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2011年度入学式 諏訪学長による式辞

2011年度 入学式式辞
学長式辞写真 447名の学部入学生、ならびに52名の大学院入学生、14名の編入学生の皆さん、入学おめでとうございます。新しく東京造形大学の一員となられた皆さんを、心から歓迎いたします。また、ご家族ならびに関係者のみなさまにも、心よりお祝い申し上げます。

三月十一日に発生した東日本大震災は、私たちが経験したことも無い甚大な被害をもたらしました。福島第一原子力発電所の事故は、現在もなお危機的状況が続いており、事態収拾の目処もたっておりません。被災された方々、現在もなお厳しい生活を強いられている方々に,心からお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた多くの犠牲者に対して深く哀悼の意を表したいと思います。

今年度の入学式は、震災の影響で例年より遅れご心配をおかけしましたが、キャンパスの桜の花は何事も無かったかのように満開を迎え、まだその花びらを留めております。季節はいつもと同じように巡ってきましたが、今日のこの日を私はこれまでとはまったく違う気持ちで迎えています。

あの大地震が発生した日、私たちが体験し、そして今もなお進行しつつあるこの危機的な状況を、言い表す言葉はまだありません。本日みなさんに学長として歓迎の言葉を述べようとしているにもかかわらず、私は半ば言葉を失っていることに気づきます。ここにいるほとんどの人が、あの日の大きな揺れを体で体感し、その身体の記憶が刺のように生々しく刻み込まれたままです。あるいはそれに続く津波の被害を伝える映像を呆然としながら見つめた人もいるでしょう。さらに原子力発電所の事故の状況が伝えられると、それらの出来事がかつて無い最悪の事態であり、もはや簡単に解決できるような出来事ではないことが明らかになり、例えようも無い胸騒ぎが私を襲いました。その胸騒ぎとは、もはや昨日と今日は同じ日では無いのだということ、私たちを取り巻く世界が決定的に変わってしまって、昨日までの日本は失われ、もう元には戻らないのだという感覚でした。

学長式辞写真 今からほぼ三十年前、私はみなさんと同じように東京造形大学の入学式に臨んでおりました。私はみなさんのご両親とほぼ同じ世代であろうと思います八十年代を迎えてゆく日本は、右肩上がりの経済的な発展を謳歌し、世界の貧困や、さまざまな問題とは無縁の無邪気なお祭りのような社会を迎えようとしていました。九十年に湾岸戦争が勃発し、イラクを攻撃する多国籍軍の活動に日本も経済的な参加を行いました。連日テレビでは最先端技術を駆使したミサイルに搭載されたカメラによる、爆撃の映像が流され、われわれはそれをただ眺めていたのでした。まるでテレビゲームのようなその爆撃の映像には、何の身体的感覚もなく、その映像の背後に本当の命が奪われ、破壊があり、人々の悲鳴が響いていたであろうことに、まったく想像力は及ばなかったのです。八十年代の日本は経済的には豊かでしたが、他者の苦痛に対して想像の働かないお祭り騒ぎのような社会であり、そのような日本が、本当の意味で尊敬に値するような文化を生み出せた訳ではありませんでした。

私は広島で生まれ、祖母は被爆しました。原爆が投下された日、広島の郊外に住んでいた祖母は、直接の被害は免れましたが、いつになっても帰宅しない肉親を捜しに、被爆後の広島市内に入り残留放射能で被爆しました。そこで目にした筆舌に尽くしがたい光景を,祖母は滅多に語りませんでしたが、一度だけ私にその時目にしたものを詳しく語ってくれました。しかし、その恐ろしいイメージを私がいくら想像しても、私の想像力は決してその体験には追いつきようがありません。
私は、広島に対するその自分の想像力の及ばなさ、を主題に映画を制作したこともありますが、今、その自分の作品の意味も変容してしまったように感じます。
「交通機関がストップし、とぼとぼと歩いて広島市にたどり着いた時、突然目の前の視界を遮物が何もなくなった」と語ったその時の祖母の体験は,かつては遠い昔話であったのに、今私の中で一気に現実のものとなって体感されたように感じるのです。私は戦争と今回の被災を同一に語ろうとしている訳ではありません。ただ私の認識が大きく変化してしまったのです。

