• Japanese
  • English
  • 在学生
  • 教職員
  • アクセス
  • 資料請求
  •  MENU
  • 在学生
  • 教職員
  • 大学について
  • 教 育
  • 学生生活
  • 進路・就職
  • 研究活動
  • 入学案内
  • 保護者の方
  • 受験生の方
  • 卒業生の方
  • 企業・一般の方
  • 大学院
  • 附属美術館
  • 附属図書館
  • ENGLISH SITE

留学生レポート(人見麻紀)

人見麻紀

領 域 : 絵画
留学先 : イギリス 英国西地区大学
期 間 : 2010年2月5日~7月28日
担当教授 : Sophia Hayes


研究概要

2月

・スタジオ訪問(Spike Island)
・担当のtutorと面談

3月

・Sophiaのクラスメイトと共にロンドンのギャラリーを7、8個訪問する。
・Tutorとの2回目の面談を通して、制作の方向が決まる。撮影開始。
・Spike Island内のギャラリーでの企画書コンペティションの書類制作。
※下旬から4月中旬まで、イースターブレイクが始まる。

4月

・中旬Sophiaクラス講評、面談
※下旬にインフルエンザと、喉に腫れ物ができて、5月半ばまで寝たきりになる。

5月

・中旬に他のクラスのtutorに作品を見てもらう
・Blue screenという地元の映像イベントに出品
・2つ目の映像の構想と撮影を進める

6月

・スペイン人の友人のフラットにて、2つ目のビデオ作品の展示


研究成果

自分の研究テーマは、サブカルチャーやエンタテイメント、ギャグ等の笑い等に関するものだった。
そこで、向こうに行って感じたのは、日本で当たり前に目にされるような、かわいいキャラクターものや、ダサ/キモかわいいもの、ゆる~いもの、いわる「オタクっぽさ」、楽しそうに演出する装飾(ex.店内、ガイドブック、駅構内、ポスター、バス外観等)、服装でもギャル系、オタク系、ナチュラル系、等のはっきりとした細かい分類分けが、イギリスにはあまり見られなかったことだ。 そのかわり、エンタテイメントに関しては、暴力、グロテスク、性、ゴシップ等をオープンにし、その上でブラックユーモアも含め、エンタテイメント(?)にしている傾向が見られた。
そのせいもあってか、自分の作品のことを一人のスペインの友人からは「とても日本的」という風に言われた。それについて、日本人のドメスティックな作品制作の傾向のようなものも意識せざるをえなくなった。そして「こんなにダサくて笑いのツッコミどころのない場所でどうやって制作したらいいのか」という悩みも湧いてきた。

そこで、向こうの学生の遊び方について気になった点があった。それは「だれでもクラブに行く」ということだった。日本に居た頃はクラブに行くといえばイケイケのオシャレな人しか行かないというイメージだった。しかしヨーロッパではオシャレとかそうじゃないとか関係なく、どんな人でもお酒の後は踊りに行く。それが日本の居酒屋→カラオケに位置する、むこう流の遊び方なのだと思った。(多分、向こうではあまり食事がおいしくないから踊りにいくんだろうというのが一つの推測。)
そして一つ目の制作は試行錯誤があったものの、日本からもってきた映像と、クラスの友人に協力してもらって、その2つの映像を合成して、「踊る」ということをテーマに作品を作った。講評で見せたところ、けっこう好評だった。「みんなこれは好きよねえ?」とtutorのSophiaが言うとみんなうなずいていた。自分が表現したい面白さ(単純に笑えるということも含めて)が伝わったのだと思えた。この映像はBlue Screenというブリストルの映像のイベントにも出品したが、イギリス人の観客の一人が話しかけてくれて、意見をもらった。そうすると、やはり割と、伝えたい内容が、全く違う環境で生きてきた人に伝わっている気がして、これは先進国だから共有出来る価値観なのだろうか?という疑問も湧いてきた。

その後、インフルエンザのような症状の病気にかかり、その影響で喉に腫れ物が出来てしまい、3週間半ほど寝たきりの状態と1日入院をよぎなくされた。動くのさえつらい上に、食べ物もろくに口にできない、さらに言葉が不自由な中で、何度も病院を往復しなければならない。幸い、造形から来ていた日本人の子に助けてもらったのだけれど、自分の元気は完全に損なわれてしまった。

