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2012年度入学式 諏訪学長による式辞

456名の学部入学生、ならびに4名の編入学生、58名の大学院入学生の皆さん、入学おめでとうございます。新しく東京造形大学の一員となられた皆さんを、心から歓迎いたします。また、ご家族ならびに関係者のみなさまにも、心よりお祝い申し上げます。

例年ならば、満開の桜が花びらを散らしながらみなさんの新しいスタートを祝福するはずですが、ご覧の通り桜の開花は大幅に遅れ、昨日は季節外れの暴風に翻弄されました。もはや「例年どおり」と言う言葉が、通用しない新しい時代の始まりを予感させるかのようです。
昨年、東日本を広範囲に襲った震災と原子力発電所の事故により、私たちはまったく体験したことのない困難に直面し、現在も尚、その困難が継続しています。本日ここに集うことができた新入生のみなさんのなかにも、未だ解決できない問題を抱えている人もいることと思います。改めて犠牲となられた多くの人々に哀悼の意を表し、ご遺族、そして今なお不自由な避難生活を送られている方々に心からお見舞い申し上げます。

みなさんは今日さまざまな想いを胸に、大学での生活をスタートすることになります。みなさんを前にして、私も今から33年前に同じく東京造形大学の入学式に臨んでいた頃の自分を思い出しています。私は広島の生まれで、高校の時に映画に関心を持ち、上京して東京造形大学を受験しました。映画を学べることに大きな希望を抱いて、みなさんと同じように入学式に参列していましたが、その時私の心にひとつの言葉が引っかかっていました。少し、私の個人的な経験についてお話ししたいと思います。

入学式の数日前、たまたま中学の時の同級生と再会する機会がありました。彼女は中学では一・二位を争う秀才でした。勉強だけでなく陸上競技もトップクラスの成績でしたし、音楽も、美術にも素晴らしい才能を持ったたぐいまれな才女でした。しかし、彼女は高校に進学せず、結婚し、子どもを産むという選択をし、私たちを驚かせました。まだ十代で家庭を持ち、現実を生きると言う選択をした彼女が、大学進学を決めた私に「諏訪くんは、何のために大学に行くの?」と、少し挑戦的にそしてシンプルに訊ねました。
私はうまく答えられませんでした。何を言っても彼女の前では嘘のように思えたのです。彼女は学校に所属することよりも、現実を生きることを選んだ。彼女は周囲のみながそうするからではなく、たったひとりで自分の選択をした。彼女は自由でした。私は大学を選択しました。自分の意志でそうしたと思っていましたが、なぜ大学なのか、何のためなのか、実はよく分かりませんでしたし、なかば皆がそうするから、ということだったのかもしれません。おそらく彼女のように社会で現実に生きることを少しだけ猶予することを選んだのだと思います。しかし彼女の前では、恥ずかしくてそう言うことはできませんでした。

そして、大学生活が始まり、数ヶ月がたつと、私はすでに大学に魅力を感じなくなっていました。授業の中で出された課題に応え、制作されるものは、決して現実の社会の中でその評価を問われる訳ではないし、大学での活動は守られた小さな世界でしかないように思えたのです。当時は現在よりも更に山奥にキャンパスがありましたが、私は大学に行くよりも、街に出るようになり、映画を見て、そこで出会った学生ではない人たちとともに行動するようになり、彼らの映画の制作を手伝うようになりました。まだインディペンデントという言葉がない時代でしたが、どこにも所属せずにストリートで自分たちの映画を作る作家たちが現れた時代でした。彼らはまだ無名で資金もありませんでしたが、何にも守られず、真剣に映画を作っていました。私は大学という社会から守られた場所よりも、現実の中で映画を作っているという実感に魅了されて、気がつくと2年間で数十本の作品に助監督として参加していました。私は学生では経験できないようなたくさんの現場経験によって実践的に教育され、漠然と自分がこのままプロフェッショナルとしてこの世界で働いていくのだろうと予感していました。すっかり大学から足は遠のき、3年に進級することができなかった私は、もはや大学で学ぶ必要は無いように思われました。

私は自分が大学の外で身につけた実践的な力を証明するかのように、大学の課題作品として初めての作品を制作してみました。他の学生が知らないような技法や、機材や、私が現場で経験したことを総動員して制作したその最初の作品は、しかし、まったく惨憺たる仕上がりとなりました。クラスメイトからもまったく評価を得られませんでした。ある友人は、その作品を「ダメだと思う」と率直に語ってくれました。私には何かが足りなかった。それは何なのでしょう?私はたくさんの現場を知り、段取りや、作法や、実際に役に立につ問題解決の方法を知ったけれども、決定的に大切な何かが足りなかったのです。