学長式辞写真 まったく唐突に時代は変わろうとしています。それはまだ歴史ではありません。今まさにおこりつつある現実です。歴史とは物語ですが、現実とはまだ名付けようの無い、未知の体験です。ですから、この新しい現実に立ち向かう術を、私たちはまだ知りません。これまでのことが何も通用しない、まったく手探りの旅になるのかもしれません。私たち教員の経験や知識ももはや通用しないのかもしれないのですが、私たちは、大きな困難の中にあっても、共により善い社会を一歩ずつ創造してゆかなくてはなりません。

本学の創立者桑沢洋子は服飾デザイナーでありましたが、華やかな非日常のファッションを作り出したのではなく、日本人の暮らしを考える普段着のデザインに光を当てました。本学の創設にあたり桑沢洋子はデザインや美術の今日的な意味について次のように発言しています。「それは単なる自己表現というより、社会に責任を取る表現であり、デザイナー美術家は、現代の社会や産業が孕む矛盾を解明する文明的な使命を持たなくてはならない」この理念にある「社会に責任を取る表現」という言葉を実践することは簡単ではありません。私自身、自己の表現活動が「社会的な責任を取る表現」であるかどうか自信はありません。しかし、私たちの目指すデザインやアートに今ほどこの「社会に責任を取る表現」が問われる時代は無いでしょう。

ただ,家が失われ、生活物資が不足し、見えない放射能の恐怖が迫っているという具体的な困難に対して、私たちの営みはすぐに役に立つ大きな力を持っている訳ではありません。むしろあまりに無力です。私たちに何が出来るのか?という問いに対して、簡単に答えることは出来ないのです。答えを焦る必要はありません。私たちは自分たちの無力に失望するよりも、この「無力であること」を握りしめながら、これから何年も何十年もかけた、日常の営みの中でその答えを探してゆかなくてはならないのですから。
福島出身の私の友人のミュージシャンが次のようにつぶやいて先日福島に旅立ちました。

「今日は福島へ行く。会いたい人たちに会ってくる。非常に楽しみでうきうきしている。今まで何十年もそうしてきたように、自分の目と耳と体で考え、興味ある人と直接会って話をし、一緒に考え、ときに何かを一緒にやる。何があろうとオレにはそれ以外の生き方など考えつかない。
いろんな人のいろんな考えがある。それでいいと思う。そういう音楽をやってきたわけだし。いつも自分が信じてやってきた無力な音楽のように行動する。今は自分の直感のようなものを信じて」と。

学長式辞写真 私たちに何が出来るのか?まだ答えはありません。しかし、みなさんは、この新しい時代を切り拓いてゆく第一世代であることは間違いありません。赤ん坊が未知の世界に対してひとつずつ言葉を発見してゆくように、自分に出来ることをまっさらなキャンバスに描いていってほしいと思います。しかし、今はみなさん自身が、心に見えないたくさんの傷を負っているかもしれません。まず自分の心を守ってください。あなたが楽しいと思うことに熱中してもいいでしょう。あなたが自分自身を守ることに精一杯だったとしても、それを恥じる必要はありません。デザインやアートはそのようなか弱い人間と共にあることを忘れてはなりません。そして、私たち教員や新しい友人たちと共に、議論し、さまざまな考えを許容しながら、あなた自身の世界を作り出してください。そしてそのような探求の旅をこれから先の長い時間にわたって自足してゆく力を養ってください。
大学とは、一方的に知識を授けるところではなく、私たちとともに未来の価値の探求し、創造する旅なのです。私たちはその営みに4年間寄り添い。精一杯支援します。

東京造形大学学部教育課程は、本年度よ新しいカリキュラムをスタートさせます。それぞれの専門教育をより充実させるとともに、専攻領域を超えた幅広い学びを実現する新たなプログラムであるハイブリッド科目や、サステナブル科目などによって、持続可能な社会づくりと新しい価値の創造をめざしたいと思います。本年が文字通り新たなスタートとなる事を願って、私の式辞とさせて頂きます。


平成23年4月15日 
東京造形大学 学長 諏訪敦彦