ゼミについて
更新がめっきりなかったIDブログが久々の更新です!すいません。
東京造形大学ID4年岡田が更新させていただきます。
このブログを立ち上げたメンバーは現在の4年生です。4年生になると東京造形大学では「ゼミナール」というものが始まります。このゼミナールの選択は自身の専攻外のものに所属する事も出来て、こういったところは本学の一つの特徴なのかもしれません。
私は、薄靖彦教授の薄ゼミに所属しています。
薄ゼミでは現在、「作家・作品研究を通してデザインに対しての評価基準を自分の中で作る」というテーマで授業を主に行っており、具体的には、所属メンバーが「自分の気になるデザイン」「このデザインの考え方とは」「~という本を読んで」といったような形で各々プレゼンテーションをします。
このプレゼンに対して教授や学生で議論し、そこで挙げられたデザインやその考え方がどのような思考・環境のもとに築かれた物なのかを定義していこうというのが目的です。
ちょっと具体的な授業内容の例を一つ挙げてみると、先週、ある学生のプレゼンの中で「『ユーザーによって使われ方が制限されない物』というテーマはデザインの評価基準の一つになりうるのか」という提案がありました。
私はそのプレゼンを聞きそしてそのテーマに沿ってデザインされたものを見て、いわゆる「デザイン雑貨」を見た時に覚える不快感を感じたわけです。
「ポップな色で構成された本体は新素材で可塑性があり、ユーザーによって様々なシーンで色々な使い方が出来る。」このようなプロダクトは果たして「デザイン」なのか?
そんな疑問をメンバーのほとんどが考えていましたが、言葉として「否定」することができなかったため、私は教授からこのデザインについての考察という課題を課され一週間という期間でそのデザインを「肯定」「否定」する論理を探しました。
その論理を探す中で「design by use 」という本に出会いました。この本は「製品としてモノがヒトのライフスタイルに入った時に新たな使用価値が出てくる」というシーンを集めた本です。

この本の考え方と同じ方向性の例として「掃除機の本体に乗って遊ぶ子供」が挙げられます。なぜかというと「デザイナーが思いもよらぬ使い方を、ユーザーがする」という部分で重なるからです。
この例で考えを進めるとフィードバックとして掃除機に子供が乗る部分が付いたモノが登場することは多分ないであろうという予想できます。
それは「子供が乗れる」という新たな価値によって掃除機の主立ったキノウである「ゴミを簡単に吸う」という本旨が脅かされるからです。
まとめると製品がもともと持っているキノウに背く付加的なデザイン(キノウ)はデザインに成りえないという事です。
このまとまった考え方のもと先ほどの「ユーザーによって使われ方が制限されない物」を見るとどれも本旨は果たしておりこの考え方においては「デザイン」といえるのではないか?と考察したわけです。
この考え方を本日発表したところ教授から違った視点からの意見をいただく事が出来ました。それは「プロダクトデザインは社会に規律うを創る物であり、ユーザーによってそのプロダクトのカタチから彷彿とされるイメージ(シーンなど)が違うという事はやはり問題なのではないか」というものです。これは「K君の家でのある製品はトイレで使用され、D君の家ではキッチンで使用されている」という例で読者のみなさんも理解する事が出来るかと思います。
また、学生のJETさんからは形態論の話と絡めながら「一目で判断に困る物を見た時に人間は不快に思う」という定義を聞き「ユーザーによって使われ方が制限されない物」は往々にしてカタチの印象から用途などを判断しにくいものなのではないかという話へ広がって行き、これは「不快感」の原因の一つなのではないかという考察に至りました。
しかし、この「不快感」はこれだけで解決できるものではありません。なぜなら私は今まで「デザインの定義」を明文化してこなかったからです。「感覚的に好きなデザイン」「社会的に素晴らしいデザイン」・・・・・自分が何を持ってデザインを良しとし悪とするのか。これについての考察は長くなりますのでまたの機会に?とさせていただきますw
このようにゼミを通じて自分のデザイン観を見つめなおし、ゼミで発表し意見をいただくというこのサイクルを続ける事によってこれからの製作活動の軸となる「評価基準」を作る事が出来たら良いと考えています。
最後に・・・
ゼミの教室から見えたたぬ・・き?です。夏毛なんでしょうか?冬に見るたぬきはもっともふもふしてます。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
ID4年岡田でした~
2010 年 5 月 31 日 カテゴリー:未分類