当時のあるクラスメイトの作品は、大学で学んだ物理学の原理と文学の空間を映画で交錯させようと試みました。おおよそ当時の映画界の作法からは遠く離れていましたが、その映画は「自由」でした。あるクラスメイトは、年間に1000本以上の映画を見ることに時間を費やし、理論書籍を読みあさり、現場のことなど何も知らないままに作品を作りましたが、やはり当時のあらゆる映画作法から「自由」でした。
大学では経験では到達できない「自由」が実践されているのだと思い知らされ、私は現場での活動をやめて、また大学に戻りました。そしてそれまでの経験と決別するように、もう一度大学で映画を学ぶことを選びました。

当時の私に欠けていたもの、おそらくそれは「自分で考える」ということだったのだと今は思います。それは「自由」といってもよいのです。自由とは勝手気ままにやると言うことではなく、「何のために大学に行くのか?」と私に問うたあの彼女の選択のように、誰かにそうさせられるのではなく、私自身として考え行動すること。自分に責任があると言うことです。大学とはこの「自由」であることを学ぶ場所だったのです。私が身につけた経験は、私が自分で考えたことではありません。その時、その社会に通用するやり方、作法を身につけたに過ぎません。それは、その時に当然だと思われた仕事のやり方を学んだのであって、その社会そのものが変化し、システムが変わってしまえば通用しないものなのです。経験することは重要ですが、経験は経験したことがない事態に出会った時には、何の役にも立ちません。創造することに求められるのは、私たちが経験したことがない新たな経験へ、跳躍することができる「自由」なのです。

例えばみなさんは数学を学びました。一体、微分や積分が実際の生活において何の役に立つのか?と疑問を抱いたこともあるでしょう。あるいは哲学を学んだからと言って、恋愛の悩みが解決する訳ではない。おおよそ学問と言うものが、実際に役に立つものであるとは思えないのです。みなさんがこれから授業の課題として制作するかもしれないデザインが、そのまま商品となることは稀ですし、作品が今すぐ売れる必要はない。大学で学ぶ理論や実践は実は社会ではほとんど役に立たないものかもしれません。では、大学あるいは学問とは一体何をしているのか?それは、現在の社会に通用している常識や要請を断ち切って「自ら考える」というルートを開発している。あるいは自由を探求するスペースを自らに作り出す訓練をしていると言えるのではないでしょうか?だから、私たちの営みを「現実には役に立たない」と、批判する社会のほうが、実は間違っているのではないか、ということが言える。そういう「自由」を、大学という場は持っている。そのことにおいて、大学は社会にとって必要な場となるのだと私は思います。

私は大学が社会から孤立し、自閉してよいと言いたい訳ではありません。先月、本学の学生のデザインがNTTデータカスタマーセンターの営業車両の外装デザインとして採用されました。それは誇らしいことです。その他にも本学とさまざまな企業とのコラボレーションが実践されています。大学は社会と出会わなければなりません。この相原の自然の中に閉じこもることなく、みなさんもここをベースにしながら、世界的な視野を持って、大学の外の世界と出会うことが必要です。しかし繰り返しますが、私たちは今現在、社会が前提としているシステムをただ学ぼうとしているのではありません。今の社会が見失っているかもしれないものを見つけ出す「自由の探求」を行うのです。それは、今は何の価値も認められなくても、未来の価値を創造する可能性に開かれているのです。


しかしながら日本のみならず、世界的において、大学には現在すぐに役に立つような能力や、即時的な経済活動に寄与する人材の養成が求められています。これはある意味で大学の危機的な状況でもありますが、昨年の原子力発電所の事故を巡って露呈したのは、私たちが前提としていた社会のシステムそのものが機能しないということだったのではないでしょうか?あるいはすでに、そのような事故が起きる以前から、世界規模で経済活動は破綻し始めていました。もうこれまでのシステムが通用しない時代が訪れたことは明らかでした。このような時代において、今こそ大学は真価を問われていると言えるのだと思います。
今デザインやアートに何が出来るのか?私たちのこれまでの経験ももはや通用しないかもしれない。

本学の創立者桑沢洋子先生は半世紀前に「今日のデザイナーやアーティストに必要なのは、単なる自己表現を超えた、社会に責任を取る表現である」と述べました。現在、この言葉に、私自身、どのように答えられるのかまだ分かりません。しかし、この言葉を受け止めながら問い続けてゆきましょう。

数年後みなさんが大学を出ると、みなさんはまるで昨日の嵐のように、自分の力では立っていることもできないような、激しい経済活動の中で歩いてゆかなくてはなりません。みなさんは大学を選び、その嵐に足を踏み入れることを猶予し、嵐の中では見えないことを見つめ、危機に瀕している現在の状況の中で、何が私たちの社会に必要なのかを考える「自由」を与えられたのです。
ここにいる私たち教員は、あなたたちに社会で必要な知識や技術を一方的に授けるためにここにいる訳ではありません。あなたたちとともに自由を探求し、あなたが自分で考えることを支援するためにここにいます。
ともに、少しでもよりよい社会を作り出すための探求を始めてゆきましょう。

以上をもって、本日の祝福の言葉とさせていただきます。

2012年4月4日
東京造形大学学長 諏訪敦彦