それが回復した後、病気にかかる前に既にあった次回制作の構想もあったのだけれど、体力的にも精神的にも、派手で元気な作品に仕上げることはできないと思った。そこで、この闘病生活中の底辺にある孤独な気持ちをオープンにし、笑いさえ誘う、という方向のテーマで作ろうとおもった。公園にある人形の木彫りの隣に微妙な距離をたもちながら、枕を抱きしめ、ちょっと微笑みながらただ立っているという映像を作った。音は耳障りな一定の鐘の音を大きめに流し、不快感を出そうと思った。 これはtutorのSophiaと、友人のフラットで展示をした。 Sophiaはテーマを理解してくれたようだが、映像を見慣れていない人にとっては「読めない」映像になったようだ。ここでは、それがいいとか悪いとかいう問題ではない。それよりも大事だと思う出来事があった。フラットで展示していた時に来てくれた友人2人が自分の映像について話し込んでいた。その子の内の1人は美術とは全く関係ない専攻だったので、「もしかしたら、あなたにとって、この映像は意味が分からなくって、つまらないと思うかも…。」と私が言うと彼女は、「さっきfily(友人)とあなたの映像を見て、話をしていたの。 映像を2人で見て、考えて、話して、また見て、考えて、話をして…を繰り返した。だから、あなたの作品はつまらなくないよ。」と言ってくれた。 私はこの時重要なことを聞いた気がした。西洋独特の感覚、それは空気を読んでみんな一緒という意識をもつより、自分の意見をもち、それがなぜなのか言葉で説明すること。「人の考えていることなんて、わからない。自分の知っている感覚のみで他人を理解するなんてできるわけがない。」というのが、特に複雑に人種や宗教が交わるブリストルという港町で強く感じたことだ。これはアートに関しても言えると思う。理解できないことや興味のない事を「まあ、どうでもいいけど」といって捨ててしまうこともできる。でも、あらかじめ自分が持っている知識や感覚以外のものが目の前に現れた時、ディスカッションや、自分で理論的に考えることを通して、コミュミケーションしようとする姿勢というのはとても大事なことなのではないかなと。 そう考えると、作家が考えているテーマがきちんと伝わるというのが良い事である、みたいな考え方や、ましてやエゴや作家中心主義的考えは、実はあまり重要ではないのでは…と考えるようになった。このことについて自分の中ではっきり結論が出ているわけではないけれど、印象的な言葉をもらったと思っている。


留学先指導教員による指導内容

面談は月1~2回設定されているが、連絡をとればtutorが来ている日に会うこともできる。講評は半期に2回と、クラス単位での学内展示が1~2回。
Tutorの存在は、日本の教授という存在と比較すると、軽い?感じで、生徒のお兄さんお姉さん的な人、生徒よりも知っている事が豊富な人という感じで、講評やディスカッションも先生の言葉を聞くというよりは、生徒同士で話し合いながらすすめて行くという感じだった。指導の傾向としては、すごくダメだしされるとか、コンセプトの内容を深く話あうというよりは、より具体的な設置の仕方であったり配置であったり、映像ならば、音声や編集の仕方がコンセプトにどう影響してくるかという感じだった。自分が知らない作家の紹介などもしてくれた。望めばイギリスの現代アートの話も面接の中でできる。学年やtutorにもよりけりなのかもしれないけれど、基本的に理性的、建設的な会話をする印象があった。


留学中に、特に印象に残った点および反省点

反省点は、語学不足とVISAをとらなかったこと。語学は、日常会話は友達同士で話すレベルでは理解できるけれど、アートについての会話ではそれだけでは到底ネイティブの会話は理解できない。 ディスカッションや講評は難しくてついていけなかった。聞き取れるのだけれど、意味が分からない単語やイディオムが多かったのが苦労した。
VISAはとっておけば、仮に入院したとしてもイギリスでは医療費はすべて無料になる。日本人は6ヶ月以内ならイギリスにVISA無しで滞在出来るので、特に取得を考えていなかったので、日本の健康保険への申請を改めてしなければならなかった。

印象に残った点は、人種と思想が各国で全然違うということを思い知ったこと。「自分って性格も考え方も好みも日本で育ってきたのだなあ」とつくづく意識した。あと日本はヨーロッパにとって、インターネットや旅行しやすくなった時代といえど、まだまだ世界の東端にある遠い国の存在なのだということも感じた。しかし日本好きの人や、フリークな人はのめり込むように好きという感じで、極端だったかもしれない。あと、日本といえば、京都、とか禅、とかよりいまはサブカルチャーやまんが、「kawaii(かわいい)」感覚なんかもかなりメジャーな様子だった。

アートを見るには、いつもロンドンに行っていた。ブリストルははっきり言って田舎なので、週末ロンドンに行ってはギャラリーや美術館をまわっていた。ここで気がついたのは、各ギャラリーには必ずpress release がA4の紙1〜2枚置いてあって、言葉を使って作家の作品を解説しようとしていたこと。貸し画廊は少なかったのかもしれない。アート系の雑誌は日本と比べ物にならないくらい沢山あった。現代アート評論のみがのっているものや、日本の「ぴあ」のようなものに、ほぼ全画廊のレビューとおすすめ度がのっていたのも、アートは日本よりポピュラーなのだなと感じたこと。
ベルリンビエンナーレも6月に行き、土地が土地なだけに、政治的人種的なテーマを取り扱った作品が多く、現在日本でこれほど大規模でこのようなテーマで人を呼ぶのは難しいのかもしれないと思った。そういう点でも海外と日本の違いを感じることができた。
そのほかは、大学にキュレーターコースがあったことが印象的だったことも等…。とにかく6ヶ月すべてが印象的だった。

最後に、この留学を支援してくださったすべての方々と、両親、友達に深く感謝しています。本当にありがとうございました。