、実際にプロジェクトを動かしているのは、単に名刺を交換するような関係ではなく、交換することのできない具体的な人との出会いに他なりません。

 みなさんはこれから学生ではなくなることは事実です。そして、これまでと違い目まぐるしく変化するグローバルな経済活動の中にダイレクトに身をさらすことになるでしょう。会社に就職する人も、そうでない人も、多かれ少なかれ巨大なシステムの中に組み込まれざるを得ません。そこでは、あなた個人の考えなどどうでもよい、と言われるかもしれません。大学で学んだことなど役に立たないと言われるかもしれない。しかし、どうかくじけないでください。システムの中であなたに与えられた役割があれば、精一杯それを果たしてください。しかしながら社会をつくり出しているのは、そのような名刺に刷り込まれた肩書きがつくり出すものだけではなくて、交換することが不可能な「この私」の営みであることを忘れないでほしいと思います。
 みなさんがこのキャンパスにおいて実践した研究、制作は、あなた自身が、あなたの名において,あなたのために行った自由な創造行為です。誰のためでもありません。そのようなクリエイションにおいては、他人に向かって嫌でも自分自身をさらけ出さなくてはならないような瞬間があることを体験したはずです。自分で自分の声をはっきりと聞いたはずです。それが創造に関わった人間の特権ではないでしょうか? 
 もしかすると、そのような瞬間はこれから頻繁には訪れないかもしれません。そして、誰も解決する方法を知らない問題が目の前に山積する新しい時代を切り拓いて行くあなたたちは、進むべき道を誰かに訪ねることもできないかもしれない。それでも、嵐の中にあって、あなたの声がどんなにかき消されようとも、あなたの声が誰かに届き、微かな返事が返って来ることを信じて、あなたはあなた自身の声を忘れてしまわないように、囁き続けてください。そして、誰かの微かな囁きに耳を傾けてください。
 そのような人間的な営みこそが、来るべき社会を作ると信じて、本日の祝福の言葉とさせていただきます。

2013年3月21日
東京造形大学学長 諏訪敦彦